1951年に創業、「CR花満開」などのヒット機種を多数輩出したぱちんこ機メーカー「西陣」が、「廃業」することを発表しました。
SANKYOなんかは業績が上ってて賃上げもするとか言ってて、ぱちんこメーカーってこのご時世でも殿様商売ができてほんといいなあ~なんて思っていたんですが、殿様商売ができるのはヒット機種を出せるメーカーだけで、そうでないメーカーはやはり厳しいということらしい。上場してる企業なら業績なんかも見られるけど、西陣は非上場ですからこんなことになるとは寝耳に水でした。KYORAKUとかマルホンとか大丈夫なんだろうか。KYORAKUは潰れてくれても全然かまわないですけどね。
現在設置中の西陣の台のメンテナンス等は西陣の製造部門であるソフィアや業務提携しているエース電研が担当するとのことですが、ソフィアは今後も存続するってことなのかな。そのへんはちょっとよくわかりませんが、NISHIJINブランドは消滅するっていうのは間違いないんでしょう。
それはちょっと寂しいなあ。最近のモモキュンソードだのモンキーターンだの結城友奈だのはほとんど全部ゴミ台ばかり(その意味ではこれは当然の成り行きとも言えるか)でしたが、私の若いころはそれはそれは魅力的な台をいっぱい出してくれてて、ものすごく楽しませてもらいましたから。
今回は西陣のすばらしい名機たちに感謝をささげる気持ちで、その思い出を書いておきましょう。
パチンコ本来の面白さを教えてくれた羽根モノ「パチンコ大賞」
初めて打った西陣台はなんだったか・・・高校生だった1987年くらいからパチンコは友達とちょくちょく打っていて(といってもガキでカネはなかったから数百円勝負してすぐ帰っていた。制服でパチ屋に入っても追い出されませんでしたから、昭和はおおらかでユルクて良かったですねえ)、そのときはメーカーなんて意識してなかったからわかりませんが、明確に「西陣の台」と意識して楽しんだという意味で最初の台はたぶん、1990年に登場した羽根モノ、「パチンコ大賞」だったと思います。「マッハシュート」だったかも。しかし面白くて印象に残っているという点では「パチンコ大賞」が圧倒的。役物のオヤジが持ってるドル箱に「NISHIJIN」って書いてあるからその名を嫌でも覚えた。
これを打っていたときはパチンコのことなどなにもわからない大学生でした。今と違ってパチ屋にはいつも友達と一緒に行っていて、「パチンコは友達と楽しく打つもの」という認識でした。百円玉をサンドに入れてプレイしていた、まさにパチンコが健全な娯楽だった、いい時代でしたねえ。藤商事の「メガトロン」とか豊丸の「アメリカンドリーム」(これはパチンコ史上に燦然と輝く大傑作。どこかで打てないだろうか)とかの一発台でメタメタにやられておカネがなくなったあとに未練打ちするのが「パチンコ大賞」でした。
未練打ちしてたといっても、面白さという点では「メガトロン」「アメリカンドリーム」に負けてなかったですねえ。大当たりラウンド中4個目を拾って以降はオヤジがドル箱を持ち上げてくれて玉を貯留、羽根が9個目を拾ったら貯留した玉をドバア~って落としてくれるので高確率でV入賞してラウンド継続、ていうシステムでしたが、最大の6個貯留しててもV入賞せずパンクとかあったりして、大当たり中も常にエキサイティングでした。西陣マシンのなかでも名機のなかの名機と言って差し支えないでしょう。2号機「アラジン」でパチスロというものをはじめて触ったのもこの台を打っていたころ。
動画みてると、これぞパチンコ、っていう気がしてきますねえ。常に銀玉の動きに一喜一憂させられる。だから飽きない。比較すると現代の液晶デジパチは「パチンコ」とは似て非なるものだということがよくわかる。現代のデジパチはテレビゲームに「当たれば玉が出てくる」っていう要素を付加しただけ、っていう感じ。
「花鳥風月」の連チャンにシビレる
そして1992年に登場したのが連チャンデジパチ「花鳥風月」。連チャン率約30%チョイ、とされていますが、体感的にはもっと激しい連チャンをした気が。なにしろ連チャンするときは1回転で当たりますから、大当たり後1回転目にリーチしようものなら失禁必至。そのアツさは半端じゃなかった。絶妙に焦らしてくれるリーチが最高。
そのかわりハマリも恐ろしくキツかった。1G連の確率が約30%なのと同様に、通常時のハズレも約30%で連チャンするから実質の初当たり出現率は公称の1/220より大幅に下がる、という詐欺みたいなシステムだったっていうのは後で知りました。
