いわゆるカジノ法案が可決され、ギャンブル依存症が増えるんじゃないかとか
言われていますね。
カジノ法案についてはまた別の記事で書きたいと思いますが、
今回は前の記事→パチンコ依存症からの脱出①~パチンコ・パチスロ自分史~ の続き。
自分の経験を顧みつつ、
パチンコ依存症からいかに脱するか、ということについてまとめてみます。
大勝ちの気持ちよさに痺れてハマってしまうけれど・・
依存症になってしまうのは、出玉がドバドバ出たときに、
脳内麻薬「βエンドルフィン」が分泌され、それが切れるとまさに麻薬のように
イライラして、体がそれを欲しがる、という状態になるかららしい、
という話を、パチンコ依存症という病の記事で書きました。
ごくまれに、おカネ云々抜きで考えても面白いと思うパチンコ台も昔はありましたが、
いまのパチンコでは、そのゲーム性よりも、玉がドパドパ出てそれがおカネになる、
ということ自体が魅力となっていて、それゆえに依存症になる、といえると思います。
しかも、その大勝ちが、決して不可能なことではなく、
なにも考えないで打ってもたまには体験できる。
当たれば最も大きいギャンブルである「宝くじ」の依存症っていうのはきいたことないですが、
それはやはり、ほぼ当たらないのが当たり前、ということがわかっているからだと思います。
パチンコは、なんとなく「次こそ連チャンするかも」と思ってしまう。
このひたすら自分に都合よく考える思考パターンをなくすことが、
パチンコ依存症から脱するためのポイントではないかと思うのです。
大勝ちしたところでたいしたことない、と理解する
パチンコ依存症は病気、というスタンスで話をするならば、
これから書くことはあまり意味がないかもしれません。
すべて理屈ですから。
が、ほとんど依存症状態だった私が徐々にそこから脱したのは、
パチンコ・パチスロに関する理屈をきちんと理解したから、だと思っています。
「次こそは大量出玉」という期待をしても無駄だし、
仮に大量出玉を獲得したとしてもそんなことが連続することはないし、
たまたま大量出玉があったところで、長い目で考えればそんなものはハナクソなみの価値しかない、
ということをきちんと理解したとき、どんなにすごい連チャンを体験しても、
脳汁がドパドパ出る感覚はなくなり、大負けしても「取り戻さなきゃ」と
アツくなることはなくなり、勝ち負けに執着しなくなり、
「パチンコ屋行きたい、パチンコ打ちたい、パチスロ打ちたい」という気持ちも薄れていきました。
そういう気持ちに至るまでになにをやったかというと、それは
「収支を記録する」ということです。
まずは収支を記録し、現実と向き合うこと
私の場合、収支を記録しはじめてから、パチンコ・パチスロへの対し方が
劇的に変わりました。
記録していると、想像を絶する金額を負けていることが嫌でもわかってしまう。
負けている金額を把握すると、ほんとうに虚しくなりますよ。
私も、負けていた期間に使ったおカネを貯金していれば、
ポルシェくらいは買えたかもしれない。
そういうふうに、金額を別のものに置き換えて考えると有効かもしれません。
さらに、たま~に大勝ちしたところで、
長い目でみればなんの意味もないことが理解できるのです。
たとえばある日15万勝った。でも、そのあと3万ずつ5連敗した。
そうすると収支はゼロですね。
この場合、収支を記録していないと、15万勝った気持ちよさの印象が強すぎて、
実は収支ゼロということが理解できず、勝っているつもりになってしまいます。
収支を記録していれば、せっかく15万勝ったのに、なにやってんだオレは!という
反省をすることができ、15万くらい勝ったところでたいしたことない、と思うようになる。
そうすると、ものすごい大勝ちを経験しても、
たいして嬉しくもないし、エキサイトしない。脳内麻薬で頭が痺れることも少なくなるはずです。
パチンコ・パチスロで勝つ実力が備わってくると、大負けすらも気にならなくなってきますが、
依存症に陥る人にはそんな実力はないはずなので、
大負けを収支表に記録することは精神的にかなりキツイと思います。
そこで収支を記録するのをやめてしまう人もいますが、
我慢して続けると、ほんとうに負けるのが嫌になります。
自分がどれだけ負けているかということ。
テキトーに打っていても絶対に勝てないということ。
運だけで勝っても意味がないということ。
パチンコ・パチスロは無限に虚しいゲームだということ。
パチンコ・パチスロは確率に支配されているので、
確率の範囲を超えた奇跡が都合よく自分だけに起こることはないということ。
収支を記録するだけで、そういったことを知る機会を得ることができます。
