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大相撲:元横綱・曙太郎氏が死去

パチスロとは関係ない話。

若乃花・貴乃花ら「若貴」とともに史上空前の相撲ブームの立役者となり、大相撲史上初の外国出身横綱になった元第64代横綱・曙の曙太郎さんが死去。

NHK NEWS WEB 大相撲 元横綱 曙太郎さん死去 54歳 外国出身力士史上初の横綱

心不全で倒れて以降、病気と闘いリハビリにつとめる状態が何年も続いているという話はきいていましたが、まだ54歳。私と同世代の人の早すぎる死に愕然とするばかり。心よりお悔やみ申し上げます。

何度か書いたと思いますがいわゆる「若貴」で大相撲が超人気だったころは私も何度も両国国技館に足を運んでそのエキサイティングな相撲に熱狂した身。今回はそのころのことなど書いて、曙さんの追悼としたい。

小錦をみたとき以上の衝撃を受けた!

私は小学校高学年くらい(80年代初頭ころ)から大相撲を見ていましたが、何十年もみてきたなかでも「こりゃあバケモンだ」と衝撃を受けたっていう(もちろんガキの目から見れば力士はみんなバケモンなんですけど、そのなかでも人間離れして際立ってるという意味で)力士はそんなに多くない。

もちろん北の湖も北天佑も千代の富士も貴乃花も、みんな「ものすごく強い」と思わされたけれども、そのへんの人はあくまで「人間」が鍛錬によって強くなった、という感じで、「バケモン」という印象はなかった。

しかし小錦が登場してきたときは、その人間離れした圧倒的巨体とパワーに「バケモンが来た」と恐怖をおぼえ、こりゃああっという間に横綱になってしまうだろう、と。

じっさいはその小錦に真正面からぶつかっていって最初は負けたけれどもついには力で勝てるようになっちゃった貴乃花こそが本物のバケモンだったわけですけど、ともかく小錦をみたときにはビックリした。ほんとうに人間か?こんなの誰も勝てないだろ!

と、思ってたらその小錦にあこがれてハワイから来たっていうもっとスゴイのが出てきた。それが曙。

日本相撲協会の公式チャンネルにこんな動画が↓。前相撲の映像が残っているとは。若貴もいたからということもあるのかな。前相撲からすでに大人と子どもみたいな相撲になってますね。その時点では長身ながらヒョロっとしてて、どう見ても相撲取り向きな体形にはみえない。このときは彼が横綱にまでなるとは周囲の人の誰も思ってなかったそうですね。

それにしてもスゴイ相撲ばかり。男と男が命がけでぶつかる姿はほんと引き込まれる。昨今は大相撲に入門する若者がだいぶ減っているようですが、こういうのをリアルタイムで見てればまた違うと思うなあ。

曙がオバケじみて見えたのは、やはりその背のデカさと手の長さのせいでしょう。その長い手のものすごいパワーでプッシュプッシュしながら長い脚でズンズン前に出ていく姿はまさに圧倒的迫力。動画にある貴乃花をなにもさせず吹っ飛ばすところなんかはまさにオバケ。スタイルとしては小錦と同じだけど長身なぶん迫力がさらに増してみえた。下半身が細くて力士らしくないビジュアルで猛烈なパワーを発揮するってところもなんか異様でしたしね。

彼が若貴と出世争いをしていた当時私は大学生でしたが、当時はものすごい相撲ブームだったから、学生ばかりの仲間うちでも相撲の話題はけっこう出ました。仲間内では曙派はほとんど私だけで、周りはみんな若貴を応援していましたね。私も若貴は嫌いじゃなかったけれど、当時は「若貴は相撲一家に生まれたサラブレッド」という認識があって、「サラブレッド」には反射的に反感をおぼえてしまう私はやっぱり曙を応援したくなった。もちろん若貴は家柄やコネによらず努力と実力であそこまでになったというのを今はわかっているし尊敬していますけどね、当時はそういうふうに思っていました。

そして彼らが横綱になったころには何度も国技館へ観戦に行くことに。残念ながら近くでその姿をみることはできませんでしたが、遠目でも曙のカラダの巨大さは際立っていましたねえ。

