続:11月11日は「介護の日」でした。

   

11月11日は、

厚生労働省が国民に介護についての啓発をすすめるために定めた「介護の日」でした。

今回はこれについて書いてみたい。

もう終わっちゃったけど。それならその日までに書かなきゃダメだろ・・って感じですね。

 

このブログはぱちんこ関係がメインになってますし、

介護や認知症に関する私自身の知識や理解も浅くて

有益な記事になってないから仕方がないんですけど、

介護や認知症関係の記事はあまり読んでもらえないんですよね。

しかし、現時点で「自分には関係ない」と思っている人たちに、

「自分もいつか介護したりされたりする日がくるかもしれない」と関心をもってもらうことこそが

「介護の日」の制定された目的なんでしょうから、

読まれなかろうが書いておくことに意味があるはず・・・

ということで。

ただ単にいま感じることをズラズラ書くだけですが。

認知症の症状が激しく揺れ動いていたころを思い出すと苦しい

以前にも「介護の日」について記事にしたことがありました。

11月11日は「介護の日」

3年前の話。

 

この記事の当時は私の母は認知機能と身体機能が右肩下がりに低下していたころで、

白内障の手術をしたりもした時期。

いま読み返すとかなりネガティヴなことを書いていて自己嫌悪に陥ります。

そのとき母はすでに施設に入っていましたが、

常に体調について心配したり、「前にはできていたことができなくなる」という事態に直面して落胆する毎日でしたので、

私はけっこうメンタル的にやられていたんだと思います。

 

面会にはこまめに行っていましたが、

まあ~とにかく会うたびに状態が悪化していた。

今日はどんな状態だろうか・・・と考えると面会に行くのが億劫で仕方がなかった。

 

それからもう3年も経ち、

母の状態は下げ止まりというか、これ以上は下がりようがないっていう感じに。

歩けなくなり、話せなくなり、意思表示もほとんどできなくなりました。

認知症について知れば知るほど、今となっては後悔することばかり。そうならないためには・・・

いま母は別養護老人ホームにお世話になっていて、

私は母の介護から解放されています。

 

なので自分の好き勝手に生きることができているし、

私も母の気持ちや人生の歩みや、私が母にどんな介護をしたのかなど、

そういったことを冷静にふりかえってみる余裕も時間も生まれ、

つまらないブログをつくることもできましたが、

自宅で母と暮らしていたころはとてもそんな余裕はありませんでした。

母は毎日毎日私を悩ませる問題行動をとり、私は日々悪化していく母の症状に振り回されるだけ。

イライラして母に大声を出すことが日常茶飯事になっていました。

 

介護関連のブログとかをみてると、現在進行形で自宅介護している人のブログなんかもあって、

そういうのを見ると私は

「そんな余裕がよくあるなあ。すげえなあ」と感心してしまいます。

しかし、じつはそれがとっても重要なことで、私はそれをやらなかったから苦しかったんだ、と今となっては思います。

悩みや苦しみを吐き出すことが必要だった。

ネット上じゃなくてもリアルで誰でもいいから

「じつは母がこんなことを・・」と吐き出す場をつくればよかったんだなあ。

 

しかし、「悩み苦しみを吐き出すと楽になる」と考えると、

認知症でだんだん自分が壊れていくことをある時点まではおそらく自覚していた母は、

それをだれかに相談したり恐怖を訴えるとかいうことを一切しなかった(できなかった)ので、

ほんとうに苦しかっただろうなあ、と。

認知症初期の母は、自分がいろんなことができなくなってることを子である私にも悟られたくないと考えていたようで、

「~がわからなくなった」とか、

「認知症でこれからどうなるか恐ろしい」とか訴えることは全然ありませんでした。

 

私もそのときは

「母はこれからどうなってしまうんだろう」という恐怖しかなくて、

母の気持ちを慮ることは全然できなかったのです。

察してあげられなかったことを今はひたすら後悔します。

もっとやさしくしてあげられたはずでした。

 

このように、認知症が行くところまで行ってからようやく自分の至らなさに気がついて後悔するということが

ものすごく多いのです。

母の気持ちを考えてなかった、というのもそうだし、

たとえば夜中に眠らず家から出ていこうとしたり、便をポケットにしまったり・・・

といった症状に対しても、

その原因に対する理解がなかったから、

ただ「寝ろよ!」「なんでこんなことするんだよ!!」と怒るだけで終わってしまっていた。

怒ったところでなにも改善しないのに。なにもわかってなかったし、なにも考える余裕がなかったのです。

 

私のように親の認知症が悪化してから悩み苦しみ、

きちんとした介護をすることができずにあとで後悔するのを防ぐためには、

やっぱり「そうなる前に」よく勉強しておくことが大事なのかな、と。

私も母の認知症がすごく悪くなる前の段階(実際数年間はちょっと物忘れが激しいくらいのレベルで留まっていた)で

もっと情報収集と勉強をしておけば、

いざ徘徊や弄便が始まったときにうろたえずに

その行動の裏にある母の心情を汲み取って、

もっと優しく適切に対応できたかもしれなかったと思うのです。

 

しかし何度か書いてきたように、

介護というものは往々にしていきなり自分の身に降りかかってくるものであり、

備えておくことはなかなか難しいし、

ふつうは誰もが毎日を忙しく過ごしていてそんなことを考える余裕もない。

 

そんななかで介護や自分の老後や認知症に関してちょっとでも考えてみるキッカケをつかむために

「介護の日」の存在を広めることは有益なことなのでしょう。

 

自分だって明日にでも脳梗塞で倒れて要介護になるかもしれない。

自分の親だってもうすぐ認知症になって数年後には要介護になるかもしれない。

そういったことを「そうなる前に」少しでも想像し、そうなったときにどうすればいいのかを勉強しておくことが

大事だったのになあ・・・とひたすら後悔します。

 

「介護の日」に、そんなことを考えました。

私にとっては「介護の日」は「介護の失敗を後悔する日」となりました。

そんな後悔を将来しなくてすむように、年に一度「介護の日」に介護や認知症について考えてみるのもいいのではないでしょうか。

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