真実を知れば、ただイライラするだけのゲームだとわかる
収支を記録することのほかには、
確率論やパチンコ・パチスロの仕組みをよく理解することが非常に重要です。
たとえば、「確変継続率80%」とか言われると、
依存症の人や負ける思考の人は、「すごく連チャンしそう!」とか思ってしまうんですよね。
勝てる思考の人は、「ハズレが20%もあるなら、すぐ終わっちゃう」と考えます。
確変突入率・継続率が80%のパチンコ台の場合、
単発で終わる確率・・・・・・・20%
2連までに終わる確率・・・36%
3連までに〃・・・・・・・48.8%
4連までに〃・・・・・・・59・04%
5連までに〃・・・・・・・67.23%
6連までに〃・・・・・・・73.39%
・・・9連までに終わる・・86.58%・・・つまり、10連以上する確率は約13%ちょい。
自分だけが都合よく奇跡の連チャンを引き寄せることはできない、すべて確率通りにしかならない、
ということを理解していれば、確変継続率80%なら一撃で大勝ちだ!という
夢をみてしまうことはないのです。継続率80%なら平均すれば5連することになりますが、
6割近くは4連までで終わるのです。
依存症の人や負ける思考の人は、4連で終わったら
こう考えます。「80%で継続なのにたった4連で終わりかよ!」
確率やパチンコについての理解が浅いから、過度な期待をしてのめり込んでしまうのです。
いかにもすごい連チャンする、みたいな高継続率をウリにしていても、こんなものです。
大連チャンはめったにないくせに、連チャンしたとしても
4ラウンドの激ショボ当たりばっかりだったりとか、通常時は釘が渋くて回らないとか、
電サポ中には玉がどんどん減ったりとかするわけです。
そういったことを理解していれば、
「どんだけ客をバカにしてんの?こんなもんで勝てるわけない」と思うはずなのです。
ここで心底、「バカバカしい」と思うことができれば、
選択肢は3つになるでしょう。
①楽しみを捨て、勝ちに徹するか、
②負けても痛くない金額だけ、自分や周囲の人が困らない範囲で我慢するか、
③パチンコ・パチスロをやめるか。
私は、①勝ちに徹する、を選んだのです。
(勝てない、バカバカしいと言いながら、勝ちに徹する、とは矛盾するようですが、
勝てない理由がわかれば勝ち方もみえてきます。あとはそれを
どれだけ徹底してやれるかという問題です)
本人や周囲の人が困るような打ち方、おカネと時間の使い方をしなければ、
パチンコ・パチスロ大好きでも「依存症」ではありませんから、
②が選べればそれが一番いいでしょう。
②の範囲で我慢できないのであれば、やはりやめるしかない。
正しい理解があれば、容易にやめられるはず
ここまで書いてきたようなことをきちんと理解していれば、
パチンコ・パチスロをやめることはそんなに難しくないと思います。
勝てる、という幻想、願望があるからやめられないのですから
(勝っている人も確かに存在していますが、依存症のような状態では、
そうなることは絶対不可能です。だから、「勝っているやつだっているんだから俺だって勝てる!」
と思うのは間違いです)、
絶対負ける、と腹の底から理解すれば、やめられるはずです。
理解できないとすれば、やはり病気として治療しなければならないでしょう。
家族に協力してもらって、物理的経済的にパチ屋に行けないようにしてもらうとか、
お医者さんやカウンセラーにかかわってもらうとか。
ここまで書いてきたことができない、わからないようなら、自分だけで
依存症から脱するのは難しいでしょうから。
まとめると、私の個人的な経験からいえば、依存症状態から脱するには、
・収支をつけて現実を知る
・確率やパチンコ・パチスロについてきちんと理解する
このことにより、自分は勝てる、という幻想を捨てること
だと思います。
ほとんど同じようなことを→パチンコ・パチスロをやめたいと思っている方へ
→パチンコ・パチスロをやめたいと思っている方へ②~そのバカバカしさをとことんまで知ろう~
でも書いていますが、パチンコ・パチスロを適度に楽しむためには
重要なことだと思いますので、繰り返しのような内容でも書きました。
遊びとしてのパチンコ・パチスロは、
人生の貴重な時間と大事なおカネを無駄にするほどの価値はないので、
どうせやるなら勝てるように、勝ちに徹することができないなら適度に、
適度に、ができないならやめる・・・、というのが正しいのかなと考えています。
だから、パチンコ・パチスロ産業が発展するためには、「適度に」遊べる人たちが
増えてくれなければ困るわけで、その願いをこめてこの記事を書いた次第です。