本ページのリンクには広告が含まれています ギャンブル依存問題 パチンコ・パチスロ雑談

パチ屋に行くモチベーションが保てない

長らくバドミントンの第一人者だった桃田賢斗選手が日本代表を引退するそうです。引き続きバドミントンに関わっていくそうですが、長いことお疲れ様でしたと言いたい。

私はバドミントンはルールすら知りませんが、この人に関してはいつも応援する気持ちでいたし、活躍しているニュースをみると嬉しかった。それはやっぱり、違法賭博での失敗と交通事故という不幸な出来事を経験しつつそのたびにみずからの努力によってよみがえってきたという人だから。

なにか不祥事を起こしても選挙民が忘れるまで待てばいいや、というヌルヌルで誰でも務まる政治の世界と違って、スポーツの世界は実力がすべて。大谷さんと比較するとどこまでも運がなかったようにみえる人ですが、その不運を努力でおしのけ、実力でバド界に君臨し続けた。違法賭博が問題になったときは誰もが「これで彼は終わった」と思ったでしょう。

ふつうなら違法賭博でリオ五輪がパアになったらもう自暴自棄になってやめちまうかつぶれてしまうところでしょ。しかし彼はそれで「勝つことだけが全てではない」と悟り、「コート内外での行動で応援されるような選手になりたいと思ってやってきた」そうで、そこが現役時代に「勝つことが品格」などとぬかし続けあげくに弟子が暴力事件起こして部屋をつぶしたどこぞの元大横綱あたりの「勝利至上主義者」と違うところ。桃田選手のような人をみると「勝つことが品格」などというのがいかにみっともないタワゴトかというのがよくわかる。

次のオリンピックにも出るんであろう水泳の飛びこみの某選手は、ケガしたら大変だからとかいう理由で学校の体育の授業の球技に参加せず見学してたらしいが、そういうことじゃあいけないってことなんじゃないかな。私がクラスメイトなら「お前何様だよ」と思って「応援したい」などとは1ミリも思わない。お前は俺たちが一生懸命やってる球技の授業なんて自分の夢と比べたらアホらしくてやってられないってわけか?となる。体育の先生だってメンツ丸つぶれで「お前のことなんぞ知るか勝手にしろ」「応援なんぞしてやるものか」ってなるでしょ。私がクラスメイトの親なら「差別するな」「オリンピック選手だからそれがどうした」って学校にクレーム入れますね。まあ親か指導者の言うなりになってて本人にはそんなつもりはなかったんだろうけど、それにしても彼は授業を見学しながら「みんな一生懸命やってるのにこれでは悪い」と思わなかったんだろうか。これぞまさに悪しき勝利至上主義の典型。マスコミもこれを「ストイック」などと言ってまるでイイことのように報じてて心の底から呆れた。

その話は前にも書いたかな?いずれにしても桃田選手の言う、自分の世界の外での行動も含めて応援されるような選手になりたい、というのはそうそうカンタンなことではないんでしょうね。たいていの人間は「勝てばいい」というところで終わってしまうから、「勝つことが品格」とかぬかしたり、学校の授業なんぞどうでもいい、とかいうふうになってしまう。

オリンピックでも誰かがメダルとったときだけ大騒ぎして褒めちぎり、期待された結果が出なかった人は黙殺するかひどいときは叩きまくる、という勝利至上主義的な報道やファンの声でいっぱいになってほんとうにイヤになるんですけどね、桃田選手の言う「勝つことだけがすべてではない」という意識がもっと浸透してほしいと願うばかり。

 

そのへんはともかく、その桃田選手のときも話題になった「違法賭博」。現在も水原一平氏の件で騒がれていて、するとまた「ギャンブル依存症!社会問題だ!ギャンブルを規制しろ!」とかぬかす人たちがわきでてきて騒ぎだす。そしてまたぱちんこがとばっちりを食わないともかぎらない。

いままでに何度も書いてきたようにぱちんこは世界で最も安心安全でかつ面白い(面白かった)ギャンブルであり、スポーツ賭博やカジノや競馬競輪なんかと同列に語られてはたまったものではない。お馬さんが走る着順を当てるとか、無作為に買ったクジが当たるかどうかとか、野球やサッカーでどっちが勝つかとか、そんなほぼ他力本願、ほぼ運否天賦のギャンブルと違って、ぱちんこは自分自身で考え自分自身の腕で勝利をつかみとる努力をする楽しみがある。

・・・

というのが私の持論ですが、最近出てくるパチンコ・パチスロ台、そしてそれを扱うホールのやることをみていると、どうやらそうではなくなってきているようです。その動きは今に始まったことではないとしても、ここへきてついにぱちんこ業界は「遊技」を提供することをあきらめ、完全な「ギャンブル」へと変わっていく決意をかためたようにみえる。「遊技」であることがぱちんこがぱちんこたるアイデンティティだったのに。それを捨てるという悪あがきは、まさに業界が死んでいく断末魔のようにみえます。

 

今回は「パチもスロもつまんなくてやる気が出ねえ~」というだけのくだらない内容です。「お前はカネが欲しくて打ってるんだろ。なら文句言わずにやることやれや」という読者の方は読み飛ばしてください。

なじみのホールがパチスロノーマル機・パチンコ役物抽選機を見限り始めた

私が現在メインとしているホール。基本はボッタクリ釘と低設定ほったらかしで営業しているホールですが、それがためにレベルの高い立ち回りや台選びをする人が少なく重宝している。

