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砂川啓介著「娘になった妻、のぶ代へ」を読んだ

去る7月11日に、ドラえもんの声で有名な大山のぶ代さんの夫で

俳優・歌手の砂川啓介さんがお亡くなりになりました。

大山さんが認知症を発症され、それを砂川さんがひとりで在宅介護されていたことは

ひろく世間に知られていて、「ペコ(のぶ代さんのニックネーム)より先に死ぬわけにはいかない」

とおっしゃっていたのですが・・・。

この話題はもっとはやく書こうと思っていましたが、

砂川さんの著書「娘になった妻、のぶ代へ」を読んでからにしようと思いのびのびになっていました。

amazon.co.jp 娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記
今回はこの本の感想などについて。

わかるわかる、つらいよね、という気持ちと・・・

インターネット上のブログや書籍などで、

いわゆる「介護日記」みたいなのってたくさんありますね。

私もそれっぽいものをちょこちょこ書いているわけですが、

他人の書いたものを読むのは、

プラスになるところとマイナスになるところが両方あって、

なかなか気がすすまないんですよね。

なぜあまり読みたくないか、というと・・・。

 

大部分が、「うんうん、わかるわかる、そうだよね、つらいよね・・」という、

自分にも身に覚えのある内容で、

「みんな同じようにつらいんだな・・」と感じます。

それはいいんですけど、それと同時に、

 

「ああ、自分にはなぜこういうふうにうまくできなかったんだろう」

「こうすればよかったのに、どうしてそれに気が付かなかったんだろう」

「どうしてこんなふうにやさしくしてあげられなかったんだろう」

 

という後悔がわき上がってくるからです。

 

母が認知症と診断された当初には、

ものすごく認知症がひどくなったときのことが想像できなかったので、

本を読んでみようとかいう気にならなかった。

認知症がすすんで介護が苦しかったときには、

本を読もうとかいう余裕がなかった。

ほんとうはそういうタイミングで読まなければならなかったのです。

 

で、いまとなっては、これまでの自分の失敗、いたらなさを思い知らされるので読みたくない。

 

というわけで、基本的にこういったものは読む気がしないのです。

それでも今回は、老々介護を頑張っていて、介護していたほうがついに力尽きてしまった

という悲しすぎる出来事で、読んでおかなければ、という気になりました。

ひとりでする介護の限界がよくわかる

この本が出版されたのは2015年10月で、

砂川さんは大病を何度かした後なもののまだ仕事もしていて元気、

大山さんはまだらボケという感じで、砂川さんなど周りの人が誰なのかわかるくらいだけれど

トイレなどは失敗することが多く、家事はほとんどムリになってきている・・くらいの状況

だったようです。

(この翌年に砂川さんは今回の死去の原因となる尿管がんと診断され入院、やむをえず大山さんを老人ホームへ入居させたそうです。)

 

大山さんの症状について書かれている部分を読むと、

「ああ、うちの母と同じことやってる・・・」というところがけっこうあって、

やはり苦しかった在宅介護のころを思い出し、

そして優しくできなかった自分を思い出して、

苦しくて過呼吸に陥りそうになりました。

 

鍋を空焚きしたりとか、リビングの引き出しに料理をしまったりとか、

お風呂に入ってないのに入ったと言い張るとか、

便をそこらじゅうに落としたりとか・・・。

こういうのは、慣れてしまえばどうということはないものもあるんですけど、

はじめてそれをやらかした時の衝撃は忘れることはできません

(私の母も大山さんと同じように料理が得意でしたが、あるときお皿にのって出されたものが前日に流しの三角コーナーの中身を拾った生ゴミだったときは、ほんとうに絶望的な気分になりました。)。

 

さらに、言い聞かせても理解しないので、つい怒鳴ってしまって自己嫌悪に陥るとか、

まさに「あるある」という体験談が書かれていて、共感できる部分は多かったです。

 

