本ページのリンクには広告が含まれています 認知症・介護 認知症の進行をふりかえってみる

老老介護のはてに3人殺害の72歳被告に懲役18年判決。これは妥当なのか。

ちょっと遅くなりましたが、非常に痛ましいニュースでこれは記事にしておかなくては・・・と思っていたことを。

1月5日に報じられていたニュース。

介護の末に義父母と夫の3人を殺害したとして、殺人罪に問われた福井県敦賀市道口、会社員岸本政子被告(72)の裁判員裁判の判決が5日、福井地裁であった。河村宜信裁判長は「介護疲れを契機とし、多分に同情の余地がある」としつつ、結果の重大性を踏まえ懲役18年(求刑懲役20年)を言い渡した。

(引用元→朝日新聞デジタル 介護の義父母と夫の3人殺害 72歳妻に懲役18年判決

こういうことはたくさん起こっているし、そうなる寸前といういわば介護殺人予備群という状況の人もたくさんいるはずで、18年という量刑もいろいろ議論が起こってしかるべきな重大な判決。しかしコロナのせいもあってあまり話題になってないようです。こういうのについて「これってこれでいいの?」という問題提起をしないなら、テレビのワイドショーだのは存在価値ゼロだと思うんですけどね。

少なくとも、壮絶な在宅介護を体験したことがあれば、「18年?ほんとうなの?あまりにひどい」とやるせない気持ちになるはずです。

3人を殺害すれば量刑の相場は死刑となるが・・・

刑法によると殺人罪の量刑は「死刑または無期若しくは5年以上の懲役」となっています。

ものすごく量刑の幅が広いですね。一人を殺害して死刑の例もある一方で、最近は介護を苦にしての殺人などは懲役3年に減刑され執行猶予がつく、ということも増えてきてはいるようです。

しかし今回は3人を殺害。2人以上殺害すると死刑の確率がグッと上がり、情状酌量されても無期懲役・・ということが多くなる。

 

すると、3人を殺害した被告に懲役20年の求刑をした検察も、懲役18年という判決を下した裁判所と裁判員も、介護が大変だったんだろう、という事情を精いっぱい組んだ結果そういう判断をした、ということにはなるんでしょう。裁判長も

「献身的な介護を続け、対処能力を超え、追い込まれた」「これまでの被害者3人の殺人の事案と比較し、明らかに軽い量刑が相当」と言及しつつも「結果の重さなどから刑事責任は非常に重い」などと理由を述べた。

・・だそうです。

しかしですよ、被告は72歳。懲役18年では獄中で人生を終える可能性も高い。そう考えると実質的には無期懲役、っていうか終身刑と同じなわけで、はたして懲役18年っっていうのは「明らかに軽い量刑」なんだろうか、という疑問が出るのは当然じゃないかと思うんですよ。

ひとりを介護するのも大変なのに、3人をひとりで介護・・・

これまでに何度か書いてきましたが、このブログ開設する数年前までは私も両親を在宅介護していました。

最初は父が元気で、父とふたりで認知症が発症した母の面倒を見ていましたが、あるとき父が倒れて状況が急変。歩けなくなりいきなり寝たきりになった父と認知症の母のふたりを、私が介護することになってしまった。私に妻や子供がいたりすればまた違ったことになったかもしれませんが不幸なことに私は独り者。紙おむつなんか触ったこともないのに(父はしばらくのあいだトイレにも座れなかったので)父のおむつを替える毎日が突然訪れた。

父が倒れると母の認知症もすごい勢いで進行し、私は父の介護をやりながらすべての家事をこなし、そのあいだじゅう不穏な行動をとり時に勝手にいなくなってしまう母にひたすら振り回されることに。

このときは母は元気に歩き回れていて、お風呂にもトイレにも一人で行けていましたからその点ではそれほど手がかからなかったのですが、「歩き回れる」「元気」だと逆にたいへん、っていうのがあるんですよ。目を離したスキになにをしでかすかまったく予測できない。

このころの、二人を私ひとりで介護していた時期はほんとうにつらかった。勝手なことばかりして仕事を増やす母に私はすぐ大声で怒鳴るようになり、自分がまともじゃなくなってきているのが自分でわかりました。

兄に「これでは自分の仕事ができないからいつか経済的にも破綻する。介護は俺がやるからそのかわりにカネを出してくれ」って言ったら「そんな余裕はない」と言われて、ブチ切れて電話機を叩き壊したり、今考えると自分でも信じられないような精神状態に。自分の子供たち(両親にとって孫)に自分の親がどれだけカネを使ってくれたか、そんなことはケロッと忘れて、老いた親の生活のためのカネをケチる。私の数倍の稼ぎがあるくせに。死ねばいいのに・・・と本気で思いましたね。

親族は自分の生活を優先したいから基本的に助けてくれないことが多く、介護サービスだってカネがなければ受けられない。被介護者だってプライドのある人間なので自分の思うように行動してくれないこともある。しかも子育てと違って状況が改善する希望や努力が実を結ぶ可能性はほとんどない。在宅介護っていうのはもれなく本当につらいことなわけです。家族がたくさんいて、みんなで一丸となって一人を介護してる、っていうんならまだしも、一人で介護するっていうのは被介護者がたとえ一人であってもとてつもなく大変なことです。

 

