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懐かしい土地へ行って古き良きぱちんこに思いをはせた・・・というだけの雑談

先日所用で都心のほうへ出かけました。

そんなふうにふだん行かない場所へいくときは、行ったことのないパチ屋に入って打ったことのない台や地元にはないような珍台を打って楽しむ・・というのが通例・・・・だったのですが、ここ最近はそうならなくなってきました。

というのは、田舎だろうが都会だろうが大型店だろうが小型店であろうが、どこのホールに入っても設置してある台は同じだし、雰囲気もだいたい同じだから。以前からそういう傾向はありましたが、パチ屋が淘汰され少なくなり、それどころか台のメーカーですらもどんどん潰れて減っていくという流れが加速するにつれ、ますます「どこへ行っても同じ」になってきていますね。

だから出先で入ったことのないパチ屋を見かけてもほぼスルーするのですが、今回はいくつか覗いてみたりもしました。

生まれ故郷周辺を探索

ここに書いたことなかったですが私は田園都市線沿線で生まれ育ったのです。その関係で定期的にそのへんに行く用事ができるのですが、今回は子どものころに親との買物や友達との遊びで親しみ、学生時代にぱちんこのホームグラウンドにしていた溝の口周辺にちょっと寄ってみたのです。

数年に一回くらいは行くには行っていたので、再開発のくりかえしによって私の少年時代とはまったく様変わりしていることは知っていました。でも今回はクルマを置いて中心部を歩いて回ったりして、細かいところもいろいろ見てきて、ああ~あの店はもうなくなっちゃたんだ、とか、ああこれはまだあるんだ懐かしいなあ、とか、味わいながら探索しました。

 

まずイトーヨーカドーに行って、最近そこに入ったらしい新しいブックオフで中古CDを物色。出先のパチ屋に入るのは面倒くさくなっても、ブックオフなどリサイクル店をめぐって中古CDやレコードを漁るのはやめられない。ブックオフもチェーン店だから基本やってることは同じですが、置いてある商品の傾向は地域差がけっこう出る。だからとりあえず覗いてみなくてはならないのです。

このイトーヨーカドー、私の幼少期には少し離れた別の場所にあって、私が高校生だった1986年ころに今の場所に移転。それにあわせて私はそこでバイトをしたので、いろいろ思い出のある場所なのです。イトーヨーカドーも業績不振で閉店が相次いでいるようですがこの溝の口店はまだ健在でいてくれて嬉しい。

そのブックオフで中古CDを20枚くらい購入。遠くまで来たんだからもうちょっと買いたかったけど、値段がとにかく高い。お得感ゼロ。こんなもんこんな値段で誰が買うんだよ・・・ってのが非常に多い。なにも考えずにネットの相場をみて値付けしてるんでしょうね。足を運ばなくていいネットならともかく、リアル店舗で同じ値付けをしても売れないと思うんだけど。

 

そこから徒歩で駅のほうへ向かっていきます。すると「ノアアークス」というパチ屋が。

ここは1990年に「ピーアーク溝の口」というパチ屋ができた場所で、そのとき大学生だった私が通い詰めたホールでした。それ以前のパチ屋はパンチパーマの感じの悪い店員が客を監視しながらバクチを提供する鉄火場、というイメージでしたが、それを覆しぱちんこホールを「お客をおもてなしするアミューズメントスペース」にしようとした革新的なホール。プリペイドカードでプレイしたのもこのホールが初めてだったし、店に入ると会社の受付みたいなカウンターにおねえさんがいて頭をさげて迎えてくれるってのが猛烈に新鮮だったのを覚えています。

このホールではたしかパチスロでは「マジカルベンハー」とか「ドリームセブンJr」なんかをたまに打った記憶が。当時まだガキだった私にはパチスロはよくわからなくておっかないものというイメージでしたから。「ピーアーク溝の口」でいちばん打ったのはたぶんパチンコの「ブラボーキングダム」。1992年に登場した狂気の数珠つなぎ連チャン機。攻略法が発覚して業界を揺るがした伝説のマシンですね。

