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大相撲:大関貴景勝が綱とりへ。しかし・・・

先週終わった大相撲初場所で、大関貴景勝が12勝3敗で3度目の幕内最高優勝。

残念ながら相撲界を去った平成のガチンコ最強横綱・貴乃花の弟子。その師匠のように、余計なことはいっさい言わないじつに力士らしい、まさにサムライといった態度には私も感服しており、彼の久々の優勝はほんとうに嬉しいし、ぜひともさらに上を狙ってほしいと思ってます。

現時点における、横綱への昇進の基準は「大関で2場所連続優勝かそれに準ずる成績」。前から言ってるようにこの基準には問題が多すぎるし、私は「横綱」は地位ではなくただの資格や称号にするべきという立場ですが、とりあえず今の基準で言うなら貴景勝は来場所優勝するか「優勝に準ずる」成績をあげれば横綱に昇進することになる。

前述のように私は彼のような小細工ナシ、真っ正直なガチ相撲を見せてくれる力士に横綱になってもらいたい。しかし横綱というものの在り方が今のままで、しかもファンや協会幹部や横審が星勘定だけで大騒ぎする奴ばっかりなままであるなら、大関のまま頑張ってほしい、横綱に推挙されたら断ってほしいっていう気もしなくもないのです。ガチンコで12勝っていう立派な成績をあげても「ハイレベルな優勝じゃないから昇進はナシ」っていうようなアホばっかりななかで横綱になっても、苦労したうえに短命で引退させられることになっていいことない気が。

ガチンコ突き押し相撲では、白星の数しか見ない横審やファンを満足させる「安定」は難しい

貴景勝のような「突き押し相撲」は安定感という点では「四つ相撲」に及ばないっていうのはよく言われることで、突き押し一本で(しかもガチで)横綱になった人はいないとも言われますね。琴櫻や曙や武蔵丸なんかも基本は突き押しだったけど、そのへんの人たちは四つでも強かった。対して貴景勝は差したらめちゃめちゃ弱い、捕まえられたらもう終わり、っていうのはもうみんな知ってる。

四つ相撲と違ってひたすら動き回らなきゃならないからスタミナが必要だし、ケガするリスクも高い。たとえ実力があっても大勝ちするときもあれば大負けすることもある、っていうふうになるのはもう仕方がないんでしょう。

前から言うように、あの化け物揃いの幕内でガチンコでやるなら、仮に四つ相撲であってもそういう成績の波は絶対にあるのが当たり前で、毎場所全勝だの14勝だのが続くほうがおかしい、怪しいのですが→勝負は時の運。 、アホなファンや協会や横審はそれでは納得してくれない。15日間という短いスパンのなかで、常に12勝とか13勝とかを要求してくる。目先のことしか見えない、見ようとしない、っていうのはまさに依存症パチンカー的な思考です。

「安定」しない突き押し相撲、しかもガチを貫き通し、負けが込んでるからって星を買おうとか「どこどこが痛い」とか言い出して休場しようとか、立ち合いの変化してみようとか考えたりしない人。一昔前のモンゴル横綱とはそういう意味で「次元が異なる」力士。するとある場所では負けが多くなったりとかすることは当然あるわけで、もし横綱になった場合、負けがちょっとこんだらそのたびにアホなファンや横審に「横綱たるものせいぜい2敗、悪くても3敗だろ!」「横綱が〇連敗は〇〇年ぶり!」「横綱がやっと勝ち越し!横綱の責任を果たしてない!」とか騒がれ、それがちょっと続けば「横綱は勝てなくなったら引退するしかないんだ!」とか言われて「引退勧告」されることになる。昭和の横綱やいつかのモンゴル横綱ならそうならないようにちょっと負けるとすぐ休場したりするでしょうが、貴景勝はたぶんそういうことは考えないでしょう。

すると、横綱昇進→たまたま負けが込む→貴景勝は休まない→休まないから負けが増える(増えないかもしれないが、休むよりは確実に負けが増えるのは間違いない。休めば負けないっていうことがわかっていたから八百長横綱はみんなちょっと負けたらすぐ休場した)→アホな横審だのファンだのが「横綱ふがいない」とか騒ぐ→貴景勝が「横綱の責任が果たせてないからやめる」とか言ってやめちゃう・・・っていうふうなことが、すぐにでも起こるだろう、っていう気がする。

