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大相撲:横綱照ノ富士「入門してから14年、今の力士がいちばん強い」

先日終わった大相撲名古屋場所。横綱照ノ富士が12勝3敗、隆の勝との決定戦のすえに10度目の優勝を果たしました。

休場明け、古傷だらけの満身創痍の状態で出て優勝しちゃうんだから、さすがは大関になってからケガで序二段まで落ちるという地獄から這い上がって横綱まで上り詰めた男。称賛するよりほかにない。

その照ノ富士が優勝のあとにしゃべってた内容が、「まさにそのとおり!」という内容でヒザを打ったので、いつも言うってることの繰り返しになりますがまた書いておきましょう。パチスロに関係ない記事は評判悪いからやめよう・・・とか思ってると、「相撲のこの件には触れないの?」とか読者の方からおたよりをもらったりして、需要がゼロと言うわけでもないようなので。

「今の力士がいちばん強い」

報道によると、照ノ富士は「今と昔」をくらべる声に対してこう言ったんだそう。私は会見を見てないし動画なども見当たらないので前後の文脈がわからないんですが、おそらくは、「今の大関はすぐ陥落したりしてふがいない」とか、「平幕が優勝ばかりして番付の秩序が崩壊している」などといった声について言及したんであろうと思われる。

「今の力士がああだこうだと言われることが多いんですが、逆に今の力士たちはみんな相撲に向き合う姿勢が昔より良くなっているからこそ、誰が優勝してもおかしくない大相撲になってきてるのではないかと思います。だからこそ、そういうことを言ってほしくない思いはあります。肌を合わせてるからこそわかることだと思う。見ているだけで、ああだこうだ言うようなことはやってほしくないです」

「入門してから14年間やってきて、今の力士が一番強いなと感じます。今が一番、自分の中で理想的な相撲を取っていて、筋トレにしても今までよりも重量をあげれるようになりました。今が一番強いかなと思う時があるにも関わらず、稽古場でも本場所でも昔と違って絶対に勝てる自信はないです」

「稽古の番数が少ないとかいろいろなことを言われますけど、みんなそれだけではなく、他のところ。例えば治療とかトレーニングとか、そういったもので、ものすごい頑張っていると聞きます。だから簡単に勝てるわけではないということは常々、感じます」

スポーツ報知 照ノ富士、今昔比べる声に“待った”「今の力士がああだこうだと言われるが…」優勝一夜明け会見で私見」

 

要は、いまの力士はドングリの背比べだとか、昔の横綱大関は負け越したりしなかったじゃないか、いまはカンタンに負け越したりしてふがいないとか、そういったファンや横審や協会幹部の言い草に対して、そうじゃないんだ、ということを言いたかったようです。

「ドングリの背比べ」なのではなく、みんなが強くて実力が拮抗している(そのうえ八百長する奴が減った)から星のつぶしあいになり、誰が優勝するかわからない展開になるし、大関といえども勝ち越しを続けるのはそんなにカンタンじゃない、ということでしょう。

 

これはまったくそのとおりでしょう。ていうか、みんな実力が拮抗している、ってのも実は今に始まったことでもないのかもしれない。昔の横綱大関が負け越したりしなかったのはみんな星の売り買いや貸し借りをしていたからでしょ。それがなかったらおそらく昔の大関も陥落する奴ばかりだったでしょ。高潔な人物として知られ相撲はガチだったといわれる大関魁傑(のちの放駒理事長)はあの時代に2回も大関から陥落した。前から何度も言うように、ガチでやってればたまにはケガもするし調子が悪い時もある。15日間で8回勝てない場所が何場所か続くことだってあるはず。それがないほうがおかしい。

勝負は時の運。

「番付の秩序」? そんなもんがほんとうに大事か?