 

大連チャンして10箱以上積んだあとにそれが一気に全部飲まれるなんてのは普通にあって、天国も地獄も見せられた強烈な台でしたが、のちにその大当たりシステムがわかってからはそれも納得でしたね。

そんな体験もした懐かしい「ピーアーク溝の口」はもうないのか。後継の店には入ってみる気も起こらずスルー。あとで調べてみてもやっぱりとくにそそられる珍しい台はなかったので正解でした。

消えたホール、カンバンが変わったホール、生き残っているホールもあって悲喜こもごも

さらに歩いていきますと、「ニューパレス」とその上にあるスロット「M&M」が。「ニューパレス」はかなりの老舗ですね。 どちらもけっこう利用したホール。「ニューパレス」は外観が現代的になってて驚いた。そのへんの「たたずまい」という点においてもいまのパチ屋はみんな同じ。

私は大人になって就職してからこの土地を離れましたが、会社をかわってから一時ここへ戻った時期があって、そのころにはこのホールにけっこうお世話になりました。下のホールでは海物語や初代の「新世紀エヴァンゲリオン」を打ちまくり負けまくりました。上のホールで打った台でいちばん覚えているのはなぜか「人造人間キカイダー」。ほかに設置しているホールがなくてここでしか打てなかったから。 初期の5号機なだけに出玉性能はショボいし完成度が高いとは言えなくともかなり面白い台だったんですよ。ジローのギターの哀愁のメロディが流れてきたときのオシッコジャ~な感覚は忘れられない。これが打てるところがあるならぜひとも遠征したい!

 

で、その「ニューパレス」「M&M」の前にディスカウントストア「ドン・キホーテ」があって、その地下に「楽園」が入っている。

この「ドン・キホーテ」の建物は私がこのあたりにいたころは「長崎屋」というスーパー(?というか今でいうところのショッピングセンターみたいな感じ)でした。調べてみると長崎屋は2007年にドン・キホーテ(現パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス)の傘下に入り、それで溝の口の長崎屋も「ドン・キホーテ」になったらしい。

そうなのか。幼少のころからお世話になった長崎屋がゴテゴテしたディスカウントストアとド派手なパチ屋に変わっていたのに衝撃を受けましたが、どうも建物は長崎屋のものをそのまま使っているようなので、懐かしさにつられてここは入ってみました。

エスカレーターや階段は古びたままで「長崎屋」当時の雰囲気がそのまま感じられ、いまは亡き両親に連れられ買物にきていたころを思い出しました。たしか「おあしす」(?)とかいうレストランがあって、お子様ランチなどを親にねだるのが常でした。私の親は「外食?そんなもんもったいない」という人たちでしたから、その願いが聞き入れられることはほとんどありませんでした。屋上には遊園地みたいなのがあって幼少の私の好きな場所でした。中学生くらいのときには、たしかアーケードゲームがプレイできるところもあって、「ディグダグ」や「ペンゴ」「リブルラブル」なんかをプレイしまくったような。ゲームセンターも地域にはいっぱいあって、当時のパチ屋同様「あの店にはこれがある」とかいう個性がけっこうありましたねえ。

その流れで地下の「楽園」に入ってみましたが、いやあ、ゴチャゴチャしていてなにがどうなっているのかよくわからない。店内で迷子になりそう。設置台数が700台以上みたいだから、いつもせいぜい500台くらいのホールで活動している私には当たり前か。

しかしここで感心したのは、このホールには「羽モノ」がなかなかの規模で設置されていたこと。アムテックスの「Pポチっと一発!おだてブタ2」や「Pニュートキオ ハカマタイプ」がシマ単位で並んでいました。

けっこうお客がついてたものの、後ろから見ていても「全然鳴かねえなあ」という感じだったし、ブックオフで時間を費やしすぎて余裕もなかったので打つのは見送りましたが、羽モノをちゃんと設置しているというだけで評価に値しますねえ。これでちゃんと釘をたまにいじっているとかならもっといいけれど、そのへんはどうなのか。ボッタクリ釘でほったらかしかな?

