これまで何度か
いわゆる「ギャンブル依存症」について
書いてきました。
私も今になって振り返るとパチンコ・パチスロにどっぷり浸かってまさに「依存症」のような状態になっていた時期もあり、
経験からその心理がよくわかるのですが
(いまも毎日毎日ぱちんこを打っているけれども、パチ屋に行きたくてウズウズするようなことはないし、出る台がないのなら一刻も早く帰りたいと思っているし、根拠もないのに勝つことを期待して胸が熱くなるようなことは一切ないです。そこが当時とは違うと思ってます)、
いまは「依存症」はどこまでも個人的な問題であって、
ほんとうに困っていて「助けてくれ」と思っている人を救うシステムは必要だけれども
基本的には他人や行政がなんだかんだと言うのは余計なお世話だろ・・というスタンスです。
しかしそれも、犯罪に走ったりしなければ・・という話。
「個人的な問題」とは思うけれども、「依存症」が犯罪にまでつながらないように
社会システムを整備することはやらなければならないのでしょう。
そのあたりの理解を深めたい・・・と思い、
犯罪の段階までいっちゃって服役もした男の書いた本をこのほど読んだので、
それについてちょっと書いてみます。
結論を言っちゃうと、参考になるところは少なかったんですけどね。
大王製紙事件
読んだのは、大王製紙元会長の井川意高氏の著書。
2013年に刊行された「溶ける~大王製紙前会長 井川意高の懺悔録~」。
Amazon.co.jp 熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 (幻冬舎文庫)
2010年から2011年にかけて、大手製紙会社「大王製紙」の創業家経営者の井川意高氏が
不正に会社の資金を引き出して横領(本人によれば「借りた」)し、
カジノで106億円もスッて会社に損害を与えた(特別背任)として逮捕、実刑となった、
いわゆる「大王製紙事件」。
その井川意高氏が「懺悔録」として書いた本。
この事件については当時かなりの熱を帯びて報道されていましたからご存知の方も多いでしょう。
井川氏が100億以上負けたのはマカオやシンガポールのカジノ。
東大卒、上場企業の3代目、そんな優秀な(はずの)男でさえギャンブルにハマれば「依存症」になって身を亡ぼす・・・という例として、
ギャンブル依存問題が語られるときには俎上に載せられることが多い人物・事件ですね。
その井川氏の著書ということで、
彼がどのようにしてギャンブルにハマっていったのか、
そのドロ沼にハマった、もしくは地獄の業火に焼かれるような心理状態を知ることができるかも・・・
と思って読んだのですが・・・
ほとんどが自慢話、上から目線の戯言ばっかりで・・・
その期待はほとんど裏切られました。
上場企業の3代目、まさに「銀の匙をくわえて生まれてきた」ような男・・・
であることはこの本に書かれていた内容でよくわかるのですが、
そういう人間はこのように物事を考えるのか・・ということだけはよくわかったけれども。
ギャンブルにハマってしまった理由を徹底的に掘り下げ自省する・・というところは
思ったより少ない、っていうか全然ない。
それどころか全然反省してないし
(「誰かを傷つけたわけではない」「自分の会社のカネを借りただけなのに」みたいな言い方からそれがにじみ出ている)。
どこが「懺悔録」なの、という感じ。
そのかわり大量に書いてあるのは、
自分がいかに裕福な生い立ちだったかとか、
芸能人のだれだれと交流があったとか(自分の犯罪にかかわる人の名前は伏せてるくせに、このへんは実名)、
自分がいかに経営者として実績をあげ、いかに優秀だったかとか(自分は会社のカネを横領して辞任していながら後任社長に経営についてのアドバイスをするという上から目線!)。
とにかく自慢話(にしか感じないこと)ばっかり。
しつこくつけ回す「週刊現代」の記者にキレて
「いいかげんにしろ!野間さんに言っておけ!」と一喝した・・
なんて話には、彼がいかに「自分は上流階級」と思っているかがよくあらわれている。
野間さんというのは講談社の社長。つまり
「俺はお前の会社の社長にものが言える人間なんだよ、その俺様に向かって・・・」
というわけだ。
さらに、裁判で検察官を論破して黙らせてやった、みたいなことも言ってて
(実際はそんな場面ではなかっただろうとしか思えないんだけど)、
とにかく、俺は人の上を行ってる、と思い込まないと気が済まない人なんだな、と。
自分は国家権力に屈しなかったぜ・・みたいな言い方をしてる。
自分はたしかにバカだったけれど誰かを傷つけたわけではないし、カネもちゃんと返した・・と主張してるけど、
