ブログのアクセス解析サイト「Google Analytics」をみていたら、
「認知症の母親に優しく出来なく後悔」という検索ワードで来られた方が。
最近は、介護に行き詰って虐待、最悪は殺人まで発展するケースもあり、
社会問題となってきていますね。
正直に言うと、私も同じ悩みをかかえていました。
これはもう、体験した人にしかわからない悩みで、
介護殺人などのニュースで、介護などしたこともないような若いキャスターとかが、
利いたようなことをことを言っているとまさに殺意をおぼえるんですけど、
今回はこの問題について、書いてみたいと思います。
書く前から気が重い。
自分の肉親だからこそやりきれなくなり、やさしくできなくなる
母が入っている老健に、週に2回か3回は面会に行くんですけど、
認知症専門フロアなので、周りにいるお年寄りも全員が認知症です。
といっても容体は十人十色、私の顔を覚えていて、「お兄さん」と声をかけてくれるくらいの
人もいれば、いつ行ってもうつろな眼でぼ~っとしている人もいるし、
私がなにかしゃべっているのが聴こえると、難癖をつけるように大声を出すおじいちゃんもいます。
で、自分の母は、会いに行くたびにどんどん認知症が悪化してくるのがわかって、
はっきり言って面会に行くのがすごく億劫になってきます。
もう悲しくなるだけなんですよ。元気だった時の母を知っているからです。
そのギャップに堪え難いほどの悲しみを覚えます。
でも、ほかのお年寄りをみて、ああ、この人だいぶ認知症がひどくなったな、
と思っても、同じような悲しみは覚えない。ああそろそろやばいな、気の毒だな、とは思いますけど。
その人の元気だったころを知らないから、そういうもんだと思うからです。
そういうものなんだと思います。他人であるお年寄りに暴言を吐かれても
そんなにこたえないですけど、温厚だった自分の母が大声出したりするのを見ると
とてつもなく悲しくなり、それが繰り返されれば怒りや憎しみが生まれてきます。
「自分の親を殴るなんて!殺すなんて!どんなに苦しくてもしてはいけない」
という正論を、軽々しく吐く人をこそ殺してやりたくなるし、
自分で介護を体験してから言えよ!と言いたくなります。
虐待や殺人をやってしまった人は、絶対にやってはいけないことだとわかってて、
やってしまったのです。
「自分の親だから、殴ったっていいや」と考えていた人はいないでしょう。
だから苦しい。
認知症の親は、子供とは違って学習や反省をする能力がない。
100万回、同じことを言って聞かせてもわからない。
それどころか、注意されたり、意に添わないことをされたりすれば、
暴言を吐いたり暴れたりする。
そうなれば介護者は大声で怒鳴りたくもなるし、ひっぱたきたくもなります。
でも、それをやってはかわいそうだ、病気なんだから、ということも、介護者はわかっている。
だから苦しい。
認知症の肉親の介護をやっていて、怒鳴ったり、手をあげたくなる気持ちに
なったことがない人は、まずいないと断言できます。いたら嘘つきです。
そういう気持ちになることは普通のことで、
介護者がそのことで罪悪感をもってしまうと、
介護者はますます苦しくなります。
そこから暴力に発展しないようにするには、どうしたらいいのか。
私は、早めにギブアップした
私の母も、父が亡くなってから猛烈に認知症が進行して、
私一人では手に負えなくなってきました。
別の記事で書くつもりですが、徘徊で警察に2回も探してもらったし、
私の介助は拒否するし、私がつくるものは食べないし、夜は寝ないでガサガサやるし。
私もイライラがつのってきて、近所に聞こえる声で怒鳴りまくり、
箪笥などの家具に八つ当たりして、いくつか破壊しました。
本人を殴ったら死んじゃう、ということだけは、まだ理性のなかに残っていましたから。
それでも、寝たきりになるくらいまでは、自宅で面倒みようと思っていました。
で、父が亡くなってから三月もしたころ、
トイレで出した便をポケットにしまったり、箪笥にかくしたり、
手についた便を壁などに塗りたくるという事件が頻発するようになり、
そこでついに、もう無理だ、このままでは殺しちゃう、と思って、施設に入れる決意をしました。
もちろんすぐには入れないので、入れるまではショートステイで
20泊も30泊も(ショートステイの場合、30泊でとりあえず帰宅しなければならない)
させていたんですが・・・。
経済的な負担は小さくないですが、面倒見ながら稼ぐことは不可能だし、
自分のメンタルがやられちゃったらどうしようもないので、
そう考えれば月に十数万円など安いものです。
体と心が楽になればやさしくできた
今年から老健に入ることができ、私もだいぶ体と心が楽になってきました。
それでも、施設でもいろんなことをやらかすし、
他人に自分の親を世話してもらうというのは何かと心配だし、
多少の後ろめたさもあります。稼ぐためとはいえ、
毎日パチ屋に出入りしつつ、母を預けているんですからね。
普通の人がみたら、あそこの息子は親のめんどうもみないで
遊んでいる、と思われることでしょう。
(でも、いまさらバイトとかしたら生活が立ちいかなくなるし、
母になにかあったときに自由に身動きができないと困るのです。)
それはともかく、施設に入ってもらうことによって楽になり、
母に対して怒りや憎しみを感じることもなくなりました。
いまは、どんどん認知症がひどくなる母をみて、
ただただかわいそう、というのと、いままでつらく当たってごめんなさい、
という気持ちしか沸いてきません。
母が、長く住み慣れた自宅で余生を送ることを私が強制的にやめさせたみたいで、
ものすごく心苦しいですが、憎しみが生まれるくらいなら、
やっぱり施設に入ってもらってよかったんだろうなと感じています。
介護をしていて、やさしくできない、と悩んだり後悔したりは、
たぶん、みんな同じなんだろうと思います。
そこで、やさしくできないから、面倒みきれないから、施設に入れよう、とかいうのは、
決して恥ずかしいことでも、後ろめたく思うようなことでもない・・と思うことにしてます。
そう考えないと、やってられません。
とにかく、悩んだら、だれかに相談するのが大事だと思います。
私の場合、兄弟、親類はまったく役に立たなかった
(仕事が・・とか、家族が・・・とか言えば、逃げられると思っている)。
他人であるケアマネージャーや地域包括支援センターの職員さんとかのほうが
ものすごく頼りになりました。こういうときのために税金や介護保険料を
払っているのですから、どんどん使いましょう。
くだらないことでも相談すれば、なにかヒントが得られたり、気が楽になったりするかもしれません。
偉そうに書いてますが、私もまだまだ毎日悩みばっかりです。
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