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橋幸夫著「お母さんは宇宙人」を読んだ

私の母は特別養護老人ホームで暮らしています。

ここ2年以上、コロナのせいで面会もままならない状況。現時点では「月に2回まで、時間は20分程度、決められた場所で(居室には入れない)、人数はいちどに2人まで、しかもアクリル板越しで、接触不可、というがんじがらめの条件下での面会を余儀なくされています。

コロナ以前は週に2~3回、勝手に(といっても入口での記名などの手続きはもちろん必要でしたが)ズカズカ部屋まで入っていって、もってきたお菓子とかを母と一緒に勝手に食べたりしていましたが、もうその部屋にも2年以上入れてない。

先日面会に行ったとき、その前に面会していたご家族の方が、「どんなところで生活してるのか知りたいんですけどねえ~」なんていう話を職員さんとしてるのが耳に入りまして、そうか、コロナ以降にあらたに入居した方のご家族はどんな部屋で過ごしてるのか見たことないのか、と。すると世話してくれてる職員さんがどんな人たちなのかもわからないわけで、預けているほうとしては不安でしょうね。

それはともかく、私の母はとりあえず病気などせず過ごしてはいるものの相変わらず寝たきりでコミュニケーションも不可能。つい3年ほど前まではチーズケーキとかのお菓子を一緒にモグモグ食べたのに、今はドロドロにしないと食物を飲み込むのが無理。ついにここまできたか。

しかし、認知機能や身体機能が徹底的に衰えた結果、いつもとても穏やかな表情でボケーっとしていて、認知症が猛烈な勢いで進んでいたころのような、なにかに追い立てられているというか、なにかにおびえるかのような、もしくはなにかに怒っているかのような精神的不安定さは見られない。意思疎通できないからほんとうのところはわかりませんけどね、表情からはそういうふうに感じられる。なにかさとりをひらいたかのようなカオしてる。

これまでいくつかの記事にしてきましたが、認知症の進行が激しかったころはキツかった。実は本人も猛烈な不安に苛まれていたんでしょうが、当時の私にはそれを気遣ってやる余裕がなかった。そのうえ認知症に関して無知でしたから、今思うとほんとうにかわいそうなことした、と後悔することばかり。

いざ身内が認知症になったとき、本人の気持ちを考えながら適切に対処し、本人に心穏やかに生きてもらうためには、やはり前もって勉強しておくことが重要なんでしょう。先達の方の体験談っていうのも聞いたり読んだりしておくのもそのために有益な方法の一つです。

歌手の橋幸夫のお母さんの話

でも今となっては、他人の介護体験記などを読んだりするのって、正直いうとあまり好きじゃないんですよ。

それは、前にもどこかで書いたように、うまくやった人の体験を知ると「なぜ自分にはこういうふうにできなかったのだろう」と後悔と罪悪感に苛まれることになるから。上手くいって、世の中の人の手本になって役立つかもしれないから本などにしようという話になるわけですからね。

逆に、あまり見ないが介護で徹底的に失敗して徹底的に後悔しているような人の話だったら、「わかるわかる」と共感するとしても、それはそれでそんな話を読んだりするのは苦しいですしね。

つまり今の私にとってはどっちに転んでも介護体験なんかを読むのは苦しいものなのです。しかし、今ではなく介護を体験する前、もしくはその最中に読んでいれば、どんな本であるにせよ役に立ったに違いない。

 

そういう意味で、ものすごく古い本ですがこれも役立つだろう、ということで紹介しておくことに。

Amazon.co.jp お母さんは宇宙人 (角川文庫)

歌手の橋幸夫が、お母さん(サクさん)の認知症(この本の言葉だと「老人性痴呆」)とどのように向き合ったかをつづった本。橋幸夫といえば先日、78歳にして通信制の大学に入学したと話題になりましたね。残念ながら歌手のほうは80歳で引退するとのこと(声の衰えには抗いようがないらしい)ですが、人間死ぬまで勉強、というのを体現しているその姿勢は尊敬に値しますね。歌のほうはあまり聴いてないけど、時代劇「伝七捕物帳」の主題歌「江戸の花」がいちばん好き。

本のなかで今でいうところの認知症が「痴呆」「ボケ」と呼ばれていることからもわかるように、今から三十数年前の話で、認知症の老人やその家族をとりまく環境は今とだいぶ異なりますね。介護保険なんてものはないし、認知症というものはまだまだありふれた病気ではなく、偏見もあった時代。

物盗られ妄想は悲しい

私は母の認知症がすすんで手に負えなくなった時点ですぐに介護保険を利用して公的サービスを最大限に活用し窮地を切り抜けようとしたんですけど、この時代ではそうもいかなかったから大変だったでしょうね。

しかし橋家の場合は、歌手として大成功していたのもあって経済的には問題なくて、お母さんが住む家にはふたりのお手伝いさんがいて、そのお手伝いさんがお母さんのお世話をしていたという(のちに同居して橋の奥さんがお世話する)。

そのお母さんの「ボケ」の始まりは、いわゆる「物盗られ妄想」だったという。つまり、自分がモノをどこに置いたか忘れてしまうので、「誰かに盗られた」と思い込む妄想。「盗られる」と考えるから「隠す」。しかし隠したことを忘れる。忘れるからモノがみつからず「また盗られた」と思い込む、という負の連鎖に。

