特別養護老人ホームに入居している私の母。
つい3年くらい前までは、食事の時には自分でお茶碗をもち箸をつかってモグモグ食べていたのですが、
いまは介助なしでは食事をとることはできません。
食べ物をのせたスプーンを口元にもっていってあげると
それが食べるものであると理解するようで、
ハイ、どうぞ~と言いながらスプーンを差し出すと口を開けてくれます。
私も、食事どきに面会に行ったときなどは
職員さんに代わって食事の介助をするのですが、
ふつうに食べてくれている姿をみると
とりあえず「まだまだ元気。大丈夫」と安心します。
私の亡父はさまざまな病に苦しんだあげく
最終的には口から食べる・飲むことができなくなりましたから、
「飲み込めなくなる」「口から食べられなくなる」という事態を
私はものすごく恐れているのです。
「むせ」が頻発するようになり・・・
亡父は股関節のケガで歩けなくなり、
しばらくのあいだ自宅で私ひとりが介護をしていました。
そのころは母の認知症も加速度的に進行しはじめ、
私は精神的に追い詰められていた時期。
ケガをして歩けなくなって以降、父は急激に弱っていきました。
その前からすでに病気のデパートみたいな状態だったので、
一日に7~8種類くらいの薬を飲んでいました(私が同居を始める前はもっと飲んでいた。父は薬大好き、というかなんでも薬でなんとかしようと考える人間だったので)
が、だんだんその薬が飲み込めなくなって、飲もうとしても飲めずに出しちゃうようになり、
食事のときも頻繁にむせるようになっていきました。
嚥下障害には加齢や病気や心的理由などさまざまな原因があり、
この時点でとるべき適切なアクションというものがあったんでしょうが、
当時の私は嚥下障害などという言葉も知らなかったし、
なにしろ冷静にものを考える余裕がなかった。
私はとりあえずドラッグストアで
薬を飲み込みやすくするためのゼリーを買ってきたり・・・
Amazon.co.jp 龍角散 らくらく服薬ゼリー チアパック 200gx10個
飲食物を飲み込みやすくするための「とろみ剤」を用意したり・・・
Amazon.co.jp 日清オイリオ トロミアップ パーフェクト 500g
といったかんじで、父がむせないようになんとかしようとしてみましたが・・・
これがなかなかうまくいかなかった。
服薬ゼリーのほうはすでにできているものを使うだけなのでそんなに難しくなかったけれど、
とろみ剤のほうはダマばっかりになっちゃったり、
どの程度のトロトロさ加減が飲み込みやすいのかがわからなったり。
まあ、このときまで「とろみ剤」とか「服薬ゼリー」なんてものがあることすら私は知りませんでしたから、
上手くいかないのも当たり前だったのです。
固形の食べ物も、刻んであげるとか小さく切るとかすれば飲み込みやすかったのに、
そういったことに思い至るまでには時間がかかりました。
しばらく後に父は老人保健施設(老健)に入り、
そこで嚥下のリハビリにも取り組み、
嚥下障害は一時的に少し良くなったのですが、
私には嚥下障害を改善するノウハウなどあるはずもなく、
ゲホゲホむせまくる父に対して「どうすればのんでくれるんだよ・・」という苛立ちさえ覚えていました。
ほんとうは私の介護の技術が足らなくて父につらい思いをさせていたのに。
それに、「なんとかして飲ませなければ、食べさせなければ」とばかり考えていて、
父の立場になって考えてあげようとはしていなかった。
我ながら最低だったと後悔しています。
「口から食べる幸せ」
先日読んだ本。
Amazon.co.jp 口から食べる幸せを守る ― 生きることは食べる喜び
これを読んだので今回はこういう記事になりました。
著者は看護師さんで、NPO法人「口から食べる幸せを守る会」理事長。
もしも家族が老化や病気で口から食べることができなくなったら?
多くの場合は、胃瘻をつくるか自然にまかせて看取るかどっちにしますか?・・・という選択を迫られるけれども、
適切なリハビリや食事介助によって口から食べられるようになる場合もある。
食べることは、「命の根幹」「生きる喜び」「尊厳されるべき命の営み」であって、
最後までそれを守るためには・・?
医療現場の問題点は?家族は医療側とどうかかわるべきか?適切な食事介護とは?
という内容の本でした。
食べることは「命の根幹」「生きる喜び」「尊厳されるべき命の営み」、
というのは非常に納得のいく話です。
私の父も亡くなる直前は口から食べられなくなりましたが、
病院のベッドの上でいつも「~が食べたい」と訴えていました。
「誤嚥で死んでもいいから!」と言うんですけど、
固形の食べ物はまず飲み込めない、という状況でしたから、
私はとろみをつけたジュースを持参して飲ませたことがあります
(水はトロトロにしたものを看護師さんが飲ませていたので、トロトロにしたジュースならいいだろ、と勝手に判断した)。
「おとうさん、これで我慢して」と言いつつスプーンにのせたトロトロのジュースをちょろっと口に入れると、
「ああ、こりゃあいいや。うまい。」と嬉しそうな表情を浮かべてくれてました。
この1週間後くらいに亡くなってしまいましたが、
あのときの父の満足した表情を思い出すと、
口から食べる、飲むっていうことが生きる喜びである、というのはその通りなんだろうなと。
その大事な「口から食べる」ことを最後まであきらめないためにはどうするべきなのか?
医師から「口からは食べられません」と言われたらどうするべき?・・・
という、非常に考えさせられる内容でしたが(もし母が「胃瘻にしないと生きられない」となったら、どうするべきか私にはまだわからない。そのあたりについてはまた記事にしようと思います)、
私にとっていますぐにでも役に立ちそうだったのが
非常に具体的な食事介助のノウハウ。
姿勢や食べ物の配置や介助者の位置やスプーンの選び方まで説明してくれていて、
ああこんなこと考えてもみなかった、と目からウロコが落ちます。
そういうことを少しでも知っていれば、
嚥下障害が始まったころの父をみて
「もうどうすればいいのかわからない・・」と
悩むことももっと少なくて済んだかもしれない。
介護というものは往々にして「いざそうなってから慌てる」ということになりがちで、
なんでも先の先まで考えてよく勉強しておくことが大事だなあ、と。
「口から食べられなくなる」というのは、
長生きしたり病気になったりすれば誰でも直面するかもしれない問題で、
私の母もいつそうなるかわからない。ていうか近いうちにそうなりそうなわけで、
そうなったときに慌てふためくことなく
しっかりと後悔しない判断ができるようにしたいと思っています。