母の認知症の進行を振り返る話の続きです。
以前の記事 要介護認定を受ける① で、
市がやっている、介護予防のための「生きがいデイサービス」
に行かせていたものの、認知症がすすみ、それも困難になってきたので、
介護認定を受けて、介護保険をもらいつつ、
要介護者のためのデイサービスに行かせよう、となったという話を書きました。
地域包括支援センターでその旨を話したところ、
市の高齢者福祉課から電話がかかってきて、
「お母さんに会って話をききたいので、都合のいい日を教えてください」という。
要介護認定とは
要介護認定とは、介護保険の保険者である市町村が、
被保険者が「介護を要する状態」であることを認定する
ことです。→参考
市の担当者が、本人の状態をみて、その人を介護するために
どれだけの手間と時間がかかるか、を基準に、
7段階で要介護度を認定し、その段階によって、
自己負担額1割(もしくは2割)で使える介護サービスの金額が決まります。
軽い段階なら、使える介護サービスは少なくなるし、
重ければ、より多くの介護サービスを、自己負担1割(2割)で利用できます。
で、介護認定の7段階とは、
自立(なんでも自分でできる人。介護サービス費支給の対象外)を除くと
・要支援1or2
・要介護1~5
で、要介護5が、最も重い状態、ということになります。
母は、この時点ではまだ、よくしゃべるしよく動くし、パッと見だけでは
認知症とはわからないくらい。犬の散歩にもひとりで行っていたし、
風呂もひとりで入れる。ただ、物忘れが激しい、家事をやろうとするがすべて失敗するので、
火の心配などもあり目が離せない。そんな感じでした。
いま考えればカワイイもんだったんですが、そのときはそうは思えなかったのです。
で、とりあえず週に2回か3回くらいはデイサービスに行かせたい。
「要支援」ではそんなに行かせられないので、
「要介護」にはなってほしい。この時点ではそう考えていました。
他人の前ではまるで別人になる
ここで心配だったのが、母の、
他人がいる場所では別人のようにしっかりしてしまうという性質。
このころは近所の人たちにも、母が認知症ということに
気づかない人も多いくらい、他人と話すとしっかりしている。
というよりも、ほんとうは本人が努力して、呆けていることを
悟られないようにしていたのかもしれません。
しかも足腰はしっかりしてるし、調査員の目がフシアナなら
要支援どまり、まさかとは思うけど「自立」もありえるんじゃないか・・・
と思いながら、訪問調査の日を迎えました。
調査員を笑顔で歓待する母
調査員の方(このときは30くらいの女性)が来て、母に「おかあさんにお客さんだよ」
と言うと、相手がどんな人間か説明してもわからないながら、
お客さんなら接待しなきゃ、とばかりに、
お茶を入れたりしようとします
(普段はできないのに、完璧にやっている!)
調査員の方は、とりあえず母と話したい、というので、
私はそばに座って、話をしてもらいました。
調査員の方が笑顔で話しかけると、普通に笑顔でこたえる母。
「いま、季節は何ですか?」と訊かれて、夏なのに「え~と・・冬かな」
とか、間違ったことを連発しながらも、
「自分で~~をできますか?」ときかれると、
実際はできないのに「できます」と答える母。
私は、それをまともに受け取られたらたまらんと思って、
つい「いやいや、できません!」と口をはさんでしまいます。
調査員の方は「あとでききますから。(黙っててください)」
と言って、私に口をはさまないように言います。
多少大げさに、困ってることを話す
普段とはまったく違ってしっかりしている母の様子に、
調査員の方がどう感じたかはよくわかりませんでしたが、
母との面談後、私は多少大げさに、私が困っていることを話しました。
この時点では不潔行為や徘徊などの症状は出てなかったものの、
とにかくひとりにできない、目を離すとなにをするかわからないというところが
問題だったので、そこを強調しました。
「要介護1」となる
数週間後くらいか忘れましたが、封書が届き、
「要介護1」に認定された旨が書いてある文書と、
「介護保険被保険者証」が入っていました。
とりあえず、そこそこ介護サービスが使える「要介護」に
なったことで一安心でしたが、ついにここまできてしまったかという
落胆、不安もありました。これからどこまで進んじゃうんだろう・・。
このあとの話はまた別の記事で書いていきます。