平昌オリンピックが開催中です。
私自身はあまり興味がない
(フィギュアスケートの美しさに心を奪われることはある)
のですが、2020年にはいよいよ東京オリンピック。
国際オリンピック委員会(IOC)は、
「たばこのないオリンピック」という方針を打ち出していて、
開催地には受動喫煙防止法(条例)を必須のものとして求めていますが、
公共の場は原則禁煙、というIOCがもとめるレベルの法(条例)が
できあがるかどうか微妙になっていますね。
そんなんならもうオリンピックは降りたらどうなの?
結局それによってもたらされるカネが欲しいだけなんだろ?
「おもてなし」が聞いてあきれるよ・・と言われてもしょうがない。
いまの日本の禁煙運動は「行き過ぎ」ているのか?
屋内全面禁煙とか行き過ぎだ、
分煙でいいだろ、
行き過ぎた禁煙運動は禁煙ファシズムだ・・
という論調もよく見かけますが、
はたして屋内全面禁煙は「行き過ぎ」なのか。
たしかに、個人や私企業の所有物である建物の中のことまで
法律でしばろうとすること自体には違和感は感じます。
禁煙だろうが分煙だろうが喫煙可だろうが
そんなことは所有者や管理者が勝手に決めていいことのはず。
そういう意味では行き過ぎと言われればたしかにそうかもしれない。
しかしいつも思うことは、
たばこの問題について「健康への害」という側面から云々するのは
ナンセンスじゃないか、ということです。
「喫煙の害は証明されてない」という言い分
禁煙運動を批判する人たちがよく口にしますね。
「喫煙が体に悪いとは証明されてない」
「がんの原因になるとは証明されてない。非喫煙者だって肺がんになるし、喫煙者でも肺がんにならない人もいる」
「吉田茂は葉巻をバカバカ吸っていたが89歳まで生きた。喫煙が命を縮めるなんてことはない」
とか言って、「たばこに害がある、ということに根拠はない」と言い張る。
一見すると一理あるようにみえる意見ですが、
よく考えてみると「だからどうした」というだけの話ばっかりですよね。
吸いたい人に、健康被害を訴えても無駄
「喫煙が体に悪いとは証明されてない」というけれど、
体に悪影響を与えない、ということも証明されてないわけで、
禁煙論者に対しては「根拠がない」と批判しながら、
自分も根拠がないことを言っているわけですよね。
「おれは何十年も吸ってるけど健康だぜ」みたいなことを
根拠にしている人がものすごく多いですね。
「吸わなくても肺がんになるし、吸っても肺がんにならない人もいる」
というのも、
そんなの当たり前だろ、としか言いようがない。
誰も「喫煙すれば必ず肺がんになる」とか一言も言ってないし、
生物には個体差があるのが当たり前。
すべての肺がんの原因がたばこだ、なんて誰も言ってない。
「ヘビースモーカーでも長生きする人がいる」
というのも同じですね。
寿命を決める要素など無数にあるわけで、
それを持ち出して云々すること自体が意味ないんじゃないかと。
統計上は
「体に悪影響を与える」「がんの原因のひとつになる」「寿命を縮める」
可能性が高い(高くなる)、といわれている、
というだけの話で、
それにあてはまらない例をもちだして
「嘘だ」と決めつけるのは、
「たばこは体に悪い」と決めつけるのと
まったく同じじゃないかと思うんですけどね。
ともかく、
喫煙したい人々は、
けっしてたばこの害を認めようとはしない
(なにかのきっかけで禁煙したときに思い知るんでしょう。そういう人をたくさんみました)。
だから、それを言うこと自体がもう無駄。
しかし、たばこが体に悪いことなど、
喫煙者も皆知っているはずなのです。
知っていてとぼけているか、
知っていて「だからどうした」と思っているかのどちらかのはずです。
後者のほうはともかく、
知っているくせにとぼけて「害はない」と言うのは許せない。
たばこは体に悪い、のは明白。しかし、問題はそこではない
↓偶然見た、中学生に喫煙しないように指導するある保健所のつくった教材。
ここでは、禁煙論者を批判する喫煙者が
「根拠がない」としている
喫煙の害が並べ立てられ、
中学生に「吸ってはいけない」と訴えています。
これはすべてウソなのでしょうか。
「喫煙は体に悪い」という意見を
「根拠がない」と批判するなら、
文科省や保健所に「子どもにデタラメを教えるな!」
という批判があってもいいはずですが、
そういう人はいままでにみたことがない。
つまり、みんな知っているのです。たばこが体に悪いということを。
知っているけれど、吸いたいからとぼけている。
だいいち、子どもだと体に悪いものが
大人なら大丈夫、というのは、
それこそ根拠がないのではないでしょうか。
たばこをつくっているJTですら、
「喫煙には健康へのリスクがあるが、それは証明されてない」
というスタンス。
これはかつて水俣病でチッソが「排水と水俣病との因果関係が証明されてない」
