本ページのリンクには広告が含まれています ジャグラー パチスロ 名機回想 パチンコ・パチスロ雑談

「ジャグラー」は、なぜ面白いのか。~前編~

新型コロナウィルスの影響により登場が先延ばしになっていた、6号機ジャグラー。

6号機ジャグラーはパチスロ界を救うのか

12月半ばにホールに導入される・・というニュースをみましたが、寒くなってきてまたコロナが広がっているようで、そのせいで再び延期・・なんてことにならないことを祈るばかり。現時点で打てるパチスロ機のなかで、ジャグラーほど唯一無二の普遍的面白さを体現している台はほかにありませんからね。あるとすればハナハナくらいか。

と、ジャグラーに対しては(一部あまり好きでない機種もあるものの)常々「好き」「名機」「面白い」「考えた人は天才」と言っている私であっても、ジャグラーが登場した当初は、「GOGOが点灯するだけとか、こんなもん誰が打つんだよ」と思っていたのです。

ジャグラーが大人気になった今となってもそう言ってジャグラーを敬遠する人は少なくないですね。そこは人それぞれ。私だって一般的には名機とされた5号機バジリスク絆や初代エウレカなんかをゴミ扱いしていますから、いくらジャグラーが面白い台でも「なにがいいの?」と感じる人がいるのは当然でしょう。

私は若いころジャグラーを、っていうか完全告知台をあまり評価していなかった。しかしトシを重ねていまは逆に、パチンコもパチスロも完全告知台だけあればいいよ、と考えています。その意味でアンチジャグラー派の心理もジャグラーマニアの心理もどちらも体験、理解しているつもりですので、その立場から「ジャグラーはいったいなにが面白いのか」ということを考えてみたい。

まずは、私がジャグラーをどのようにして好きになったかを書いてみます。

1996年に初代が登場。しかし・・・

初代「ジャグラー」が登場したのは1996年。

私はブラック企業でサラリーマンをしており入社4年目くらい。横浜市で勤務していました。そこそこ責任ある仕事をようやく任されるようになり、とてもとても忙しく、ぱちんこをやる暇がなかったころでした。

それでも、たまの休みには同僚やバイトの学生たちと食事に行ったり遊びに行ったりすることもあり、ぱちんこに行くこともありました。

1996年ころ、パチスロはリーチ目&技術介入マシンが全盛。仲がよかったバイト学生のひとりは猛烈に目押しが上手くて、タコスロやクランキーコンテストなどのリプレイハズシをまるでフリー打ちするかのようにやってのけていました。当時のパチスロコーナーはそういう腕自慢の若者が集う場所になっていましたね。

私は目押しがドヘタ(今も上手くはないけど当時はもっとヘタ)でしたので技術介入機を打とうとは思わず、技術介入機の人気によって隅っこに追いやられていた山佐の「ワイワイパルサー」や、まだ残っていた「ニューパルサー」、もしくは5回リミッターが搭載されはじめたパチンコを打っていました。

ニューパルやワイパルを楽しみ、技術介入機は打てないけどやっぱパチスロはリーチ目で楽しむもんだよなあ・・・と考えていた時代。そんなときに登場したのが「ジャグラー」でした。

 

パチスロ好きの同僚やバイト学生たちの話題にはまったくのぼらなかったので気にもしていませんでしたが、登場してすぐのころ近所のホールに何台か導入されているのを発見。

いちおう触ってみたものの、そのときはまったく面白いとは思いませんでした。なにしろニューパルサーがパチスロ好きになるきっかけでしたから、奥深いリーチ目法則があるわけでもない、ただ「ペカるのを待つだけ」の台を面白いと思うはずもなかったのです。誰も座ってなくて、いかにも出そうにない雰囲気であったことも結果的には不幸でした。

 

そのままジャグラーのことなどまったく打ちたいと思うこともなく、1990年代後半の私はたま~の休みに打ちに行くだけの養分サラリーマンパチンカーとして過ごします。しかし1999年ころに「オオハナビ」が出て大人気になり、同僚たちがパチスロによく行くようになって、私もいっしょに行って「アステカ」「ワードオブライツ」などが好きになり、またパチスロ熱が加熱し始めました。それから、勤務先のそばにスロットの大部分が裏モノ・・というホールがあって、そこで「ロイヤルエース」「紅蓮」「アンジェリーヌ」なんかも打って、さらにパチスロに一生懸命になります。朝イチモーニングが仕込まれていたので、夜勤明けにそれを狙いに行く、といった感じでした。これが猛烈に儲かったので、それもブラック企業でこき使われるのに嫌気がさした一因となったかもしれません。

会社をやめる直前にはパイオニアから「兜」が登場。完全先告知マシンで、レバーオンで轟音告知が発生しなければ絶対にボーナスは成立していないという、リーチ目は無意味・無用という台だったのですが、リーチ目マシン派だった私もこの台は受け入れられた。というのはその告知があまりに圧倒的迫力をもっていて、しかもボーナス中のBGMが異常にカッコよかったから。ビッグ中小役ゲームの曲なんかは男の哀愁があふれまくりで、ボーナスを引いた感動を盛り上げてくれました。パイオニアは6号機でリメイクしてくれ!

