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母の認知症が進んでしまってから、やっと気がついたこと

母が老人保健施設に入ってから、

もう9か月ほどになります。

その間に、認知症が尋常でないスピードで進行。

入所したころは、「おかあさん」と呼びかければ「うん?」と返事していたし、

自分の名前も言えたし書けたし、自分の生年月日もかろうじて言えたし、

一桁の足し算引き算もできていたんですが、

いまや上記のことはひとつたりともできなくなりました。

いまとなっては私の名前もわからないし、私が息子ということが

わかっているのかいないのか?もわからない。

自分の名前を呼ばれれば一応反応していますが・・・

 

入所したころには、男性の入所者をみると、

父と勘違いして、「おとうさん」と声をかけながら、

余計な世話を焼こうとしたり、活発に動いていたのに、

今は、座っているときはもぞもぞ意味不明の動きをし、

たまに勝手にウロウロ歩く・・ということを繰り返すだけ。

自分から言葉を発することも、あまりなくなりました。

 

ついにここまで来てしまったか・・という思いとともに、

これからどうなっていくんだろう・・という不安が募り、

はっきり言って施設に会いに行くのがものすごく気が重い。

この段階まで来てから、家で介護していたときのことを

思い出してみると、

いろいろと気がつくことや、後悔してしまうことなどがたくさんあります。

そのあたりを、思いつくままに書いてみます。

自宅にいたときは、「余計なことをやる能力」があった

家で面倒を見ていた時は、

まだまだ元気で、もうとにかくよく動き、

いろいろな家事をやろうとしました。

しかし、家事をやろうとしても、認知症のため適切な方法で

やることが困難になっていて、ほとんどの場合、

「余計な事すんな!」ということになってしまいます。

 

たとえば、洗濯機で洗濯し終わったものを、もう1回洗濯機を回してしまうとか。

油ギトギトの食器とかフライパンを、洗剤もなしで冷たい水で洗ってそのままとか。

きたない雑巾で食器を拭いたりとか。

炊飯している最中の炊飯器の蓋を、なんどもあけて確認してみたりとか。

野菜や果物を片っ端から冷凍庫で凍らせちゃったりとか。

いま溜めたばっかりのお風呂のお湯を抜いて、お風呂を洗おうとしたりとか。

飼っている犬に、2回も3回もえさをあげたりとか。

 

 

といった感じで。

俺がやってあげるからやらんでいい、といっても、言われたこと自体を忘れるし、

やらせてあげれば満足するかもしれないが二度手間三度手間ばかりになり、

こっちはイライラがつのります。

ということで、怒ってしまうのです。

このころは、

「あの、家事マシーンのようにバリバリ家事をこなしていた母が、

もう、こんなこともできなくなってしまったのか!」

と落胆していたんですが、このとらえ方が間違っていた。

いずれ、「余計なこと」すらできなくなる

いまとなっては、もう会話が通じず、

たまに意味が分かる言葉を発すると、

ものすごくうれしいのです。

ごくまれに、私の名前を発語してくれるだけで、

「おお~、いまなんつった?」と、何とも言い難い嬉しさが

こみあげてくるのです。

 

つまり何が言いたいかと言うと、

 

いずれ、なにもできなくなることがわかっていながら、

なぜ、「余計なこと」ができることを、喜ぶことができなかったのか。

ということなのです。

 

「ああ、まだ洗濯機の操作ができる」

「ああ、まだ食器を洗おうという意欲と元気がある」

「ああ、まだ、炊飯器がごはんを炊く機械だと理解している」

「ああ、まだ、飼い犬にえさをあげなければいけないことをおぼえている」

というように、余計なことができる元気、能力があることを喜ぶことがなぜできなかったか。

元気だったころを基準に考えてはいけなかった

私のように、子が親を介護すると、

元気だったころの親を知っているため、

どうしてもそのころを基準に考えてしまう。

 

「あんなに器用だったのに、こんなこともできなくなったとは・・」

「あんなに活発で意欲的だったのに、こんなに無気力になってしまうとは・・」

と、落胆し、ぶつけどころのない悲しみ、

「なんでうちの親が!」という怒りがこみあげてきます。

 

しかし、認知症の患者は、いずれは私の母のように、

なにもできなくなります。それがいつかは、予測できないけれども。

 

それは100%間違いないことなので、そこを理解し、

「(いずれはできなくなるのに)まだまだこんなことができる!」

と、いまできることを喜び、活かすことを考えることができれば、

自宅での介護はもっと気が楽だったのではないか、と後悔しています。

いまは言葉が通じただけで嬉しいのに、

なぜ、レタスを冷凍されたくらいで怒っていたのか!

考え方が転換できれば楽になることもある・・?

もちろん、私も自宅で介護していて苦しかったころは、

こんなふうに考えることは全然できなかった。

もうとにかくイライラして、

「頼むからおとなしくしていてくれ。余計なことしないでくれ」と考えていました。

この、余計なことをされるイライラを解消する方法については

ものすごく悩んだのですが、気が楽になる助言を得ることはできなかったのです。

同じように苦しんでいる方も、ものすごくたくさんいるはずで、

すこしでも介護が楽にできるきっかけになれば、と思って、

この記事を書きました。

個人的な思いを書いただけで、だからなんだという話に

なっちゃいましたが、

介護の悩みについてはまた書いていきます。

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