しかし、介護保険をつかうのをためらったり、

他人に認知症であることを知られるのを避けようとしたり、

自分が頑張らなきゃいけない、みたいな考えにとらわれて、

しなくてもいい苦労をたくさんしたのではないかな、という感じもしました。

なかにはできる人もいるんでしょうが、基本的には認知症の介護はひとりではムリ、

ということを知るべきだと思います。

介護保険や施設を使うのは罪悪ではない・・・と考えるべき

「・・彼女を介護施設に預ける気にはなれなかった。いや、まったく考えたことがないと言ったら嘘になる。施設に入ってもらったほうが、僕は楽になるかもしれない。そう思ったことも確かにあった。

でも、カミさんはどうなるのだろう。

ほかの入居者から「大山のぶ代が来たぞ」・・・・などと見せ物にされ、騒がれるかもしれない。そう考えると、どうしても介護施設に入れるとなれば個室に入れざるを得ないだろう。・・・・一人でぼーっとする時間が増えれば、もっと認知症がすすんでしまう恐れだってある」

 

という文章がありましたが、かなり勘違いをなさっていた部分が多いですよね。

たしかに、大山さん自身は「家にいたい」と言っていたらしいので、

それを尊重したい気持ちはわかる。

 

しかし、たとえば警官や検事だった人が刑務所に入ればそりゃあ壮絶なイジメを受けるでしょうが、

介護施設で「大山のぶ代だ!」って騒がれたりなんてことにはまずならないでしょう。

ほかの入居者だって大部分は認知症なわけで、他人にそんな関心を持つ人などまずいない。

関心をもつのは、面会に小さな子どもなどが来たときくらいじゃないでしょうか。

 

さらに、個室に入れたら一人でぼーっとする時間が増える、というのも間違いでしょう。

夫との二人暮らしのほうが、よほど脳への刺激が少なくなって良くないのでは。

施設へ入れば他の入居者や介護職員さんとのふれあいが生まれるわけで、

そのほうが認知症に対していい作用が働くかもしれない。実際私の母はそうでした。

 

さらに、マスコミにいろいろ書かれたり、あるいはドラえもんのイメージを崩したくない、

という理由で、認知症であることを知られることを非常に嫌っていらしたようで、

そうするとますます大山さんは「ひとりでぼーっと」することになるし、

なによりも、介護者がひとりで抱え込みすぎてへたばってしまったら共倒れになってしまう。

 

こういったことを親友である毒蝮三太夫さんに言われて、ラジオで認知症であることを

告白されたとのことですが、

やはり友人なり親族なり近所の人なりに現状を知ってもらって相談する、

というのはものすごく重要なことだな、と思います。

 

私の場合は友人がほとんどいないし、親族はクソの役にも立たなかったし、

頼りになったのはかかりつけのお医者さんや行政や介護施設の人たちでした。

 

砂川さんは結局、亡くなるまで大山さんとの二人暮らしをほぼ貫いたわけで、

それはおふたりにとっては幸せなことだったのかもしれませんが、

なにが幸せかは人それぞれ。

施設での生活が不幸だとも限らないし、

施設に入ってもらって介護の負担を減らして、余裕をもって接したほうが、

介護者と被介護者双方にとって幸せ、という考え方もある。

ひとりで悩んでいるとなかなか固定観念から抜け出せないので、

介護者はプライドをすてて誰にでも頼るべきだな、と思います。

とても悲しい気持ちに

「先に死ねない」とおっしゃっていた砂川さんは亡くなってしまい、

なんと人生は理不尽なのだろう・・という気持ちになりました。

 

あと、細かい感想を述べると、

「マネージャーの小林」さんが大山さんの入浴などの面倒を見てくれている、

という記述があって、マネージャーという立場の人がそんなことまでやってくれていたのか・・・

と、そのこと自体にちょっと驚きました。ふつうやらないでしょ。

そのへんについては砂川さんはサラっとしか書いてないんですけど、

10ページくらい「マネージャーの小林」さんについて書いてもよかったくらいでは。

その「マネージャーの小林」さんがどう感じながら介護を手伝っていたのか気になりました。

 

今後も、介護日記的な本に挑戦して、記事にしていこうと思っています。

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