日本の製薬会社エーザイとアメリカのバイオテクノロジー企業バイオジェンが開発したアルツハイマー病のあたらしい治療薬「レカネマブ」を、厚生労働省の専門家部会が製造販売の承認を了承。ちかく厚労省が正式承認し、年内にも患者に使用される見通しとなったそうです。
読売新聞オンライン アルツハイマー病の新薬「レカネマブ」、厚生労働省部会が製造販売の承認を了承
レカネマブと似たメカニズムのアルツハイマー薬「アデュカヌマブ」はアメリカでは承認された(日本ではダメだった)ものの、値段が高いうえに効果も疑問ということで保険適用にならず、それでは普及できない・・としてポシャッってしまったのに対し、レカネマブは効果が「統計的に確認され」て、薬価もだいぶ安くなっている・・ということでアメリカでも承認、保険適用されていますね。日本でも保険適用となるんだろうか。そのへんは今後の展開に注目。
難しいことはよくわかりませんが、これについて現時点で思うことを書いておきます。
その効果は今のところたいしたことない気がするが、病気の原因に直接作用する点が画期的
私の母も一時期つかっていた「アリセプト」や「リバスタッチパッチ」「メマリー」などの既存の「抗認知症薬」は、脳内の神経伝達物質の働きに作用することによって脳を活性化し、認知症の症状をおさえるという薬で、「認知症を治す」というものではなくいわば「対症療法薬」だったのに対し、「アデュカヌマブ」「レカネマブ」はアルツハイマー病の「原因物質」とされる「アミロイドβ」に対する「抗体」。いわば認知症の原因そのものにアプローチする、というメカニズムそのものが画期的である、ということのようです。
そのへんは以前の記事にも書いたし、
→アメリカ食品医薬品局(FDA)がアルツハイマー病治療薬「アデュカヌマブ」を承認!
その記事で紹介したノンフィクション「アルツハイマー征服」に詳しく書かれているのでそちらも参照していただきたい。
この「アルツハイマー征服」ではまるで「アデュカヌマブによってついに人類がアルツハイマーを克服するかも!」というニュアンスで語られていましたが、そのアデュカヌマブに続いて登場してきた「レカネマブ」も機序としてはアデュカヌマブと同じで、ただ標的にするアミロイドβのタイプが違う、ということらしい。
しかしいずれにしろ、その効果は「アルツハイマーの進行を27%緩やかにする」というものだそうで、とてもじゃないが「征服」などという話じゃないですね。アリセプト等に比べるとその効果は高く(?)長く続くとしても、「アルツハイマーを征服する夢の薬」というわけではない。ただそれも「今のところは」ということで、この機序でアルツハイマーに効果がある、となれば、さらに進化した薬ができて、「予防」や「治療」ができるようになるかもしれない、ということか。
予防や治療ができる「夢の薬」ではない、と理解すると、向き合い方も変わってくるか
効果は限定的であっても「進行が緩やかになる」というだけで本人や家族にとっては福音となり得ますが、なにしろ薬価が高いというのと、投与して効果が得られるかどうかを検査するのにもものすごくおカネがかかる、というのが大きな問題のようです。
なんか物忘れがある→問診+脳の画像をとる→認知機能の低下が病的&脳が委縮してる・・となれば「アルツハイマー」と診断されるわけですが、「アミロイドβ」がどれくらいたまってて、はたしてレカネマブを投与して効果が期待できるのかそうでないのかを判断するためには、保険適用とならない「アミロイドPET検査」をしなくてはならない。で、それが自費だと30万円くらいするそうです。
そしてもし「レカネマブが効きそう。じゃあやりましょう」となればいいけど、そうならなかったらこれはちょっとキツイ。薬は高額医療費制度を使えばそれほどの額にはならない(マクロな視点で考えればみんなにホイホイ投与したらたいへんなことになりそうですけどね)としても、検査だけでそれだけのお金がかかるとなれば「じゃあいいです」となったり、「ちょっと今すぐには・・・」となって検査が遅れ、投与開始のタイミングを逃したりということにならないだろうか。でも「投与してみないと、効果が出るか出ないか、まったく見当がつかない」よりは、あらかじめ調べて「あなたにはおそらく効果がない」というのがわかったほうがあらゆる意味で無駄が減っていいわけか。