それがこの事件ではなんと一人の老人(72歳)が三人の老人(90代の議父母と70代の夫)を介護していたという。

いやいやいや・・・これはもう無理でしょ。いつか限界が来るに決まっている。私は両親を殺してしまおうとは思わなかったけど、「どっちかだけでも死んでくれたらどれだけ楽か」とは思ってましたし、「このままでは父と母を殺すかも」と恐れていましたから、まずは父に老人保健施設に入ってもらって(ものすごく嫌がったけど)、介護の対象を母だけにしてなんとか最悪を逃れた。

しかしそれも、私は幸いにしてそれが可能な経済力が一応あったからであって、この被告は会社員って書いてあるけどまともに仕事はできなかったでしょうからおカネも余裕がなくて施設に入れることは不可能だったのかもしれないし、もしカネがあっても施設に空きがなければ入れない。もしくは性格的に「施設に入れるなんてかわいそう」という気持ちがあったのかもしれない。

おそらくそういう八方ふさがり状態で介護が続いていたんでしょう。判決では「適応障害」を発症していたと認定したそうですが、いやいや、これはもう「心神耗弱」もしくは「心神喪失」の状態になってなかったのか、そこを鑑定するべきだったんじゃないのか。

報道によると、

判決は、被告が16年から義父母の介護と、脳梗塞(こうそく)の診断を受けた夫の世話を1人で担う負担から適応障害を発症したと認定したが、犯行前後の行動の合理性などから「適応障害の影響は限定的」として弁護側の主張を退けた。

だそうですが、「犯行前後の行動の合理性」なんてのはカンケーありますかね。私も経験しましたが、あるきっかけでグワ~てキモチが高ぶって「もう死ね!」と思っちゃうことって在宅介護の中ではしょっちゅうあるわけですよ。そんなことはない、っていう立派な人も世の中にはいるんでしょうが、私のような未熟者はそうはいかない。在宅で相手が自分の肉親だからこそそうなりやすいと思います。しかしその直後我に返って、そういう気持ちになったことに対して自己嫌悪に陥り、ますます絶望的な気分になる。適応障害であっても同じなのでは?犯行後に我に返って合理的な行動をとっただけでしょ。

裁判員の存在の意味は?

思うに、懲役18年という判決は重すぎる、という声が出てこないのは、在宅介護の大変さや、被介護者を施設に入れたりといったサポートを受けるカネもなくて逃げ場がない、という人もたくさんいる、ということを社会全体で共有できてないからじゃないかと思うんですよね。

私のように兄弟など親族が誰も助けてくれない場合もあるし、そのうえカネがないのならどう頑張ってもその危機的状況から抜け出せないということもある。

そういうことは、介護しなければならない状況に遭遇してみないと、どうしても「他人事」としてしかとらえられない。

私の兄たちも、自分の親のことでありながら、私が老人保健施設や特養にどれだけのカネを払ったか知らないし(いまだに1円もそのカネを出そうとはしないし、老健と特養と有料老人ホームの違いすら知らない!)在宅介護のなかで母がどんなことをして私が発狂しそうになったかも知らないし知ろうともしない。興味がないからです。どこまでも他人事だと思っているからです。

 

裁判官なんて仕事をしている人は、ほとんど間違いなく在宅介護の経験はない(在宅介護しながら裁判官の仕事はムリでしょ)でしょうから、三人を介護してればおそらく精神が崩壊するところまで行くだろうな、ということは想像できない。裁判官も神ではないのでそれは仕方がないからこそ、法にのっとって判断して「18年」なんでしょうが、裁判官の人生経験が不足しているのを補うために「裁判員」ってのはいるんじゃないのか。

私は裁判員制度には徹底的に反対(裁判員が必要だとしてもそれは刑事裁判ではなく行政訴訟のほうでしょ)なのですが、こういう事件で「市民感覚」が反映されないならまさにクソそのものな制度じゃないでしょうか。ひょっとして市民感覚が反映された結果がこれだったのかな。

まあ選ばれた裁判員が若い人で介護なんて自分には想像もつかない、という人であれば「どんなに介護が大変でも殺すなんてありえない」という正論を吐くでしょう。おそらく世の中の大多数の人はそう考えるから、この判決はとてつもない温情判決・・・ととらえられているのでしょう。だから「これって妥当なの?」という声が上がってこない。

 

しかし想像力があれば、その状況なら「全員殺してこの苦しみから解放されたい」と、どんな人でもなるだろうな、とわかるし、厳密には他人である夫と義父母をひとりで懸命に介護してついに力尽きてしまった結果が実質的な終身刑・・・となれば、なんてクソッタレな世の中なんだ・・・と絶望的な気分になるでしょう。

もちろん、どれだけつらかったとしても殺人はやってはならないことだというのはその通りだし、心神喪失と判断されないのであれば無罪はムリというのはわかります。法に照らせば18年は破格の軽い刑、というのもわかる。

しかし・・・二人を介護して血ヘドを吐くような苦しみを味わった身としては、一生懸命介護をして間違いを犯した人が実質終身刑に処されるのはあまりに耐えがたいことで、もうちょっとなんとかならなかったのかなあ、と感じます。

それに、被告に重罪を課したところで、こういう悲惨な状況になる人が見過ごされる世の中が変わっていかなければどうせまた同じことが起こるので意味ない。罰を重くしたところで介護で苦しんで追い込まれているような人が殺人を思いとどまる抑止力にはならない。

 

いちばん残念なのは、「この事件、懲役18年って妥当なの?」という声がネットにも報道にも見当たらないこと。世の中はコロナ一色だから仕方がないのか。

ともかく、弁護側は控訴してほしい。マスコミはもっと一生懸命報じてもらって、もっと議論が沸き上がってくるようにしてほしい。続報に注目しています。このまま確定したら本当に悲しい。

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