1994年以降は膝の不調で若貴にリードされたままになってしまいましたが、そのころもそのあとも、私は若貴よりも曙を応援してました。だから引退のときは寂しかったし、相撲協会をやめてプロ格闘家になるって話を聞いたときは驚いた。

プロ格闘家・プロレスラーとしては苦難が続いたが・・・

いまでも語り草になっている、2003年大晦日の、「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」でのボブ・サップとの一戦。KOされてリングに横たわる様は横綱まで張った男の姿とは思えませんでしたね。

彼の著書「曙」によると、K-1から参戦の打診があったのが試合のたった2か月前の10月末だったらしい。すぐに決めないとチケットの売上に影響するからK-1側は「いますぐサインしてくれ」とか無茶なこと言ったとのこと。

Amazon.co.jp 「曙」

↑内容はあまり濃くない(K-1参戦に至った経緯が中心で、下積み時代や若貴とのことなどはあまり書かれてない)ものの、彼がいかに礼儀・礼節を重んじていたかがよくわかる本。相撲協会を辞めるなら先に相談するべきは理事長ではなく師匠だろ、と個人的にはツッコミたくなるけれど。)

 

それで相撲協会に辞表を出して受理されたのが11月5日。北の湖理事長からは「ほんとうに後悔しないな?」とさんざん念を押されたようですが、いやいやいや、いくらなんでも急すぎるのでは。キックだのパンチだのの経験なんかないのに、しかも親方やってて体もなまっていたのに、たったそれだけの準備期間でなにができるというのか。あまりに無謀。無様に負けたのも当然といえば当然だったんでしょう。そしてそもそも相撲がまともにとれないくらい膝が悪くなってたのであれば、その後も負け続けたのも当然か。

しかし親方時代の彼には「親方株を買うカネがない」とか「横綱だった自分がいつまでも部屋付きでいられない。でも部屋をもってその経営をするのは自分にはムリだろう」とか、そしてなによりも「戦いたい。戦ってる姿を子どもたちに見せたい」という思いがあったそうで、そこへK-1参戦の話が来たから乗った、ということらしい。それにしても言われるままに準備期間ほぼナシで参戦しちゃうのはお人よし過ぎるというかなんというか。K-1側は彼が無様にのされようが客が入ればそれでよかったわけで、カネのために彼を利用しようとしただけなのに。そういうふうに人を疑うっていう意識は彼にはなかったんでしょうね。

と、私は彼が相撲をやめて格闘技やプロレスに行ったことには否定的ですが、やりたくもない親方業をやめてあたらしい挑戦をしたその勇気はスゴかった、と称賛せざるをえない。ケガや病気さえなければもっともっとものすごい仕事をしてくれたんだろうになあ、と思うとほんとうに残念。

 

最後に、著書「曙」にはすごくいいことが書いてあったのでここに引用しておきましょう。立ち合い変化とかセコイことして勝とうとする力士とか、それを「ルールで禁止されてないからいいんだ」と言っちゃうファンとかにはぜひとも読んでいただきたいですね。

・・・

私は若関、貴関という素晴らしいライバルを得た。彼らを目標にがんばり、出世することができたが、彼らと闘ってきたなかで得たことはそれだけではない。

私は、相撲は勝ち負けだけではないということを教わった。勝負には白と黒しかない。しかし、相撲はそれだけではないのだ。もし相撲が勝ち負けだけなら、立ち合い変わったり、叩いたりすればいいが、それは勝負ではない。

最も大切なことは、自分の相撲を取ること。自分の相撲を磨き、それを本場所で見せること。そうすれば、お客さんも満足し、拍手を送ってくれ、また観に来ようとなる。相撲取りは、目先の勝利ばかり考えず、そうならなければならない。

だが、そのためには勇気が必要だ。たとえ負けたとしても、自分の相撲を磨き、取り続ける度胸がなくてはならない。

最後まで闘うことをやめなかった男が言うと説得力がある。大相撲も、こういう心持ちで頑張ってくれる人がもっと増えれば、若貴&曙時代のような人気を取り戻すことができるかも。

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