そうなると横綱になんかなってほしくない、という気がしてくる。照ノ富士だって序二段まで落ちるきっかけとなったケガが大関のときではなく横綱昇進後であったなら再起のチャンスすら与えられず、もう今頃はとっくにモンゴルに帰って実業家でもやるか、親方になって国技館の入り口でキップ切ったり場内の警備したりしてたはず。そんなバカな話があるだろうか。

「勝てなくなったら引退するしかない」っていう横綱の在り方を見直さないとそういうことが起こってしまう。それに、「勝てなかったり、ケガしたりしたらもう引退するしかない」となれば、やっぱり地位を守るためにちょっと負けたらすぐ「どこそこが痛い」とか言い始めて休場したり、ケガしないように星を売り買いして横審やファンの求める12勝とか13勝の勝ち星をキープしようとするでしょう。

この「横綱は勝てなくなったら引退」っていうのが、これまでの相撲をつまらなくしていた原因のひとつ。横綱と大関が少ないいま、この点をぜひとも見直してほしい。ほんとうは横審がそういうことを協会に提言したりしてほしいんですけどねえ。協会の幹部はみんな力士あがりで、これまでの慣習に疑問を持つ人なんかいないんだから(疑問を呈して改革をもくろんだ貴乃花は事実上追放された。つまりそういう組織ってことでしょう)、いろんな世界で豊富な経験をつんだ(はずの)横審の委員が「制度に問題があるから相撲がつまらねえんだよ、ここをこう変えたらどう?」ってどんどん言わなきゃ存在意義がないのでは。「11勝?ふがいない」「14勝?横綱の責任を果たして立派」とか言うだけの仕事なら中学生でもできる。

不合理すぎる昇進基準も見直し、「横綱」はただの資格・称号にせよ

それと、「2場所連続でなんたらかたら」という横綱への昇進基準。

過去にはこんな基準はなくてわりといい加減だった。しかし優勝もしなかったのに横綱へ推挙した双羽黒が問題起こして横綱在位中にいきなり廃業した事件があって、それで基準を厳しくした、という流れでこうなった。

しかしこの基準にしたからといって立派な横綱ばっかりになったのかっていうと、べつにそんなことはない気が。協会や横審がどう思ってるか知らないけど、いちファンとして言わせてもらうなら、その基準で上がった人でも巡業サボってサッカーやったり、負けを認めず土俵下から駄々こねたり、酒飲んで下の者をビール瓶でぶん殴ったり、そんな横綱ばっかりだったわけで、勝ち星の数(しかもものすごく短期的な)を厳しくしたところで意味ないってのはもう実証済み。

勝ち星の数を目安ではなく完全に厳格に(たとえば直近3場所で絶対40勝以上とか)に決めてあいまいさを回避してもムダ。厳格にすればそれを満たしさえすればいい、となって星の売り買いが活発化しそう。それに短期間の勝ち星で決めると、(ガチが前提なら)ますます運に左右される部分が増えて、ほんとうに実力がある人が昇進できなくなっちゃう。

 

これも前に書いた話ですが、たとえば大関が

14-1、7-8、13-2、9-6、15-0、8-7

という成績で優勝3回だったとする。優勝3回ならとんでもなくスゴイ成績だし、年間トータルでは66勝24敗、勝率は73.3%で、八百長横綱大関が大手ふって歩いてた時代以外なら年間最多勝になるかもしれないくらいですが、これではファンや横審や協会は満足しないし、横綱に推挙、という話にもならない。「2場所連続優勝」はしてないし、優勝の次の場所には皆勤で負け越し、カド番になっている。優勝した場所以外は二けたにも届いてなくて、「安定感がない」「数字的に物足りない」と言われちゃうでしょう。

しかしたとえばほかの大関が同じ1年間で

7-8、8-7、8-7、9-6、14-1、15-0

で、14勝の場所は準優勝、その次が全勝で優勝してたら、「2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績」を満たしているし、「素晴らしい成績」と称賛されて横綱に推挙されるでしょう。こっちは年間で61勝29敗で勝ち星は少ないし、カド番の場所では8勝でやっとこさ切り抜けているくらいだし、優勝は2回だけだし、トータルでみれば「安定感」は欠けているはずなのに。