仮釈放をもらって出てきたんだから刑務所では「反省してます。悪いことをやりました。すみませんでした」と言ってたわけだろ。
自分の罪を認め反省する態度を見せなければ仮釈放の対象にはならないのだから。
そのうえ、取り調べをした特捜検事と仲良くなって
「戦友のような気持ち」になった。出所後に一緒に食事に行きたい・・とか言ってて笑っちゃった。
検事は彼のように育ったボンボンは適当に持ち上げてソフトに対応したほうが取り調べがスムーズになると思っただけだろ。
結局国家権力に手玉にとられただけなのに。
自分の会社の従業員が努力して稼いだ106億円をバカラなんぞに使っておきながら、なんて能天気なんだろう。
懲役4年という判決にも「それくらいは海外赴任で留守にすると思えばどうってことない」みたいに言ってるし。救いようがない。
それから、文庫書下ろしとして刑務所の体験談が書いてあったけれども、
刑務所体験談ってのははたいがいハナクソほども面白くないですね。ほとんど例外なし
(もと国会議員の山本譲司氏の「獄窓記」は例外的に読み応えがあったけど、ほかは私の知る限りほとんどがクソ。)。
それはなぜかというと、「俺は有名人で金持ち。そんなオレが刑務所に行ってきたんだぞ!話をききたいだろ?興味あるだろ?」
みたいな意識が透けて見えるし、
カオの知れた著名人は刑務所内でのイジメ防止のために特別扱いされる(実際井川氏も独居房生活、服役したのもエリート受刑者が入る喜連川社会復帰促進センター)
のが当然なのに、そんなこともわからず
「世の中の底辺をみてきた!」みたいなことを言ってるのが気持ち悪いからなんでしょう。
刑務所の話のなかでも、食事作りを請け負っている会社の実名をあげて「~~の社長は、喜連川で自分の会社が作っている食事を毎食食べてみろ」と文句を書いてみたり、
刑務官に怒鳴られて「木っ端役人がエラそうに、と怒りが爆発しそうになったこともある」・・
などど書いてみたり。
読み進めるにつれムカムカしてきて最後まで読むのが苦痛でした。
ともかく、内容的にはまったく「懺悔録」ではなかった。
なので、「ギャンブル依存症」について考える上で役に立ちそうなところをさがすのが大変でしたが、
参考になりそうなところを頑張ってピックアップしてみます。
負けるギャンブラーの考え方の典型例
量の少ないギャンブルに関しての記述に注目すると、
負け続ける人の典型的な考え方がけっこうあって、
そこだけは参考になるかも。
「負けが一定額になった段階でカジノをあとにする」
「勝ちが一定額になった段階で勝ち逃げする」
「借金をしてまで勝負しない」
これらのルールを厳格に守っていさえすれば、106億8000万円もの大金をカジノに突っ込むなどという馬鹿げた行動は取らなかったはずだ。
逮捕された後の段階でもこんなこと言っているくらいだから、
それだけ負けるのも必然だった・・・と言わざるを得ない。
「借金してまで勝負しない」というのは正しいが、
その上の2点は勝てないギャンブラーの多くが陥る典型的な誤謬だからです。
負け金額の上限を決めて仮にそれを守ることができたとしても、
絶対に勝てない勝負をしているということを自覚しないかぎりは同じです。
より多くの勝負をすればそれだけ負けが積み重なっていく。
勝ったら勝ち逃げする、というのも、
「プラスになったら死ぬまで2度とやらない」と言うのでないかぎり意味がないし、
延々とマイナスのスランプが続く事だってあるわけです。
バカラというトータルでは絶対に(間違いなく絶対に)負けるギャンブルをやっている以上、
勝って帰ってもまたそのカネで勝負しにいくのであれば
結局最後には勝ち金を溶かして負けに転じることになります。
彼は100億円以上も負けていながら、
そこに至ってもまだこれを理解できてなかった。
東大を出るような秀才であっても、世の一般パチンカーと同じ思考から抜け出すことができなかった。
ふつうはここまでくれば自分も下々の人間と同じでエラクもなんともない・・と悟るはずですが、そこにも気がついてない。
そこが「依存症」の恐ろしいところ。
どんな金持ちであろうが、立派な経歴をもっていようが、高貴な家の生まれであろうが、
人間を含め生き物はドーパミンの支配から逃れることはできない。
ちょっと長くなってくるので、
この続きはまた別の記事で書くことにします。
→ギャンブル依存症への理解を深めるべく、カジノで100億以上負けた男の著書を読んだ。~後編~
依存症の人の手記としてはあまり役に立たなかったけれども、
負けるギャンブラーとはこういうものだ、ということを学ぶ意味では
このブログに書くことに意義があるかも。