突然のことでびっくりしました。
戦後歌謡界をけん引してきた大作曲家、船村徹氏が2月16日、お亡くなりになったそうです。
享年84。ご冥福をお祈りします。
長きにわたって横綱審議委員もやっていらっしゃいましたね。
今回は追悼記事ということで,
船村作品について書いていきます。
名曲だらけの中で私が「これを聴け!」という曲は
船村作品で私がすぐに思い浮かぶのは、
「王将」(言わずと知れた村田英雄の大ヒット曲)
「兄弟船」(これも超有名、鳥羽一郎)
「風雪ながれ旅」(北島三郎の師匠としても有名ですね)
「女の港」(大月みやこ)
「みだれ髪」(美空ひばり。天才にしか書けない曲!)
とかなんですけど、個人的にもっとも好き、というか聴くたびに必ず涙腺を打ち砕かれるのは
「のぞみ(希望)」。
船村氏は若いころから刑務所の慰問をしていて、
この曲は女子刑務所の服役囚にむけて歌っていた曲だそうです。
もともと売る目的の曲ではなかったらしいのですが、
入手可能な音源をさがしたところ、↓これに入っているようです。
この曲はなにかのテレビ番組で知ったのですが、
服役しているという身でなくとも、人目を憚らずに落涙すること必至の感動の名曲。
これを聴くたびに、服役しているわけでもいないのに、
「命の限り 美しく」生きていない、生きることができない自分を後悔するのです。
この曲を聴く服役囚はどんな気持ちで聴くのだろうと考えてみたり
(「ここ」から出ても「母」にも「坊や」にも会えない人もたくさんいたことでしょう)、
娘の出所を待つ(待ってないかもしれない)「母」のこころを想像してみたり、
「坊や」は母がどうしているか、わかってるのかわかってないのか、を考えてみたり、
さらに私自身の生きざまについても考えさせられるのです。
こういう、心を揺り動かされる曲こそが、絶望だらけの人生を前向きに生きるためには
必要なのだと思います。
さらに、「男の友情」なども、私にとっていつも心を揺さぶられる名曲。
元気だったのに突然亡くなる、というのは・・・
ここからは曲に関係ない話。
船村氏は1932年生まれで、一昨年亡くなった私の父と同じなのです。
私の父の葬儀のときに葬儀屋さんが言っていたのですが、
どうも82~84歳くらいという年齢で亡くなる男性は多いそうで、
そこを無事に超えるとさらに長生きするケースが多いんだとか。
体感でそう言っているだけで、統計的にはどうだかわかりませんが、
葬儀のプロの言うことなのである程度そういう傾向はあるのかもしれません。
で、私の父の場合、もう病気のデパートみたいな状態で、
最後は寝たきりになり、水を飲むことすらできなくなり、苦しんで苦しんで亡くなったのですが、
船村氏は心臓手術をした後で療養中だったものの、
前日の夜にはカレーうどんを食べちゃうくらい元気だったそうで、
予期しないことだったようです。
語弊があるかもしれませんが、元気だったのに突然、というのは、
人生の幕の閉じ方としては理想的、というか、
父の悲惨な亡くなり方をみた私としては、うらやましいとすら思えてきます。
いわゆる「ピンピンコロリ」というやつです。
この「ピンピンコロリ」はつまり「突然死」というわけなので、
「突然死」がはたしていい死に方なのか?ということを言う人もいるようですが、
私は死ぬなら突然死したい。
まあでも、これは父の苦しみをみたからこういう考えになっているわけで、
親族を突然亡くす体験をされた方は突然死は嫌だ、というかもしれません。
私もそういう体験をすれば「やっぱり死ぬ準備をして、いろんな人とお別れをしてから死にたい」
と言うかも。いや、別れを告げたい友達とかは数人しかいないのでそうは思わないかな。
こんな余談はともかく、後進の作曲家・歌手のみなさんには、
船村氏の「歌は心でうたうもの」という言葉を受け継ぎ、
演歌・歌謡界を盛り上げていってほしいです。