その妄想のせいで、お母さんはお手伝いさんを「泥棒」と思い込み冷たくあたってしまう。その結果(そのせいで関係が悪化したからというわけではないんだけど)長年仕えてくれたお手伝いさんは橋家を去ってしまう。

ここ読んだときものすごく悲しかった。長年仕えてきた奥様から泥棒扱いされるお手伝いさん気の毒すぎる。それと、その後に親子同居になったときには、お母さんが「モノがない!」と騒ぎ出したら、橋の奥さんは(あなたが自分で隠したんでしょ!とは言わずに)「一緒に探した」そうですが、そういう模範的な対応は私にはできなかった、という後悔がわいてきちゃう。

 

私の母にも、モノのありかがわからなくなって毎日毎日、いつなんどきもなにかを探しているという時期がありました。決まって「ない、ない」と言っていたのは、財布。幸いにも母は「盗られた」といって誰かを疑ったりといったことはありませんでしたが(少なくとも口には出してなかった)、これがとにかくウザかった。毎日毎日、年がら年中ですからね。あっちこっちひっくり返して探すからそこらじゅうすぐに散らかってしまう。

橋さんの家では、本人の「盗られた」という妄想を否定せず、一緒にさがしてあげたそうですが、私はそれができなかった。うるせえなあ、と思って、私自身がモノを管理するようにして、母が「ない、ない」と言い出したら、「いやいやいや、ここにあるよ!」と言って鎮めるようにしてました。

最初は「ここにあったよ。はい」と渡していましたが、すると必ずそれをなくしてしまう。財布をいくつ用意しても足らないので、結局「俺が持っててやる」と言って取り上げちゃっていました。その結果あらゆるものを(それどころか行動すべてを)私が「管理」するようになっていき、本人の自由を奪ってしまった。これも今思い返すとかわいそうだった。財布なんぞ中身を10円とかにしといてやればいくらなくそうが別にいいから、好きにさせてやるべきでした。

在宅介護の失敗をはげしく後悔する・・・「自分で考え、自分で決める」自由を奪っていた。

「徘徊」には「付き合う」のが正解だけど・・・

その後、橋家のお母さんは「徘徊」を始めます。昼夜問わずあっちこっち歩き回るようになり、橋夫妻はそれにつきあって一緒に歩いてあげたせいで心身ともにだいぶやられてしまったらしい。

本の中にも書いてあるように、認知症の患者が徘徊を始めたら、本人の言うことを決して否定せずにいっしょについてってあげて、どうせ歩いてるうちに家を出た目的を忘れるから、そのときにうまいこと言いくるめたりして一緒に戻ってくる、っていうのが「正解」。それを徹底的に実践した橋夫妻はほんとたいしたもんだと思います。

しかしこれも、私はそんなふうにうまくやることはできなかった。母が毎日夜中に起きだして「帰らなきゃ!」とか意味不明なこと言って家から出ていこうとすると「どこ行くんだよ!」「寝ろよ!ここが母さんの家なんだよ!」ってデカい声出して止めてましたからね。まあ仮に「正解」を知っていて、一緒に適当に歩いてから帰ってくればいいんだ、と思ったとしても、毎晩毎晩ですからね、私にはそれに耐える精神的余裕はなかった。橋家はよくできた奥さんやお手伝いさんがいて、そのうえ経済的余裕があったけど、私にはそういうのがひとつもありませんでしたから・・・っていうのは言い訳になっちゃうのかな。

 

と、やっぱりこの本を読んでも、自分がうまくできなかったことへの後悔ばかりが沸き上がってきちゃって苦しかったんですけど、橋家の方々のようにいざ家族に物盗られ妄想や徘徊が始まったときにうまく対処(実際は失敗もたくさんあっただろうと思いますが、そのへんはあまり書かれてない)できるようにするためには、やっぱり勉強が大事だと思うんですよね。

橋家の方々は徘徊が始まるまで「老人性痴呆」だと思わず、「老人性痴呆」についての知識もなかったそうですが、そうだとわかってからはそれに関する本とかをいっぱい読み漁って勉強したという。私もそうした勉強は自分なりにやりましたが、それができたのは母が施設に入って自分に余裕ができてからで、じっさいに母の物忘れや夜の不穏や徘徊に苦しんでいたときにはそんなこと無理でした。せいぜい脳神経外科の先生に「こんなことがあるんですけど・・」と言ってみるだけ。しかし医者は「じゃあ薬出します」「脳の検査します」って言うだけで介護のアドバイスはしてくれません(してくれる医者もいる?)でしたから、なにも参考にならなかった。

 

なので、こういう本は読んでおくべきなんですけど、じっさいに介護の当事者になってからでは遅い。そんな余裕はあっというまになくなります。ですから、ご高齢の家族がいらっしゃる方でなくても、今のうちにそのとき(年をとればだれでも認知機能が衰える。それが日常生活に差し支えるレベルになるかどうかの個人差があるだけ)に備えて勉強しておくことをお勧めしておきます!

同じようなことを前にも書いてますのでそちらも。

長生きすれば誰でも認知症になる。だから勉強しておこう。

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