とぬかしていたことと同じように感じますね。
もういいかげんに「たばこは体に悪い」ということは認めたらどうか。
みんなわかっているんだから。
どんなヘビースモーカーでも、
最初に吸ったときは頭痛や嫌悪感や胸やけを感じたはずで、
それはもう体に悪いということの証明でしょう。
それを言うなら酒もいっしょだろ、というのは間違い。
酒は(酒乱でもないかぎり)他人に影響を与えない、というところが違うわけで、
そこをもっと考えなければならないのでは。
なので、喫煙の問題において
「健康」という側面で云々するのは
間違い、というか無駄、というか、
ほんとうに問題なのはそこではない、と思うのです。
「からだに悪い?だからどうした」といって吸うのは個人の自由。
屋内全面禁煙をすすめる塩崎前厚労相も、
「公共の福祉に反しない範囲ならば喫煙の自由は保障されるべき」と言っていましたが、
世の嫌煙家も「吸うな」とは一言も言ってない。
他人に迷惑だから吸う場所と時を制限しろ、というだけのことで、
つまり他人の迷惑と喫煙の自由とのバランスをどのようにとるか、というのが本来の問題でしょう。
吸う人間の健康などはっきりいってどうでもよい。
勝手に吸って勝手に病気になればよい。自由です。
いつでもどこでも吸える、というのがそもそも間違いだった
中国人観光客が、どこでも痰を吐いたり立小便をしたり騒いだりする、
ので迷惑、ということがよく言われていました。
最近はだいぶ変わってきているようですが、
これはなにが問題なのでしょうか。
当の中国人観光客にしてみれば、
「痰くらい自由に吐かせろ」
「小便くらい自由にやらせろ」
「痰を吐くのは中国の文化」
「汚い?それはお前の主観だろ。中国人はそう思わない」
といったところではないでしょうか。
これは「禁煙ファシズム」などと嫌煙運動を批判する人たちの主張と同じですね。
「たばこくらい自由に吸わせろ」
「おれはいまここで吸いたいんだよ」
「喫煙は文化(だから周囲の人はガマンするのが当然)」
「臭い?それはただの主観だろ。喫煙者は臭いなんて思わない」
自分の傍で、あるいは自分の家などで喫煙される、ということは、
床に小便をされるのと同じくらい汚くて不快、という非喫煙者の感覚が、
吸っている人にはどうしても理解できない。
理解できないから「それくらい我慢するべき」と考えてしまう。
立小便をする人に対しては、小便をするなら便所へ行け、というでしょう。
小便をしてはいけない、とは言ってない。
で、たばこを吸う人に「喫煙所で吸え」というと、なぜか「禁煙ファシズム」とか言われちゃう。
吸うなとは言ってないのに
(そう考えると、便所がないから立小便をするわけであって、喫煙所がないからどこでも吸いたがる、ということなのかもしれない。だとするならもっといっぱい喫煙所をそこらじゅうに作れば喫煙マナーは向上するのかも)。
昭和のころまではいつでもどこでも吸えた。
非喫煙者がマイノリティで、だれも「迷惑だ」と言えなかった。
「禁煙ファシズム」などと批判を展開するのは、
どこでも吸えるのが当たり前という昭和的感覚をいまだに持っているお年寄りたちに多いですね。
いままでは吸わない人がガマンしていただけ、
いままでが「喫煙ファシズム」だった、
ということに何十年も気が付かない人たちです。
そういう人に、健康被害がどうのこうの、迷惑がどうのこうの、
といったところで響くはずがない。
迷惑だと思ってないから(もしくは「我慢するのが当然」と思っているから)、
「喫煙マナー」など向上するはずがない。
そもそも喫煙者が考える「よいマナー」と
非喫煙者が考える「よいマナー」には
天と地ほどの差があり、
もはやマナーや気遣いに期待するのは無駄、
ということで法で縛ろうとしている、のが現状ではないでしょうか。
たしかに法で縛るのには違和感があります。
しかし法律で縛らないとなれば、
JTがいう「吸う人も吸わない人もここちよく」
などという社会を実現するには
あと40年くらいかかるでしょう。
そのころには喫煙者自体が大麻をやってる人くらいに少なくなっているかな。
喫煙者がマジョリティだった時代を知る層が全員いなくなるころには
法律で縛る必要はなくなるでしょうが、
それではオリンピックには間に合わない。
何度か書いてますが、
私自身は非喫煙者で、
吸うなら吸ってもいいけど臭いから傍で吸うな、
どうしても吸うんならアイコス買えよ、アイコスなら臭くないからいいよ、
というスタンスです。
東京都の、家庭内にまで踏み込んだ条例案は
さすがに行き過ぎだと思いますが、
建物内全面禁煙、でも臭くない加熱たばこならいいよ・・・
という決着が一番望ましい、
と個人的には考えています。
なので、加熱たばこの普及にもっと注力するべき・・・
と思っているのですが、国はそこでも逆のことをやっている。
今回はれくらいにしておきます。
喫煙の問題については、また書いていきます。