そう考えると「2場所連続なんたらかんたら」とかいう昇進基準がいかにバカバカしいかわかるでしょう。なにがなんでもとにかく2場所連続で優勝すればいい、のなら、そりゃあ優勝した次の場所、綱とりとなる場所はどれだけカネがかかろうと星を買おうと考えるでしょ。だから昭和時代やモンゴル力士全盛時代は昇進がかかる場所にはあやしい相撲内容ばっかりになっていた。自分たちの名誉欲や金銭欲のために、客に無気力相撲を平気で見せるわけだ。なめすぎじゃないの?

 

横綱は勝てばそれでいいんだ、それ以外の部分はすべて目をつぶる、っていうんなら勝ち星だけで決めてもいいけど、そこらへんも半端だからややこしくなる。毎回毎回勝ち星の数だけで大騒ぎするくせに、なにか問題を起こすと「品格」がどうとか言い出す。「品格」などというものには数値的な基準はないから、それも時と場合と人によって言うことが違って不公平な扱いが多くなって力士はかわいそう。前代未聞の問題行動を土俵でさんざん繰り返した白鵬がクビにならず親方になって、コロナが流行ってたときにちょっとキャバクラに行っただけの朝乃山はクビ宣告同然の6場所出場停止。あまりにメチャクチャすぎる。

短期的な勝ち星でああだこうだと騒いで、「品格」とか言ったところでそれもいい加減、そんなだから横綱の存在が軽いものになってるんじゃないの。ていうかそもそも「横綱」を神様みたいに扱うこと自体が間違ってるというか無理がある、っていうのがハッキリしてきた、ということなんじゃないか。相撲協会というちいさな内輪で競うなかでいちばん強いからって神様? もともとただの力自慢のアンちゃんってだけの若者が若くして神様扱いされたら調子に乗ってしまうのはもう必然、ならば問題横綱ばかり生まれるのも必然。なので「横綱」は江戸時代のように、地位ではなくただの称号・資格に戻すべきと考えます。そうすれば引退を回避するために見苦しいことしたりする横綱はいなくなって、ケガしたり調子を崩したりした横綱にも再起のチャンスが与えられる。

それについては前にも書いてるのでここでは省略しますが、→大相撲:横綱にも降格を認めよ ケガしたりしてたまたまいっとき負けが込んだら横綱免許返上、また頑張って横綱免許を目指す、っていうふうになれば、ちょっと負けるとすぐに休場して職場放棄、逃亡するような見苦しい横綱も生まれなくなるだろうし、不祥事起こしたら免許停止、まじめにやったらまた免許あげよう、っていうふうにすればみんな真面目にやるでしょ。

今はいちど横綱になってしまえばよほどのことがないかぎりそこから降ろされることはないし、品行方正でいたところであんまりメリットがない。だからおかしな横綱がいっぱい生まれた。選挙で勝ったとたんにまじめにやらなくなる議員みたいなもの。奴ら議員も、ちゃんと仕事しないとすぐ降ろされる、っていう意識があればもうちょっと真面目にやるはず。だから選挙に参加してアホな議員を落とすっていうのが大事なわけですが、横綱も同じように「まじめにやらないとすぐ取りあげられる」というただの称号、資格にするべきです。

 

とは言っても、そんな抜本的(岸田が言うようになってからこの言葉嫌いになった。いかにも詐欺師的な響き)な改革は無理だろうなあ。万が一そういう人が内部にいてもつぶされてしまうだろうし、横審は問題意識ゼロだし。八百長問題で揺れた時に協会がつぶれて、外部の人が理事長になったりしてたら変わってたかもしれないと思うとちょっと残念。あれは千載一遇の大チャンスだった。

ともかく、貴景勝の来場所には注目ですね。もし昇進ってことになっても、おそらく不安定な成績になることは変わらないと思うんですけど、そこはみんな長い目でみよう、っていうふうになってくれることを願いたい。

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