新型コロナウィルスの感染症法上の扱いについて岸田首相が、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」に移行する方向で検討するよう指示をした、というニュースがありました。
→NHK NEWS WEB 新型コロナ 原則今春に「5類」移行検討 岸田首相が指示
これはずっと前からそのようにすべきだと言われていたことで、遅すぎたくらいですよね。まあ~日本は政治家も官僚もやることなすことすべてにスピード感がない。オミクロンがたいしたことないってのがわかった時点で速やかに移行するべきだったし、やつらがもっとまじめに一生懸命仕事してたら、いまごろとっくに5類扱いになって、多くの国民がコロナに対する恐怖心を忘れ、経済も上向いているはずだったと思うとほんと残念。
そうならなかったのは、コロナ利権を手放したくない政治家・医学医療界・製薬会社・マスコミ・・・といった国賊たちが「コロナは怖いんだ!インフルエンザとは違う!」と煽りまくって国民に恐怖心を植え付けたからで、おかげでいまだにお店の中とかでマスク外した人間をみつけると鬼の首を取ったかのように大騒ぎする人間がいっぱいいる始末。将棋でマスクしないで反則負けとか、ホテルでマスクしなかったからって追い出されたりとか、まさに狂ってるとしか思えないことばかり。そう考えると、日本がコロナ禍でめちゃくちゃになったのは、コロナウィルスそのものではなくコロナの恐怖を煽って儲けた奴らのせい、と言えるんでしょう。これはもう死に値する罪なのでは。先日はテレビで「コロナとインフルエンザ、症状だけでは区別がつきません」と言いながら「でもインフルより怖いんです!同じじゃないんです!」みたいなことを言い張る「専門家」を見ましたが、こういう人にはもういなくなってほしいとしか言いようがない。
高齢者がコロナで持病をこじらせて死ぬから、と言うけど、肺炎球菌ウィルスのほうが高齢者をいっぱい殺しているし、季節性インフルでもそれをこじらせて死ぬ人はいっぱいいたのでは? そして死者(正確には、死んだときにコロナウィルスを持ってたっていうだけの人)で大騒ぎするなら、コロナのせいでの自殺とかのほうがよほど問題視するべき重大事でしょう。そっちは若い人ばっかりですよ。
コロナで死ぬ確率はもう60歳未満では数万分の一、80歳以上でも数十分の一。しかもこれ、コロナで肺炎で死んだっていう人の数字ではなくて、コロナのせいで持病をこじらせた(かもしれない)っていう人も含んでの数字。直接の死因がコロナって人はこれよりもかなり少ないはず。それに、高齢者が風邪をこじらせて肺炎とか持病悪化で死ぬなんてことは大昔からあったことで、それもこれくらいの確率だったんじゃないの?それを示してくれてる「専門家」はいないのかな。「コロナはただの風邪と同じ(という扱いにするべき)」っていう「専門家」をメディアが大きく取り上げることがないから、そういうデータを目にする機会がないのかも。
・・っていうのはこれまでにも同じことを書いて、でもあんまり評判がよくなかったのです。それはやっぱりまだまだ国民の多くがコロナに対する恐怖心を捨てられないからなんでしょう。しかし弱毒化したコロナを怖がって私権を制限(マスクしない自由を侵害することも当然含む)するのは、もはや交通事故が怖いからクルマに乗るな!とかいうようなものでは。交通事故はたしかに怖いことになることもあるけど、その確率とクルマによってもたらされる便利さなどの恩恵を天秤にかければクルマに乗るっていう選択をするしかないわけで、だからこそ踏む場所をちょっとまちがえるだけで殺人者になるような危険な機構のオートマ車でもふつうに売れるし、みんなそのリスクを受け入れて(リスクを認識してない人もいるから事故が起こるんだけど)運転している。なにごとにもリスクがあるのは同じで、それをそこから得られるメリットと天秤にかけて、メリットが上回ればリスクを受け入れる。それは世の中のあらゆる場面で当たり前になされていること。
コロナが弱毒化したいま、無症状でもマスクしなきゃダメとか大声出すなとか、給食の時間に子どもに黙食を強制したりとか、そこまで私権を制限されなきゃならないほどコロナはリスクが高いのか、っていうと、どう考えてもそこまでして恐れるほどのものじゃないっていう気が。マスクをはずしたときや子どもに楽しく食事させたりしたときに得られるメリットにくらべて、そうしなかったときに考えられるリスクのほうが小さすぎる。
コロナがほんとうにとてつもなく恐ろしいのなら私権制限もやむをえないが・・・
それと同じように、高齢者福祉施設においていまだ行われている、面会や外出の制限といった私権の制限も、コロナが弱毒化した今となってはどう考えてもやりすぎ、っていうか不合理、もっと言うなら人権侵害と言えるんじゃないか。
もちろん、多数の人命が脅かされるリスクがある、っていうのなら私権・人権を制限するのもやむをえない場合もある。エボラ出血熱やラッサ熱の患者と濃厚接触したんなら隔離されて自由を奪われてもそりゃあ仕方がない。初期のころの得体の知れなかったコロナもどれくらい怖いのかわからなかったから、面会できませんと言われても仕方がなかったし当然の措置だったから、私もふつうに受け入れられた。
しかし今は・・・施設で暮らすお年寄りに与えられる数少ない楽しみであろう面会や外出を制限する必要があるほどコロナは恐れるべきものなのかというと、そうは思えない。