まあ詐欺みたいなシステムだろうととにかくアツく楽しめた素晴らしい台でした。このときは連チャンデジパチが盛り上がってきてたころで、私が行ってたホールの「花鳥風月」と同じフロアには「ブルーハワイ」や「麻雀物語」「ブラボーキングダム」とかが並んでいて、どれもこれも好きで好きで打ちたくて仕方がなかった。あさイチ開店時にT-SQUAREの「TRUTH」とともに「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」というパンチ頭の店員さんのアナウンスが流れるなか目当ての台に突進していくときにはすでに脳汁が溢れまくりでした。しかし今はパチンコに対してそんな気持ちになることは全然ない。若かったからっていうのもありますが、やっぱり掛け値なしに面白い台が多かったんだと思うんですよね。シンプルなドットデジタルが美しかった「パーラーキング」も面白かった。
「春夏秋冬」「春一番」「CR花満開」にケツの毛までむしり取られた新社会人時代
そして私が就職して新社会人となったころの1993年。歴史的デジパチ名機が洪水のように登場してきました。入った会社はブラック企業だったものの、まだ新入社員ということで責任ある仕事は任せられず、休みもきちんともらっていた私は、休みの日には学生の時と同じようにパチ屋に入りびたり、「びっくりマン」「綱取物語」のモーニングをまず狙い、そのあとには「ダービー物語」「プリンセス物語」、それにもちろん西陣の「春夏秋冬」や「春一番」を打ちまくっていました。
→技術介入で勝利へ一歩でも近づこうと努力する。それこそがパチンコの真髄・・のはず!
そしてCR機時代の到来。大ヒット機種であり同時にたぶん西陣の最高傑作でもある「CR花満開」が登場。3・7図柄で当たればその後2回当たるまで確変継続、その2回のあいだにまた3or7で当たればまたあと2回。確変率は初当たり時は2/15なのに対し確変中は3倍(約40%)になり、そのうえ保留1個目での連チャンもあるという当時としてはスゴすぎる仕様。設定付(3段階)というのが今考えるとクソでしたが、当時はそんなことは考えませんでしたね。青かった。
↑3・7図柄テンパイで「さくら~さくら~」と流れたら周囲の人がいっせいにそこに注目しちゃうアツさ。まさに「脳がとろける」という感覚を味わい、ほんとうに脳がとろけてパチンコにどっぷりハマって破産・・という人も大勢いたでしょう。激アツなうえに美しい、間違いなくデジパチ史上五指に入るリーチ演出。このブログで何度かとりあげた宮下あきらの名作漫画「世紀末博狼伝サガ」で主人公サガが年収3億のパチプロと対決したのもこの台。宮下先生もこの台をさんざん打ったことでしょう。
私もこの台のまさに「脳がとろける」感覚に魅入られたひとり。先述のように「設定?どうでもいい」という認識で、釘がどうとか1,000円でどれだけ回るかとか、そんなこともまったく考えてませんでしたから、それはもう盛大に負けまくりました。「びっくりマン」「綱取物語」のモーニング狙いで貯まったおカネもほとんど全部溶かしてしまった。まさに「ケツの毛までむしられた」っていうくらい負けた。しかしそれでも、ひとたび確変を引いちゃえばそんなことは全部忘れてしまった。この台の3or7図柄スーパーリーチによりも脳汁が出る演出を搭載できた台はいまだないんじゃないかなあ。「天龍インフィニティ」の3段目突入時くらいかな。
そんなふうなパチンコライフを送っているうちに、ブラック企業での仕事も忙しくなってパチンコ打つ時間がなくなってきて、1990年代後半はあまり打たなくなってしまいました。そして西陣台と私のつながりも希薄に。最近の西陣台は「釘がアケてあればもちろん打つけどそうでなければ別に・・」っていうくらいのものしかなくて、期待していたのは「甦りぱちんこ」みたいな過去機種のリバイバルだけでした。
→「甦りぱちんこ」を打って実感!いまのパチンコがつまらない理由
そんな感じで注目も期待もしてなかったわけですが、いざ廃業とか言われると寂しさをおぼえるのはたしか。生き残ったメーカーがものすごく面白い台を出してくれてるなら「つまらん台しかつくれなくなったメーカーは淘汰されても仕方がない」って思いますけど、ぱちんこ業界の場合はそうじゃないですからねえ。豊丸やマルホン、パチスロならパイオニアみたいな独創的メーカーがあっちこっちにいっぱいあってしかも儲かっているというのなら業界にも希望があるでしょうが、儲かっているのはクソみたいなオモチャ台ばかりつくっているSANKYOだのサミーだのとかではお先真っ暗。
そういうわけで、西陣の廃業というニュースに触れ、ぱちんこ業界の衰退はこれからますます加速していくんだろう、と感じた次第。生き残っているメーカーには頑張っていただきたい。