いずれにしろ保険適用にならないと普及は難しいということに。でも薬も検査も保険がきくようになったとしても、検査だけでそれだけのおカネがかかるとなれば、なん百万人もいる認知症患者とその予備軍みんなが我も我もと検査しちゃったら医療保険財政はいっきに崩壊してしまうんじゃないか。
もし「レカネマブ」が認知症を「征服」する画期的な薬で、それを投与されればアミロイドβは全滅、認知症を発症することも進行することもない・・・という「夢の薬」なのであれば、今どれだけカネがかかろうが将来的には医療・介護の費用やそれにともなう経済的損失がなくなるわけだから問題ない、と考えるべきなんでしょうが、「レカネマブ」はどうもそういうものではないらしい。
するとやっぱりレカネマブは、なんらかのかたちで若年性アルツハイマーの人や家族性アルツハイマーの人などを優先する仕組みにしないといけないのかな、という気がします。
というのは、年齢を重ねれば認知機能がある程度低下してくるのは当たり前のことであり、年齢相応の認知機能低下を心配してやらなくてもいい検査をしたり飲まなくてもいい薬を飲んだりするのは高齢者にとっておカネと時間の無駄、と感じるからです。
私もこれまで「認知症になるのは怖い。ならないためにはどうすればいいか」ということを何度も書いたりしましたが、今は「年齢が高くなれば、程度の差はあれど誰でも必ず認知機能は低下する。それが病的なレベルになる前に、そうなったときの準備をしておくことのほうが大事」という認識をもっています。80代や90代の人が「物忘れが・・・」と言って「アミロイドたまってるかも。レカネマブが効くかも。検査してくれ!」っていうのに対しては、気持ちはわかるとしても医者は「いやもうお年なんですから・・・」と言うべきなんじゃないか。でも検査や投薬でもうかるとなれば、相手が90や100の老人であってもやる医者はやるんだろうなあ。そこで「あなたのお年なら認知機能が低下するのは普通のことです。薬などやめたほうがいい」って言ってくれるのがほんものの「医師」だという気がする。
しかし、物忘れがはたして年齢相応なものなのか、それともアルツハイマーのような病気なのか、それ以外の原因での認知症なのかは知っておいたほうが早期治療でよくなる可能性も出てくるから、「急に物忘れがはげしくなった」とかいう場合はもちろん医者にかかるべきです。でも、検査や薬で金儲けしたい医者はたとえその物忘れが年齢相応のものだとわかっていたとしても「念のためアミロイドPET検査やりましょう!アミロイドがたまってたらレカネマブ投与しましょう!」って言ってやらなくてもいい検査や投薬をすすめてくるかもしれない。そういう医者に騙されてやらなくてもいい検査や投薬をやらされないように自分でよく勉強しておくことが必要でしょう。
薬にはほぼ例外なく「副作用」というものがあり、「レカネマブ」も脳の腫れや出血などの副作用があるとのこと。そのへんもいちいち訊かないと言わない医者もいっぱいいます(私の母に抗認知症薬をくれていた脳神経外科の町医者もそうだった。言わないだけならまだしも「副作用は?」って訊くと面倒くせえなあってカオするクソみたいな医者もいますからねえ・・)から、やはり前もって知識を得ておくのは重要なことです。レカネマブは夢の薬ではなく効果は限定的、副作用もある、お金もものすごくかかる・・ということだけでもよく理解しておくべきでしょう。
「進行が緩やかになる」だけでも本人や家族にとっては大きなベネフィットとなるが・・・
