大相撲九月場所は新横綱の照ノ富士が優勝。
成績はもちろん、内容も立派でしたね。勝つためには手段を選んでられない、エルボーだろうが立ち合いの変化だろうが八百長だろうがなんでもやるぜ、というふうになってまで横綱の地位にしがみついてる同郷の先輩横綱とはえらい違いでしたねえ。
その先輩横綱はなぜか休場。同部屋の力士がコロナ感染したからっていうことでしたが、本人は検査で陰性だったんでしょ?だったら休む理由ないだろ、って思うんですけど。マスコミはなぜ誰も突っ込まないのだろう。これは立派な職場放棄でしょ。カネ払って観に行ったファンは「ふざけてるの?」って怒らないと。
で、その白鵬が引退の意向を表明。
なるほどねえ、全勝優勝を最後に引退して、「強いまま引退。弱くなったからじゃないぜ」そして「横審に『激励』されて仕方なく引退したんじゃないぜ」というふうにするためには休場するっていう選択がベストだったのかな。っていうのはひねくれすぎた見方ですかね。
彼の引退報道の影響か、このブログの大相撲関連の記事のアクセスが急に増えました。
興味がおありであれば大相撲カテゴリの記事をみていただきたいですが、白鵬については一貫して「横綱の資格なし」「横審と協会ははやく奴をクビにしなきゃダメ」というスタンスで書いてきました。引退表明、というニュースには「遅すぎる」「喜ばしい」「クビじゃなく引退なのかよ!」という気持ちしかないです。
何度も言うように私はもう大相撲に興味はありませんが、その彼が引退するって言い出したんであれば、いちおうそれについて書いておきましょう。これまで書いてきたことと重複することばかりですが。
横綱という存在のありかたについての問題点をあぶり出した大横綱
まあ~ずいぶん長いこと居座りましたねえ。若いころはベビーフェイスを演じていたけれども、ヒールの朝青龍引退後は徐々にそのメッキが剥がれた感じになり、晩年はもう目もあてられないひどさになりましたね。テングになると人間はこうなる、っていうのを示してくれた。マスコミはもっと彼を叩くべきだった。そうすれば子どもたちは「テングになるっていうのはみっともないことなんだなあ」って理解してくれただろうに。彼みたいなのを称賛したせいで「なんでもいいから勝てばいいんだよ」っていうふうになってしまった。
横綱の品格とは?って問われて「勝つこと」としか言えなくなっちゃったんだからメッキが剥がれるのも当然だったのか。しかし彼が歪んでしまったのは、前にも書いたとおり、横綱審議委員会やファンのせいでもありますね。
「横綱たるもの(15日間相撲取ったら、負けたとしても)せいぜい2敗、悪くても3敗でしょう」などとアホなことをぬかした人が横審にいたことからもわかるように、みんなが星勘定だけでものを言うから、白鵬は「勝てばそれでいいんだろ?」ってなっちゃったんでしょう。誰かが横綱に昇進するときだって、星勘定と「印象」だけで決めますからね。「14勝なら」とか「全勝なら」とか言われりゃあ、とりあえず星を買って昇進しようって考えるのは当然でしょう。本人がそう考えなかったとしても、周りの人がそうはさせないかもしれない。「ここは星を買っとけ。俺が話をつけといたから」って親方が言うかもしれない。じっさい彼が昇進したときもそういう疑惑が出ましたよね。
まあ昇進のシステムは彼以前からそうだったから仕方がないとしても、「引き際」については、彼や鶴竜の場合はまさに、「横綱」という存在のありかたの問題点が浮き彫りにされる形になりましたね。
オリンピックで土俵入りしたい、っていう野望や帰化や年寄名跡の手配の問題などさまざまな理由があって地位に居座ったんでしょうけど、現在の制度では、横綱はその気になればいくらでもその地位に居座れるということを明らかにしてしまった。横審は横綱をクビにできませんしね。できるのは引退を「勧告」することだけ。強制的にクビにはできない。まともな好角家や識者からみたら猛烈にみっともない横綱になりさがったとしても、本人にその自覚がなくて「もうつとまらないからやめます」って言わなければず~っと横綱でいられちゃう。
「横綱」は「地位」ではなくただの「資格」「称号」にして、問題が発生したら剥奪
横綱審議委員会が横綱に「引退勧告」や「激励」「注意」などを決議するのは、