それに、たとえ打つ客が少なくてもパチンコの羽モノや役物抽選機やパチスロのジャグラー以外のノーマルタイプ機も一定数きちんと設置し続けていてくれて、そういうのを好む一部のファンのことも大事にしなくては、という姿勢に好感をもっていたから、どう考えても高設定の香りなどしないニューパルやドンちゃんやハナハナなんかを負けを覚悟で擦ったりもしていたのです。

しかしついにその良心的な政策をやめることにしたらしい。ノーマル機の大部分はスマスロAT機に入替え。パチンコの羽モノや役物抽選機はそもそも出てこないから仕方がないですが、もう1台とか2台とかしか設置がなくなってしまった。

 

なじみの店員さんに不満をつたえると、帰ってきた答えは

「あ~ほんとすみません。どうやらそういう『儲からない台』はどんどん外す方向にしたみたいで・・・・」

というものでした。

 

そうか。客がカネをいっぱいつっこまないとまともに出ない台をもっと増やして、少ない客からもっとカネを取らなきゃあ、ということね。つまり店が儲からない台を好む層に配慮する余裕がなくなってきたというわけか。

 

これからもっと増えるであろうスマスロAT機が「遊技」としてまともに楽しめるゲーム性をそなえたものなのであればべつに構わないのですが、それがそうじゃないですからねえ。スマホで動画みながらバーサスやハナビを打ってる人はあまり見ないが、スマスロAT機なんかはそういう人をしょっちゅう見る。それでも出玉的にほとんど問題ないし、液晶でなにかが起こるかアツいゾーンに入るまで集中する必要がないからでしょう。

もちろん、毎ゲームの出目や演出に集中し技術介入を駆使する必要があるノーマル機に対して、そういう必要がない台も存在する意義はあるし必要でもある。基本テキトー打ちでOKだった「ミリオンゴッド」シリーズがパチスロとして退屈だったかというとそんなことはない。

しかしそういう台「だけ」になってしまうのはどうなのか。パチンコでも技術介入性を徹底的に排除した台ばかりになってきているけど、自分のウデ次第で結果が変わるというぱちんこの遊技性をなくしてしまっては、ぱちんこはただの「賭博」になりさがってしまうのでは。

「遊技」性のないただの「賭博」がやりたいのであればインターネットで競馬競輪に投票するなり宝くじを買うなりネットカジノなんかで賭けたほうがいいでしょ。そのほうが家でできるし勝負が早いしデカいカネを賭けることができる。

ただの「賭博」ならぱちんこはほかのギャンブルには勝てない。ショボい勝負しかできないし時間もかかるしわざわざパチ屋に行かなくてはならないし。それなのにぱちんこ業界はひたすら運否天賦だけのギャンブルへ変わろうとしている。だから客が戻らないのに。

ただのテレビゲームみたいな台、ただのギャンブル台ばかりでは打つ気が起こらない

などということは今に始まったことでもなく何度も書いてきましたから「老害が同じことを何度もうるせえな」とウンザリする読者の方もおられるでしょう。

しかし私と同じように出目と演出の絡みや技術介入で楽しめるパチスロらしいパチスロを打ちたい、自分のウデで玉を増やすパチンコらしいパチンコを打ちたいという人はますますパチ屋に来なくなるでしょう。

それだけでなく、「遊技機」らしさをなくしただの「ギャンブル機」と化したパチンコ・パチスロをわざわざパチ屋に打ちに来てくれる人もどんどん減るでしょう。先述のようにぱちんこのギャンブル性などどれだけ高めようともほかのギャンブルに比較すればたいしたことないのだから。

 

ぱちんこが過去のような輝きを取り戻すために必要なのはギャンブル性を高めることではないと思うんだけどなあ。ギャンブル性という意味では現在出てきている遊技機はぱちんこ黄金期の台とあまり変わらないところまで来ているでしょ。私はパチスロを三十年以上も打って19,000枚もしくはそれに近い出玉になったのは一度きり →自分史上パチスロ最高出玉の思い出 だけど、なじみのホールではヴァルヴレイヴでコンプリートまで行ってるのをもう何度も目撃している。出ないときは出ない、出るときは猛烈に出る、という極端さでいえば今の台のほうが凶暴になってきている。

それでもぱちんこ人口が減り続けているのをみれば、やってることが間違っている、という認識に至るのが普通だと思うんだけど。

 

いずれにしても、なじみのホールはギャンブル性を高め遊技としての奥深さがほとんどなくなったマシンを増やし、そうでない「儲からない台」はどんどん減らす方針である、というのを知り、私もますますパチ屋へ行くモチベーションが下がっているところなのです。右を向いても左を向いても、どの店に行っても同じような、マンガを眺めながら運試しするだけの台しかない。

まだパチ屋に行ってる人のなかにもそういう人は多いんじゃないですか?その証拠に新台といえども2~3日で通路になる台ばかり。それどころか「新台です!」と言っても誰も座らないっていうのもしょっちゅう。「どうせクソ台」という意識がプレイヤー側にできあがっちゃってる。

 

それでも私は勝たなくてはならないからつまらなかろうがそんな文句を言っている場合ではないとしても、パチ屋に客が来てくれてパチ屋が儲かってくれなくては私も絶対に勝てなくなる。

頼むからパチスロらしいパチスロ、パチンコらしいパチンコをもっと充実させ、これ以上客が減るようなことをやめてほしい・・・と願うばかり。客が少ないから「儲からない台」を置いておけない、ということなら、少ない客からもっと搾り取ろうとするのではなく、ぱちんこから離れてしまった客やいままでにぱちんこをやったことがない人を呼んで客を増やす努力をもっとしてほしい。

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