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認知症の母:三途の川を渡りかけるも追い返される。

しばらく記事更新ができず「ついに喰えなくなって死んだか?」と思われた読者の方もいらっしゃったかもしれません。お詫び申し上げます。

私はまだ生きてますが、特別養護老人ホームにいる母が体調を崩し、いよいよもうダメか・・・という事態に陥りまして、記事を更新しようという気持ちにまったくならなかったのです。まあ危ないからといって私がなにかできるかというと手を握って励ますくらいしかないので更新しようと思えばできたし、夕方や夜だけはパチ屋に行ってカネになりそうな台があれば打ったりもしていたから言い訳にしかならないんですけどね。

後述するように「今日明日どうなるかわからない」っていう危機的状況はとりあえず脱したようなんですが、認知症と診断されてからもう十数年、コミュニケーションが困難になって歩けなくなってからもう7年近く。長かった母の闘いも終わりに近づいているのは間違いないところなのです。今回はそのへんの個人的な話を。ぱちんこの話はありません。

発熱。これまでも何度もあったから「大丈夫だろ」と思っていたら・・・

「ちょっと熱が出てます」という旨の連絡が携帯に。

「コロナとかインフルエンザとかだったらやっかいだなあ」と心配しましたが検査の結果それではなく、尿検査により「尿路感染症」ではないかという診断を下されました。

オムツを常時装着していることもあって、それによって発熱したのはこれが初めてではないし、いつも抗生剤による治療で寛解していたので、今回もとくに心配していなかったのです。

 

しかし今回は違った。発熱したという知らせを受けた2日後くらいの夜中に電話がかかってきて、発信元は母のいる特養。

こんな時間に電話かけてくるということは絶対にただ事じゃない・・っていうのは寝ぼけながらもわかって、まさか・・・と思いつつ電話に出ますとやはり。母の容体が急に悪化、一時呼吸が止まって血中酸素濃度が下がり、酸素吸入しても上がってこず、脈も弱すぎてとれないくらいだという。

電話をくれた看護師さんはハッキリ言わないが夜中に知らせてくるってことは「もうダメかもしれない」ということだろうから、これは一大事、息があるうちにカオを見ておきたい・・ということで、寝起きでフラフラしながら身支度も適当に、急いで特養へ向かいました。

 

いつも使う玄関とは違う通用口を開けてもらって、看護師さんと居室へ行きますと、そこには意識のない状態で酸素マスクつけて目をつむっている母が横たわってました。手のひらと足の裏は紫色に染まっていて、呼吸は断続的。呼吸が止まるたびにそのまま終わってしまいそうな雰囲気を感じて恐怖をおぼえる。

よくわからないが酸素吸入を施設のもつデバイスのMAXである「5L」まで上げてようやく血中酸素濃度が少し上がってきたところ、とのこと。

しかし呼びかけても反応しないし、いつもなら手を握ると握り返すのにそれもなく、完全に脱力している。手足はまるっきり冷たいし、これまではなにがあろうとも不死鳥のごとくよみがえってきた母もついにここで力尽きるのか。

看護師さんにそのへんのことを訊くとはっきり言ってはくれないんですけどね、まあ立場上ダメとも大丈夫とも言えないでしょうから、そのへんは特養に来てくれてる医師から話をきくとして、もうどう見ても長くないようにみえる。私もその覚悟を決めました。

病院での延命は拒否

酸素吸入と点滴による水分等の補給を継続する、という話をきいてとりあえず帰宅。帰り際に看護師さんが「確認しますが、万が一のときはこのまま施設で看取る、というご意思にお変わりはないですか?」と訊いてきました。

ここに書いたかどうか忘れましたが、もし病気などで最期となりそうになったとしても、入院などして積極的な治療はせずに特養で看取ってほしい、という方針を伝えていたのです。たしか以前に熱を出して病院の医師に「入院」って言われて「嫌です」って拒否したときにその話をしたと記憶。

認知症の母:入院を断る。

病院へ入れればもっといろいろな治療を施され、ひょっとして最期のときを先延ばしにできる可能性もありますが、私には延命治療を拒否していた亡父に対して結局延命を施してしまって苦しめたという後悔があって、それを繰り返したくないのです。本人がどう思っているのかを確認できない、っていうのは少しひっかかるところではありますが・・・。

いずれにしろ、前に入院を断ったときも結果としては断って良かった、ということになったのです。あのときに入院していたら帰ってこれなかった可能性が高いと思ってますし、病院では認知症高齢者の尊厳よりも「病気を治すこと」「命を永らえること」が優先されるので、治療のためなら身体拘束でもなんでもやろうとする。そう考えれば、どうせ長くないのはわかっている段階まで来た今となっては入院させるという選択肢はありえない。

なので特養でできる範囲のことをやってもらって、それでダメなら天命ということであきらめる。

私もそのように潔く逝きたいと思ってます。理想は「もうこの世に未練はない」という段階での自死だと思ってるんですけどその度胸がない。

親族が続々と駆けつけてくれたおかげか、若干持ち直す

死に方についてはまた書くとして、いったん帰宅して親族へ緊急の連絡を入れました。いつどうなるかわかりませんから、「もっと早く知らせてくれたら生きてるうちに会えたのに!」とかいうことになるのが嫌なので。

母は戦前生まれで兄弟が多く、存命している何人かの兄弟が会いに行くと言ってくれて、その対応などで忙しく過ごすことになりました。

 

多くの親族が見舞いに来て励ましてくれたからなのか、その3日後くらいからは若干持ち直す様子が。手足の紫色が引いて血中酸素濃度をみながら酸素吸入を段階的に減らし、たまに薄目を開けたり、握った手を弱いながらも握り返したり。この記事作成時点でようやく酸素吸入を「マスク」から「鼻」に変更できたところです。

 

三途の川を渡りかけたところで引き返してきた格好に。まだお前の番じゃない、ということか。

ただ、それだけではまだ安心できない。まだ食事もできてませんしね。いっぱい喰えて体力がもっと戻ってくれないと。

それに、以前までは多少の熱もはね返してきたのに今回はこうなったということは、やはり加齢と体力の衰えで抵抗力が弱っているということで、つぎに同じことが起こった場合はいよいよヤバい、とも考えられる。どちらにしろ最期のときは近い、と思っていたほうがいいんだろうな、と。

 

そんなふうな日々を過ごしていたのでブログ更新もする気が起きず。このまま母が復活してくれれば私もこれまでどおりの活動ができますが・・・どうなるか。

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