認知症の兆候が現れたころの話

      2017/08/30

最近家族が認知症だとわかった、とか、

うちのおじいちゃんひょっとして認知症では?

と、そんな方々は、とてもとても不安だと思います。

私もそうでした。

実は、認知症かもしれない、認知症になってしまったという

本人が一番不安にさいなまれるはずですが、

うちの母はそういうことは全然言わなかったので、

私は、本人が不安だろうということは考えられず、

「このままどんどん進んだらどうしよう・・・」

と、自分のことばかり考えていました。

そういう意味で、あまり優しくしてあげられず、

すごく後悔しています。

「認知症が進行するとこうなる」

ということが、本当の意味では全然わかっていなかったので、

進行しないうちにやっておかなければならなかったこと、

してあげなければならなかったこと、

そういうのがわからなかったのです。

認知症と診断されて8年ほどの今となっては、

私の顔をみても「自分に関係する人間」ということは認識しても、

「自分の息子である」ということはわからない状態です。

こうなってしまっては、親孝行しよう、楽しい思いをさせてあげようとしても、

いまさら遅いのです。無意味ではないですけど。

そう考えて、うちの母の認知症について、

「最初はこうだった」「このときにこれをやっておけば・・・」

「こうしてあげればよかった」「だんだんこうなっていった」

ということを書いておくことにしました。

もう認知症はありふれた病気になりつつあるので、

いま、自分には関係ないと思っている人たちにも

読んでいただきたいと思います。

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明るくて、手先が器用、料理も上手だった母

手先で細かい仕事をやっていると認知症予防になるとか

いう話をよく聞きますが、私の母は細かい仕事が

大好きでした。いわゆる手芸が趣味で、

こどものころは巾着袋とかリコーダーの袋とか、

給食のときにつかうナフキンとかを作ってもらいました。

年をとってからは吊るし雛とか人形とかを作っていました。

料理も、つくるには手先で細かいことをするし段取りを

頭で考えなければいけないので、認知症予防にはよいといわれていますが、

母は料理も得意で好きでした。膨大な量の料理ノートをつくり、

いつも新しい料理にチャレンジしていました。

だから、母が認知症になどなるはずがない、と思っていました。

しかし、いまとなってはボタンつけすらできず、カップラーメンでさえも

つくることは不可能になってしまいました。

最初はただの度忘れと区別できない

最初に「大丈夫か?」と思ったのは、

とにかく同じことを何度も言うようになったこと。

私がお風呂にはいったあとに、「早くお風呂入ってきなよ」

と言ったりとか、さっき戸締りをしに玄関に行ってきたのに

「鍵締めてこなきゃ」と言って立ち上がったり。

こんな程度なら年をとればだれでもあるだろ、というくらいの

ことで、父も私も最初はあまり気にしてませんでした。

でも、こういうことが起こる頻度が徐々に増えていきます。

「お風呂はいってきなさい」というのも、

最初のうちは「もうさっき入ってきたよ!」と答えれば、

「あっ、そうだっけ」と言って終わっていたものが、

だんだん何度もこのやりとりを繰り返すようになってきます。

父と私も「まさか・・・」という不安が持ち上がってきました。

続く。

認知症は医者に診せるまでが大変

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それではまた。

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