まあコロナがインフルと同じようなものになったとするなら、以前からインフル患者が出たら面会中止とかにはなっていたわけだから、それが巷で大流行してるんだったら面会はダメ、っていうのも理屈としては通る。しかし以前のインフルでは「患者が出たら」制限を加えていたのに対して、今のコロナに対しては患者が出てもいない、誰も症状が出てない、健康な人であっても「コロナを持ってるかもしれないから」面会制限。コロナがインフルよりも怖いんならともかく、同じようなものになったってのはもう明らかになってるわけで、それならこのコロナ特別扱いは不要、ていうかおかしすぎるのでは。
入居者の家族などの面会者はコロナ持ってるかもしれないから面会制限されるわけですけど、介護を担当してくれてる職員さんだって入居者家族と同じ社会で同じように暮らしているわけでしょ。もちろんふつうの人よりも気を使ってくれてるんだろうし、旅行とかに行っちゃだめとかいう制限をされてるのかもしれませんが、きくところではべつに頻繁にコロナの検査をしているわけでもないらしい。体調が悪くなったら検査をして、その結果コロナだったら出勤停止になる、っていうだけとのこと。ならばこのご時世、無症状でコロナもってる人が介護をしているケースも間違いなくたくさん起こってるでしょう。職員さんも体調が悪くなければ別に検査もしないで毎日濃厚接触してるんであれば、体調が悪くない家族が短時間面会することになんの問題があるというのだろう。しかも入居者のほとんどはまじめにワクチンを打っている。不特定多数と接触したらどこから感染したかわからない?今となってはそんなのは追跡不能になってるんだから意味ないでしょ。
それから、「コロナで持病が悪化して死ぬ」って言うけど、私の母が入ってるような特養にかぎって言うなら、みんなすごい高齢だから多少調子が悪いところはそれぞれあるとしても、毎日特別なケアが必要なくらいの持病をもってる人ってそんなにいないはずなんですよ。そういう病気があったら入居させてくれないんだから。病院とはわけが違う。するとますます、弱毒化したコロナを怖がって面会や外出などの私権を制限する必要はないんじゃないかという気になる。じっさい私の母が入ってる特養でも最近はけっこうコロナ感染が起こっているらしいけれども、入居者がバタバタ亡くなっているなんていう話は聞かない。そんなことがあれば地元紙がデカデカと書き立てて騒ぐはずだけどそれもない。
制限しているからそれだけで済んでいるんだろ、と言われるかもしれませんが、このコロナがふつうに蔓延している(のは間違いない)なかで、ふつうの社会で我々入居者家族と同じように暮らしている職員さんが、べつに毎日検査するわけでもなく防護服を着るわけでもなく入居者と接触しているなら、体調が悪くない家族がふつうに面会しても、いきなり感染者や死者が増えたりはしないと考えるほうが自然なのでは。
「5類」にするのは平常化への最低条件。今春とかいわずにすぐにやれ
そういうわけで、弱毒化したコロナを恐れて高齢者の面会外出を制限するのはもはや不合理そのもの、人権侵害ですらあると思っています。
しかし、たとえ政府がコロナを「5類」にしてインフルと同じ扱いにして、マスクしなくてもいいです、と言ったとしても、「インフルとは違います!高齢者がかかると死ぬこともある!」と騒ぐ「専門家」やマスコミは黙らないだろうし、老人福祉施設は万が一を考えて面会制限を解除しないところが多いかもしれません。その場合利用者家族は「感染は仕方がない。なにかあっても責任は問わない。風邪はこの世から根絶できないんだから。だから人権侵害の私権制限はやめて、面会や外出をさせろ」と言うべきでしょう。
真の意味で「コロナはインフルと同じ」になるためには、5類に落とすことによって、たとえばちょっと風邪気味になったとしても「まさかコロナ?」と考えてすぐ検査するような人が少なくなって検査数が圧倒的に減って、「新規感染者数」が少なくなることによってマスコミや「専門家」も騒ぐことができなくなって、国民みんながコロナの恐怖を忘れ、医療機関も死んだ人がコロナ持ってるかどうかなんていちいち調べなくなって「コロナ死者」が減る、っていうことが必要なんでしょう。諸外国はすでにこうなっているわけですが、日本は政治が無能なばっかりに一向にこれが進んでいかない。
この流れが起こってくれるためには時間がかかる。「5類」に落とすのはこの流れになるための最低条件であってゴールにはなりえないので、岸田はじめ政府の奴らは「今春くらい」とかのんきなことぬかしてないで今すぐやれ。拉致問題もそうだけど、こいつらには「時間が惜しい」っていう感覚はないんだろうか。利権を守りたい医療機関や製薬会社や「専門家」やマスコミがどうせ抵抗するんだから大急ぎでやるべき。ここで岸田が批判を恐れず「私も罹ったがコロナはもうただの風邪ですよ」とか断言したら「岸田は漢の中の漢」って私も褒めますけどねえ。
老人福祉施設に入ってるようなお年寄りには時間がないんだから。子どもたちにしてもそう。彼らの数か月間は大人にとっての数年なわけで、そう考えたらもう時期がどうのこうのとか言ってる場合じゃないでしょ。コロナに罹らないことを最優先にしたおかげでコロナに罹るよりも不幸になる、っていうことがこれ以上起こらないよう、いますぐ動いてほしい。