・休場が多いとき
・横綱の体面を汚したとき
・成績が振るわないとき
らしい。
つまり横綱は、休場せず、清廉潔白でまじめであり、しかもいつも勝つ、っていう存在であるべきだ、ということらしい。
私は最も重要視するべきは「横綱の体面を汚したとき」っていう部分だと思う。しかし横審やファンは星勘定しか評価しないから、土俵下から審判に物言いを要求するという前代未聞の超不祥事を白鵬がやらかしても横審は引退勧告を出さなかった。「横綱の体面」ってのはなんなのか、っていうのを突き詰めて考えたことがないんだろうなあ。横審やファンがそんなだから、白鵬も「勝つことが品格」とか言うようになっちゃった。
しかしその「体面」も非常にあいまいであり、とくに外国出身横綱なんかは理解できないことも多いでしょうね。そこは師匠がちゃんと教育しろよって話なんですけどね、白鵬の「物言い要求」事件や白鵬も同席していた日馬富士の暴力事件は、輪島が年寄株を借金の担保にした事件や双羽黒の暴力事件と同等の驚天動地の不祥事だったわけで、あれでクビにならないんならもうなにしてもOKでしょ。
「横綱の体面」とは?っていうのも突き詰めてほしい問題ですが、「休場が多いこと」「成績が振るわないこと」っていうのも、いろいろと疑問がある。
休場が多いとやめろとか言われるんであればケガしないように八百長に手を染めたりしたくなるだろうし、負けが込んだらうるさく言われるんであればこれまた星を買ったりしたくなるしちょっと負けたらとりあえずその場所は休場しちゃおう、ってなるでしょ。「成績が振るわないとき」って言うけど、横審の奴らは「13勝2敗」とかいう凄い成績でも「横綱ならそんなもんだろ」ですからねえ。それじゃあ白鵬も序盤でちょっと負けたら休みたくもなるでしょ。
いずれにしろ、休場が多くなったり体面を汚したり成績が振るわなくなったら「やめる」しかない、しかしいろんな事情で今やめるわけにはいかない場合にはいくらでも引き延ばせる、っていう制度自体を、白鵬という問題児の出現を機に見直すべきじゃないですかね。
これは前から言ってますけど、「横綱」は「番付」「地位」ではなく、「横綱を締めて土俵入りする『資格』のある力士の称号」、というかたちにして、休場が多かったり体面を汚したり成績が振るわなかったりしたらその「資格」を剥奪、でもまた頑張ったらふたたび「資格」をあげる、というふうにしたらどうか。
ていうかそもそも「横綱」ってのは「横綱を免許された大関」で、番付ではなかったらしいですからね、そのもともとの姿に戻せばいいのでは。
不祥事はともかく、ケガしたり負けが込んだりしたらやめなきゃならないっていうふうになってるから、ケガしないように無気力相撲をとったり、星を買ったり貸し借りしたりするわけでしょ。照ノ富士は大ケガしたせいで大関から序二段まで落ちたけれども、そのケガが横綱昇進後だったらもうとっくにやめていなければならなかった。そんなバカな話はないでしょ。大ケガして休みが長くなったり勝てなくなったりしたらとりあえず横綱免状は返して、またケガを直して横綱を目指して・・・っていうふうにすればいいのに。横綱だけやり直しがきかないっていうふうになってるからいろいろ問題が起こる。
横審もしくは協会が気軽に横綱免状を取り上げたりできれば、問題横綱が延々と休場しながら横綱の座に居座る、なんてことはなくなるでしょ。いくら休んでも横綱から落ちることはない、なんていう制度は廃止。だいたい、大関で2場所連続優勝したっていうだけでそんな凄い特権を与えちゃうのが間違い。横綱は神様、みたいな認識ももう改めたらどうか。ただの称号にすればいい。横綱にふさわしくない、ってなったら称号をとりあげればいい。
「横綱」という存在のありかたに問題があるから、今の大相撲はつまらないんだ、と思っています。大関が最高位、横綱はただの「資格」にしてほしい。居座り横綱はもうたくさん。
ともかく、白鵬という問題児(実績は凄い?そんなものはどうでもいいんですよ。自ら晩節を汚しまくったおかげで全部パーだし、そもそも内輪だけで競っていてオープンでない大相撲という狭い世界で何十回優勝とかいったところで、それがどうしたという話)が現役から退いたおかげで、少しは相撲が面白くなってくれればいいなあ。