本ページのリンクには広告が含まれています 認知症の進行をふりかえってみる

認知症の周辺症状の話②~徘徊が始まった~

私の母の認知症の進行を振り返る記事の続きです。

前の記事→認知症の周辺症状がいきなり始まった①~睡眠障害~

にて、父が亡くなってから、認知症の「周辺症状」といわれる

問題行動が始まった旨を書きました。

今回から「徘徊」について書いていきたいと思います。

徘徊で行方不明になって、警察のお世話になったことが2回ありまして、

そのうち1回はあやうく野垂れ死にさせるところでした。

なので、思い出すだけで冷や汗が出てくるので本当は書きたくないのですが・・・。

徘徊のメカニズム

徘徊には、

①「買い物、散歩、トイレなど、何か目的があって行動した結果、

自分がどこにいるかわからなくなって歩き回る場合」

②「不安・興奮・せん妄・じっとしていられない気持ちなどが引き金になって生じる場合」

があるとされています。

引用元書籍↓

amazon.co.jp 認知症の正体 (PHPサイエンス・ワールド新書)

買い物に出かける→いまどこにいるのかわからなくなる(見当識障害)

→出かけた目的も忘れる(記憶障害)

→人に尋ねるなど、解決を図れない(判断力の低下)

→保護され、なにしに出かけたのか訊かれても答えられない

→理由もなく外出した、ということで、「徘徊」と判断される・・・

というのが、認知症にともなう徘徊のメカニズムだ、と説明されています。

周辺症状にはなにか理由がある

上記の徘徊のメカニズムの説明をみてわかりますが、

本人は「買い物に行く」という理由があって行動した結果、

周りの人からは「徘徊」といわれてしまう。

私の母が以前によくやった「弄便」→施設にいる認知症の母が、ついにやらかしてしまった

も、おむつの中に排便してしまって、気持ちが悪いからなんとかしようとした、

とか、おもらししたのが恥ずかしいから隠そうとした、とか、

本人からしてみればなにか理由がある、といわれています。

 

だから、その原因や、そういう行動をとってしまう背景や心理を理解し、

けっして本人の言うことややることを否定しないで付き合っていくことが重要・・

と言われますが、当の介護者にとってはそんなに簡単なことではないんですよね。

私も、夜中に何度もガサガサ起きだして「おかあさんのところへ帰らなきゃ」

と騒ぐ母に、「うるせえな!早く寝ろ!!」と怒鳴ったことは数え切れません。

認知症介護を未体験の人は、「そんな程度のことで怒鳴るなんて・・」と思うでしょうが、

この程度のささいなことでも、100回200回、それがひたすら毎日続き、

しかもいつまで続くかまったく見当がつかないんですから、

介護者の精神は壊れてしまうのです。さらに、怒鳴ってしまったことで、

かわいそうなことしたなと自己嫌悪に陥り、ますます介護者は追いつめられるのです。

1回目の徘徊・行方不明事件

で、父が倒れてから周辺症状が出始めた私の母。

最初に警察にお世話になった徘徊事件は、父の入院中に起きました。

 

これは認知症が出始めたころからなんですけど、

母が家に閉じこもりがちになるのを防ぐためと、

母が楽しめればいいかな、と思って、

母をパチンコ店に連れていくことけっこうあったのです。

 

認知症が軽いころは、パチンコのゲーム性もそこそこ理解していたようで、

海物語で大当たりすると「あ・・・揃ったよ・・・」とか言ってたんですけど、

だんだんにそれもわからなくなり、ハンドルを握っていることすらできなくなりました。

パチスロも、ハナハナとかを隣で打たせたりしてたんですけど、

認知症がすすんでくると、コインを投入→レバーオン→ストップボタンを押す

ということすらできなくなってきました。

 

で、父が倒れたころはパチンコもパチスロも、できなくなってきたかな?というころ。

私の気晴らしと稼ぎのため、母を外に出して気分転換させるためと考えて、

パチ屋に連れて行ったのです。

 

で、いつもは隣で打たせていたのですが、この日は頭の調子が悪かったようで、

コインを握ることすらせず、ぼーっとしたまま。

打たないのに座っているのは迷惑行為なので、

休憩スペースに連れて行って、「テレビみながら待ってて」と言って、

私はパチスロを続けました。

ちょっと出ちゃってたし、私が打っているところから休憩スペースは見えるので、

母がそこにいることを確認しながら打っていました。

いつのまにか消えた

ものすごく気をつけてみていたつもりだったのですが、

連チャンが終わって、休憩スペースをみてみると、いない。

いない。いない。店内のどこにもいない。

トイレに行ったか?と思って、女性スタッフにたのんでトイレを見てもらうものの、いない!

まさか!まだ遠くへは行っていないはず・・・と、

ダッシュで周辺をさがしまわりましたが・・・いない!

車に乗り、しばらくぐるぐるまわり、30分ほどさがしたところで、

こりゃあもうだめだ、と思い、交番へ向かいました。

時間的には昼の2時くらいだったかと思います。

 

交番へ行くと、だれもいない。

「御用の方はこちらから電話してください」みたいな電話機がおいてあって、

そこから警察署へ電話しました。

警察官とのやりとりは、気が動転していてあんまり覚えてないんですが、

「認知症の母がいなくなっちゃいました」

と伝えると、場所はどこかとか、何分前くらいにいなくなったのか、とか、

どんな服装なのか、とか、名前を訊かれたら本人は答えられるのか、

(このころは、~さんですか、と訊かれれば、「ハイ」と答えられるくらい)

などを訊かれ、すぐさがしに出動します、と。

さらに、地域の防災無線で放送していいか、と訊かれ、お願いします、と答えました。

新聞やラジオなどで報道をすることもできる、と言われましたが、

それはいやだなあと思ってとりあえず断りました。

 

で、念のため写真を持ってきてくれ、と言われましたので、

急いで家へ帰って、背格好や顔がわかる写真をさがし、警察署へ。

その道すがら、防災無線が、

「こちらは、広報○○です・・・。本日、~時ころ、○○○○さんが、

~(場所)で、行方がわからなくなりました。服装は~で・・・・」

と、私の母がいなくなったことを放送しているのをききました。

時期的にはそんなに暑くも寒くもないころだったんですが、

なにしろ田舎なもので、ちょっと道を外れて山の中にでも入り込んでしまったら、

もう見つけることはかなり困難になるし、日が暮れるまでにみつからなかったら

野垂れ死にの可能性が大きくなります。

なにがなんでも見つけなくては!・・・

 

パチ屋に連れて行って目を離したスキにいなくなって野垂れ死にさせたなんて

ことになったら、一生後悔することになる、という焦りを抱きながら、

母の写真をもって警察署へ。

「見つかったら電話しますから、息子さんも心当たりをさがしてください」

と言われ、車でぐるぐるぐるぐるさがして回りましたが・・・。

長くなるので続きは次の記事にて。

パチ屋で母にいなくなられて警察のお世話になる、なんて、

バカ丸出しなことで、ほんとうは記事にしたくないんですけど・・・。

次の記事→認知症の周辺症状の話③~徘徊で警察に出動依頼、そして・・~

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