再三にわたって「効果は限定的でけっして夢の薬じゃない」と言いましたが、「進行が緩やかになる」ということだけでも、本人や家族にとってはものすごく意味のあることで、投与すれば効果が見込める、と診断されたなら、もし私なら対象が自分自身でも家族でも「お願いします」ともちろん言うと思います。
私の母は現在寝たきりの要介護5、意思の疎通ができないという状態で、そうなってすでに数年。今となっては本人がなにをどうしたいのか確認できないし、なにか本人の喜ぶことをしてあげようと思ってもほとんど不可能。それを考えると「なぜこうなる前にもっといろいろしてあげなかったのか、本人と話をしておかなかったのか」という後悔が襲ってくるのです。
そこで、薬によって進行が遅くなってくれれば、そのあいだに本人のやりたいこと、やっておかなくてならないこと、家族がしてあげたいこと、聞いておきたいこと、などを(残念ながらいつか必ずやってくる)なにもわからないできないという状態になるときまでに、済ませておける可能性がアップする。
・・・しかしその恩恵も、本人や家族が認知症というものに対して正しく理解していなければこそ発揮されるもの、という気がしています。
私の母はアルツハイマーとわかってから約数年間は、病気の進行が非常にゆっくりでした。かかりつけ医は「アリセプトが効いている」と言っていましたが、半世紀以上連れ添った夫、つまり私の父が亡くなってからとんでもないスピードで進行しはじめて、あっという間に意思疎通不可、寝たきりになってしまった。薬は続けていたにも関わらず、です。
私は母の病状の進行がゆっくりだった間、母の激しい物忘れに振り回され、ゆっくりではあったものの今までできていたことが少しづつできなくなっていく母の姿に焦りをおぼえ、いつもイライラしていて、「近い将来母はなにもわからなくなる。だから今のうちに○○をさせてあげよう、○○をしてあげよう」などということはまったく頭に浮かんでこなかった。
毎日毎日、昨日はできていたことが今日はできなくなった、という日々を送っていたのだから、「まだできるうちに!」と思って、いつも「これが最後のチャンスかもしれない!」と思って母に接していれば、母の人生ももっと違ったものになったかもしれない・・と思うといたたまれなくなるのです。
「レカネマブ」が残念ながら「認知症を征服」するような薬ではない以上、たとえレカネマブを使ったとしても、それが「ゆっくり」になるというだけで結局は認知症はだんだんに進んでいくっていうのは同じでしょう。するとレカネマブが実用化されて「時間」ができたところで、「いつかなにもできなくなる。だからそれまでの時間を大切に!」という意識ができていなければあんまり意味がないんじゃないか、と。
母の認知症について数人の脳神経外科医や精神科医にお世話になりましたが、「いつか意思疎通が困難になる」「確実に寿命は縮まる」だからよく考えて接しなさい・・・というようなことを教えてくれた医者は残念ながらいなかった。「アリセプトという効く薬があるが、効果は続かない」ということを明確に言う医者もいなかった。もちろんだからといって「私がいい介護をできなかったのは医者のせい」というつもりではなく、つまるところそういうのは「自分で勉強する」しかない、ということです。しかしいざ身内が認知症になったら狼狽するばかりでそんな勉強をする余裕などなくなります。だから前もって知っておかないと。薬をつかったところでいつかは意思疎通が困難になり、歩くこともできなくなる。だから今できることを大事にして、今しかできないことをまずはやるべき。レカネマブはそのための時間を少し長くしてくれる、というだけにすぎない。
となにもかもわかったような言い方をしましたが、上に書いたようなことはすべて私が無知なうえにキャパが小さい人間だったがためにできなかったことです。薬が進歩していくのはたいへんに喜ばしいことではありますが、まだまだ当分のあいだは「征服」するなどというものはできそうにない。ならば薬を頼みにするのではなく、不治の病になったときどうするか、家族がそうなったときどうするか・・をよく考えておくことのほうに重点を置くべき、と思います。