照ノ富士はそれを言うわけにはいかないからはっきり言ってないけど、「自分が入門してから今までを考えて今の力士がいちばん強い、今の力士のほうが相撲に向き合う姿勢が良くなっている」ってのは、とどのつまり(誰とはあえて言わないが)こないだまでいた横綱大関たちがいかに「相撲に向き合う姿勢」が良くなかったかを批判する気持ちがにじみ出ていますね。その気持ちはわかるし、「今の力士は昔よりまじめに頑張っている」ってのはそのとおりじゃないかと思える。彼がまだ下のころの横綱大関の奴らを思い返してみればいい。 星の貸し借りをしたり、巡業さぼってサッカーしたり、都合が悪くなるとメンタルの病気になったと言って雲隠れしたり、勝負に不服で土俵下から抗議してダダこねたり、エルボースマッシュをかましてみたりダメ押しで相手や審判にケガさせたり、後輩力士を飲み屋に呼んで灰皿やビール瓶でぶん殴ったり。そんな奴らのどこらへんに「品格」があったというのか。

そんなアホがようやくいなくなって、(みんなかどうかは知らないが)ガチで一生懸命な相撲をとる人たちが多くなった結果、平幕力士が優勝したり、大関がすぐ下に落ちたりするようになった。それのいったいなにがいけないのだろうか。横綱大関がいかにもヤオっていう安全相撲で勝ち星をかさねるのを見るのがそんなに面白いか? 誰が優勝するかわからない、大関になってもすぐ陥落するかもしれない、そっちのほうがよっぽどエキサイティングじゃないか!

まあそうなると「横綱」についての扱いを変えないと、横綱になったとたんもしたまたま調子悪くて負けが込んだら引退させられてしまうので、そこは協会幹部や横審だのがもっとアタマ使って考えろという話になりますが(私は「横綱」は「免許」にしろ、という立場です →大相撲:横綱にも降格を認めよ)、いまの状況をみて「番付の秩序が崩壊」とか言って嘆いている人間の思考回路は私には理解不能。「番付の秩序」を守るために星の売り買いをされて、無気力な相撲をみせられては客のほうはたまったものではない。「秩序」が混沌としているほうが面白いだろどう考えても。勝ち星が多ければ上がる。勝ち星が少なければ下がる。それが基本なんだから、もう「大関」も「地位」ではなくシンプルに「いちばん上」という認識にして、毎場所違う人になるようにしたら?「今場所の大関はアイツ」というふうに。そして「横綱」は名誉称号とする。「アイツは横綱免許を持っているが今場所の番付は前頭筆頭」とかでいいじゃないか。

たまたま3場所で33勝したからというだけで大関になれるのに、なぜ大関になったとたんに「その後は毎場所勝ち越すのが当たり前」とかいうふうになるのか、ほんと理解不能。横綱もしかり。なぜ大関で2場所連続優勝したら(ガチでそれをやるには神がかり的な強さと運が必要なのは間違いないが)その後は毎場所12勝とか13勝とかするのが当たり前(かつてある横審の委員はそう言った。まさに底なしのアホさ加減)になるのか。

べつに横綱大関が負け越したっていいじゃないか。たまたま調子が悪かったんだろ。ケガでもしてたんだろ。相手が強くなったんだろ。いいときも悪いときもある、それが勝負ってものでしょう。あの将棋の藤井さんだってたまには負けるし、野球の大谷さんだってしばらく打てないこともある。同列に語っては失礼だがパチプロもどんなに凄腕でも延々と負けが込むことも絶対にある。横綱大関もそれでいいじゃないか。なぜ15日間という短いスパンだけをみて「ふがいない」だのとギャアギャア言うのか。

そういうふうに長い目でみるということを知らない協会幹部や横審の委員やファンがいるから、かつての横綱大関は星をやりとりして恥ずかしい星勘定にならないように調整し、その結果ゴミみたいな相撲をカネ払ってるお客に見せていたわけで、それをやらない今の力士はほんと立派じゃないですか? アホな奴らに情けないだのふがいないだの言われようと八百長しないでまじめにやってるんだから。最近は「これで負けたら大関から陥落」「これで負けたら十両陥落」とかいう一番でも、昔のような「どう考えても注射だろ・・」っていう相撲をみせられることはなくなりましたもんね。

 

照ノ富士が言うように「今の力士がいちばん強い」かどうかは別として、「今の力士のほうが相撲への向き合い方が良い」ってのは本当なように見える。いいことじゃないですか。もう「優勝争いに絡むことが横綱大関の責任」みたいな、短いスパンの星勘定だけでギャアギャア言うような人は放っておいて、ガチでの星のつぶしあいがいつもみられるエキサイティングな相撲界になることをこのまま目指してほしい。相撲協会も、現役時代に八百長ばかりやってた今の幹部たちがいなくなれば少しは変わるかもしれませんが、まずは観ているほうの私たちが観る姿勢をを変えることが必要な気がします。

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