↑このPVみるとかなり面白そうで、打ってみればよかったかな、とちょっと後悔。わが地域には残念ながら設置がない。

 

ほか、溝の口を歩き回ってみましたが、若かりしころの私が通ったホールの大部分はなくなっていましたね。「ニューコガネ」では「ネオマジックパルサー」や「ゴルゴ13・ザ・プロフェッショナル」などに高設定が使われていて(7枚交換)、それが簡単にとれたのでけっこう行ってました。良心的なホールだったのになあ。そのニューコガネの近くの生鮮食料品店「十字屋」がまだ営業していたのは嬉しかった。子どものころの親との買物は、魚や野菜は十字屋、そのほかのものは長崎屋もしくはサンコー(のちにマルエツに)で、ってのが決まりでした。

かの有名な田山幸憲プロが「ネグラ」にしていた武蔵溝ノ口駅前の「P.S.ビッグトップ」もだいぶ前になくなりましたね。ビッグトップには私も90年代前半ころにはよく行っていて、田山さんが「フィーバーキングⅡ」とかを打っているのを何度もみかけたことがあります。そのときは知らなかったから「あの人いつもいるなあ」くらいでしたけどね、あとでそういう人だというのを知ってビックリ。私のほうはそこでは「エキサイト1.2.3」や「ジャスティ」「舞羅暴極Ⅱ」などを打ち散らかしていつも負けていました。

「エスパス日拓溝の口」はまだあるんですね。このホールもたしか私が大学生くらいのときにできたと記憶。ここでは豊丸の名機「アメリカンドリーム」や藤商事の「メガトロン」でめちゃめちゃに負けまくった思い出しかありません。

↑猛烈に負けたが猛烈に面白くて打ちまくった名機!難関をくぐりぬけて玉が当たりに到達したときの「やった!!!」という脳汁放出感はもうたまらん。パチンコの醍醐味を凝縮したという意味ではまさに名機、パチンコとはこうあるべきというお手本。勝てるかどうかという意味ではサイアクですけどね。 ドツキ対策を講じ風車の動きにランダム性を加えれば今でも出せそうな気もするが・・・ダメなの?

 

といった感じで溝の口界隈を探訪。パチ屋はほかにもありましたが、「どうせ同じ」と思うといちいち全部チェックしようなどいう気にもならず、これで終わってほかの用事をすませに行き、溝の口探訪を終わりました。

 

いろいろ思い出してみると、私が学生もしくは社会人になりたて、ただの養分パチンカーだったころのパチ屋は、この店はこの台があるから行くとか、この店は一発台や羽モノが充実しているからとか、この店のあの台はほかの店にはない裏モノだから(これはいけないんだけど)とか、好きな台に高設定が投入されることが多いとかいう、その店に行かなくてはいけない理由というものを備えた店が多かった、という気がします。いまは(まったくないというわけでもないけれど)それがない。同じ台が同じような装飾で同じように運用されている。まあ規制規制で店で勝手なことができないというのもあるから仕方がないとしても、業界全体でメーカーもホールも新規参入がしにくい仕組みになっているというのがこの流れを加速させているのも問題ですね。面白いことをしようという人や会社が出にくくなっている。するとほかの店との差別化をする方法は「出玉」だけになってしまうから、大手だけが生き残っていく。するとさらにどこへ行っても同じになり、ますますつまらなくなっていく。

 

で、このあと川崎市内に宿泊、翌日にはこの方面へ来たときには恒例になっている、スロットゲームセンター探訪へ出かけましたので、次の記事でそのへんのことを書いていこうと思います!

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