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認知症の人の医療

10月9日の読売新聞に、

「認知症の医療 誰が選択」という記事がありました。

 

要は、手術や延命治療などには本人の「同意」が必要なのに、

認知症の人の場合はそれが確認できないケースもある。

家族がいれば、家族の意見を「同意」とみなす医師が多いが、家族が悩んだり、

家族間で意見が対立したりするという問題もある・・・・

という記事でした。

 

私も昨年に父が亡くなりましたが、手術はなかったものの、

医師から判断を迫られる場面がたくさんあったり、

母も白内障の手術をしたときに、認知症があるばっかりに

ものすごく大変な思いをしました。

今回は、この問題について書いてみます。

「延命治療はするな」と言っていた父

父は元気な時、「延命治療は嫌だ」と言っていて、

何度もそれをきいていました。

なので、何度かヤバい状況に陥った時に、

「呼吸や心臓が止まった時の対処(あまり無理に蘇生を試みると胸骨がボキボキ折れるから)は?」

とか、

「自発呼吸が困難になったら人工呼吸器を使うか」とか、

いろんなことを私が訊かれ、私はすべて「本人は無理な延命は拒否する、と言っていましたので。」

と、迷いなく答えることができました。

食べ物を飲み込むことができなくなってきたときも、

胃ろうにすれば・・・と言われましたが、本人は胃ろうは嫌だ、と言っていましたので、

それも拒否しました。亡くなった時の直接の原因は「肺炎」でしたので、

はやく胃ろうにしていればそうならなかったかもしれませんが・・・。

 

こんな感じで、結局は、治療の方針はほとんど私が決めたも同然でした。

父の「延命治療は拒否」という意思も、「元気な時にそう言っていた」というだけで、

死に瀕してもそう思っていたかどうか、本人は表明できない状態だったので、

不安というか、「これでいいのか?」と悩んだのは事実でしたが

(後日、父が病床で書いたノートに、「はやくらくにしなせてくれ」「延命治療するな」

と書いてあるのを発見しました)。

 

私の父のケースでも、たとえば私が同居しておらず、医師が私と連絡が取れなかったら、

母は認知症ですから、治療方針について意思が確認できず困ったことでしょう。

 

やはり、元気なうちに、本人の手で、書面にしておいてもらうのが一番よさそうです。

そして、それを財布だの免許証だのと一緒に持ち歩いてもらう。

母の白内障治療

認知症の母は昨年、白内障の手術をやりました。

これがもう大変でした。

 

まず、認知症の人は「痛い」だの「いつもと違和感がある」「目が見えにくい」

とかいうことを、他人に対して表明することができない。

だから、周囲の人が気が付いてあげないといけないのですが、

外見からわかる病気ならともかく、そうでない病気ならなかなか難しい。

母の白内障の場合、なんか充血してるな~とは思っていて、

「痛い」ときくと「痛い」と言ったり「痛くない」と言ったりだったのですが、

ある日、充血していない方の目を隠して、

「これ何本?」と指を立てて見せると、

全然見えてないということがわかり、あわてて眼科へ連れて行きました。

すると、「緑内障の発作」ということで、とりあえず点滴で眼圧を下げ、

翌日、大病院の眼科で再度検査。緑内障とともに、加齢による白内障も

あるため、緑内障の治療も兼ね白内障の手術をやりましょうという話になりました。

認知症の人の医療の困難さを実感

このころの母は、言葉によるコミュニケーションが徐々に困難になってきた時期。

自分から発する言葉にはまだ日本語としての整合性があって、

他人の言うことも、簡単なことならなんとか理解

(美味しい?ときかれれば「美味しいね」と答えることはできていた)

できるくらいだったのですが・・・

治療はものすごく大変でした。

 

まず、あらゆる検査の実施が非常に困難。

視力検査で、「c」←どちらが開いてますか?と訊かれても、答えられない。

眼圧の検査で、「目を開けていてください」と言われると、目をつむってしまう。

医師が「こっちみて~」というと、そっぽ向いてしまう。

普通の人なら5分で終わる検査が、何十倍も時間がかかって、

結局できませんでしたなんていうのもありました。

 

で、白内障の手術の前に、眼圧が上がらないように、レーザーで

虹彩(角膜と水晶体の間にある薄い膜、だそうです)に穴をあける手術を実施。

普通なら15分くらいで終わる手術だそうですが、

じっとしてることができない、「ここをみて」といわれてもできないため、

ものすごく大変だったようです。

幸運にも医師が我慢強くやさしい方だったので、怒ったりせずがんばってやってくれて、

非常に時間がかかりましたが無事に終わりました。

 

レーザー手術は、あくまで応急的な処置で、

再発防止のためには白内障の手術もやってしまったほうがいい・・

ということだったんですが、白内障の手術は普通の人なら局所麻酔で日帰りでOKの手術。

しかし、認知症のためじっとしていることができないため、

全身麻酔でやるしかないということに・・・もちろん入院です。

 

全身麻酔となると、それが可能かどうかという検査もいろいろやるわけですが、

それがまた困難。呼吸機能の検査とか、「息吸って~」「吐いて~」とかいうことすら

まともにできなくて、何十回も繰り返してやっとまともな数字がでたようでした。

入院生活は悲惨そのもの

そして、入院、手術。

手術前に、頻繁に、しかも時間を正確に測って、

点眼をしないといけないんですが、

当然本人にはできないので、これは私がやりました。

 

手術そのものは全身麻酔でしたから、問題なく終わりましたが、

白内障の手術後は、目を触っちゃいけないんです。

しかし、「触るな」ということが覚えられない、守れないので、

言い方は悪いですが手を拘束された状態にされました。

勝手にフラフラ歩かないように、腰も拘束。

人によっては、ストレスで騒いだりするようですが、幸いにも

私の母はおとなしくしていました。

しかし、ベッドに縛り付けられたその姿は、

あまりにも悲惨、気の毒。

白内障の手術だけでもこのありさまで、

もっと大きな病気になったらどうすればいいんだろう・・・。

 

とまあこのように、認知症の人が医療にかかることは、

手術や延命治療の同意うんぬん以前に、

普通の人ならなんてことない治療でも、介護者にとっても本人にとっても、

たいへんな労力を要することになってしまいます。

まあ、しょうがないんですけど、

せめて、冒頭に書いたような「意思が確認できない」という事態を防ぐために

(いまは、誰もがいきなり、認知症になったり介護者になったりする可能性のある社会ですから)、

いざそのときが来ても困らない(絶対に困るけど)ように、

「もし、私が認知症になったり、死にそうになったりしたら、こうしてくれ」ということを、

50代くらいになったら(それでも早すぎないと思う)書き記しておくべきですね。

 

認知症と医療については、また機会があったら書いていきます。

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