個人的チョイス。音楽が素晴らしいパチスロ10選①

 

「兜」の告知には心底しびれた私でしたが、このころに至っても私は同じ告知マシンのジャグラーは完全にシカトしていました。2001年にはマックスベットを搭載した「ゴーゴージャグラー」が出て、一般的な認知度は上がってきたころだったと記憶していますが、私が行っていたホールにはジャグラーはなかったし、あってもまあ打つことはなかったですね。

 

2002年に私は最初の会社をやめ、パチプー生活に入りました。メイン機種は「獣王」「ネオプラネットXX」など。この2機種のおかげでそこそこ勝ってはいたものの、今のようにパチスロはカネのためと割り切ってはいなかったし、なにより立ち回りもドヘタでしたから、生活は苦しかった。

このころに通っていたのは新宿歌舞伎町の「グリンピース タワー店」で、1階にたしか12台くらいの「ゴーゴージャグラー」が設置されていました。

たまに「50%設定456」とかいう告知がされ、私も何度か456の台を打ったのですが、あまりいい思いをした記憶がないし、結局あまり打ちませんでした。なにより、ほかに設定6なら出玉率130%とか140%とかいう台がいっぱいあるのに、設定6でも107%ほど(しかも通っていたのは7枚交換店)のジャグラーを選んで打つという理由がなかった。

というふうに、「ジャグラー」が設置を伸ばし始めていたころに至っても私は「ジャグラー?そんなもん打つヒマあるかよ」というスタンスでした。

その流れを変えたのは、ゴーゴージャグラーの次作、「ハイパージャグラーV」でした。

3秒フリーズにシビレた!

新宿歌舞伎町の、今は亡き「グリンピース歌舞伎町店」に数台の「ハイパージャグラー」が導入されました。

これがけっこう出てた印象で、しかも歌舞伎町店は等価交換でしたから、いちおう打ってみようか・・という気になったのです。

ハイパージャグラーVはリールのフラッシュや遅れ、無音など多彩な演出を搭載。それぞれの演出について詳解はしませんが、今のジャグラーと異なるところは、演出が発生してもふつうにスカもあったこと。

リールスタート時のフラッシュなんかはほとんどただの賑やかしじゃねえか、っていうくらいの頻度で発生しちゃって、いま考えてみるとまさに「クソ台」。不人気だったため以後のジャグラーでは演出発生はすべてプレミアムにされたわけですが、「ペカるだけ」じゃつまらない、と思っていた私には入門用のジャグラーとしてちょうどよかったかもしれません。スタート音の変化はたしかリプ・ブドウ・チェリー否定でそこそこ期待できたし、、第3停止後のフラッシュもフラッシュしてからペカるまでの「間」が最高でした(第3後フラッシュはベル・ピエロ対応なので、当然ペカらないときもあり)。

これを打って初めて私は「ジャグラーも悪くないじゃん」となりました。つまり、今の私のように「ジャグラーは『ペカるだけ』なのがいいんだよ!」というスタンスで言うならハイパージャグラーはやはり「クソ台」だったけれども、昔の私の「『ぺかるだけ』じゃつまらねえだろ」という考え方にたてば、ハイパージャグラーはけっこう楽しめる台だったわけです。

現在は「クソ台」「失敗作」扱いされているハイパージャグラーが、私を目覚めさせてくれました。決定的にシビレたのは、「3秒フリーズ」。

第3停止の指を離してから、BETボタンやメダル投入を受け付けず、3秒たってからペカる演出。

投入したメダルがチャリチャリーンって下皿に落ちるのをみて、あれっ?と思った次の刹那にペカって、心底シビレた。なんだこりゃあ、考えた人天才じゃねえの!

ほんとうは「指を離した瞬間にペカ」という基本のゲーム性こそが、まさに天才としかいいようのない発明だったわけですが、私がそれに気がつくのはもう少し先のことになります。ともかく、多彩な演出を搭載した「ハイパージャグラー」が、私をジャグラーの世界の入り口に引き込んでくれたのです。

ウルサいジャグラーが出てきてようやく、ジャグラーの本質がみえてきた

ハイパージャグラーの次に出たのが「ジャグラーガール」。

ガコッ!という告知音を搭載。GOGOランプを豆電球からLEDに変更・・・と、私に言わせれば「改悪」をした台。

ジャグラーガールの「ガコッ」を体験して、まあビックリはしたんですけど、しばらく打つうちにこれは音が鳴るよりもひっそりとペカってくれたほうが面白いし魅力的である、ということに気がつきました。ちょっと理屈では説明しがたいけど、ハナハナのハナが光るときに「キュイン」だの「ドカーン」だの鳴ったら「バカじゃねえの」と絶対に思うだろうし、つまりそういうことです。豆電球がフワッと静かにさりげなく光る、それが良かったんだ、ということを、ウルサいジャグラーガールを打って気つくことになりました。

ここに至ってようやく「GOGOランプが光る」という告知そのものが魅力的なんだ、という認識にたどりつきました。

リーチ目でもなんでもない出目でひっそりと光ってビックリ。リーチ目が出現してドヤ顔でネジネジ、あやしい出目で「ペカって!」と祈ってネジネジし、ペカったときに感じるエクスタシー。これがジャグラーの魅力なんだ。

そこに気がついたものの、ジャグラーガールはどうしても好きになれず。ハイパージャグラーは早々に姿を消してしまったので、2003年~4号機終焉までのあいだは、ホールに残ってた「ゴーゴージャグラー」をちょくちょく打っていた程度で、「ジャグラーはそんなに悪くない」くらいの認識でいました。

それが「ジャグラー?最高じゃないか!」というふうに変わるのは、5号機時代に突入してからとなります。

まだまだ長くなるので今回はここで終わり、また続きを次の記事で!

「ジャグラー」は、なぜ面白いのか。~後編~

-ジャグラー, パチスロ 名機回想, パチンコ・パチスロ雑談
-, , , , , ,