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歌手の橋幸夫がアルツハイマー型認知症の発症を公表

「潮来笠」「いつでも夢を」などのヒット曲で知られる歌手の橋幸夫がアルツハイマー型認知症を発症していることを公表。

診断は3年ほど前にされていたらしいですね。そのあいだにテレビやラジオでその仕事ぶりを何度かみたもののまったく気がつかなかった。

軽度のあいだは、家族はともかく周りの人や他人はなかなか気づけないですからね。私の亡母も、家のなかでは物忘れしまくりなのに医者や他人の前に出ると信じがたいほどシャキッとしていた時期がありました。介護保険の認定調査(市町村が要介護度を認定するために認定調査員を派遣し、本人と面談したりする)のときは、(基本的に要介護度は重く認定してほしいから)ふつうに受け答えする母のそばで私が「いやいつもはこんなシャンとしてないんですよ!」と口をはさんだくらい。まあそれも最後には誰がどうみても要介護度MAX以外はありえない、というところまで行ってしまいましたが・・・。

家では近所の人の名前を思い出せないのに、外で出会うとふつうに名前を呼んだりしてました。そしてもし思い出せなくても、思い出せないことを相手に知られないように取り繕う、ごまかすことがものすごく上手かった。認知症になっても、他人に失礼のないようにとか、他人を悲しませないようにとか、そういう思いやりは消えてなかった。当時はそういうことがわからず、物忘れで振り回されたり夜中にどっか行っちゃったりしただけでものすごく怒って大声出したりしたことを後悔してます。この後悔は一生消えることはない。

私の母のことはともかく、橋幸夫もそんな感じで仕事のときはシャキーンとできているんでしょう。ここで仕事をやめずに継続するっていうのは正解だと思いますね。やめたらおそらくすごいスピードですすんでしまうでしょう。

どれだけ頑張っても「なるときにはなる」

橋幸夫は80歳を目前にして大学の通信教育部に入ったり、歌手活動も(いちど引退を発表したりしたものの)現役を続けていましたね。

無趣味だったり、仕事やめてボケっとしたりしていると認知症のリスクが上がる、とはよく言われていますが、トシをとってもクリエイティブな活動、たくさんの人と交流する、脳も体もめいっぱい使うであろう歌手という仕事を続けていても、アルツハイマーになるときはなってしまう。

このブログで「認知症は怖い。避けるためにはどうすればいいのか」という話をだいぶ前には何度か書きましたが、そういうことは実はあんまり意味がない、と今は思っています。なにをどう頑張ろうともなるときにはなってしまう。最大のリスクは「加齢」であり、それを避けるには早く死ぬしかないわけで、長生きすればだれでもなる可能性がある、と思わなくてはならない。

すると、備えておくとするなら、認知症になったらどうやって生きていくのか、をちゃんと考えて、それが実現可能なように準備しておくことでしょう。橋幸夫は周りの人がちゃんとフォローして仕事も続けられているようでなによりですが、ふだんからもしものときのことを周りの人と話をしておくことが大事なんでしょうね。家族も仕事仲間もいない私のような人間はどうするか、というのは私にとっても社会にとっても難しい課題ではありますが。

しかし周囲の人間が認知症についての理解ができてない場合は大変なことに。私も母の介護のとき、もう少しよくわかっていたら、もっといい介護ができたかもしれないわけで、すると全国民がちゃんと勉強しておくこと、行政や医療側がそれを啓蒙することももっと必要でしょう。私もそうでしたが、たいていの人は問題に直面するまでそんなこと勉強しようとしない。私の兄など母を亡くし自分ももうすぐそのリスクが上がってくる年齢になろうという段階になっても認知症のことも介護保険のこともな~んにも知らない。無知であったり想像力が欠如してたりっていうのはすごく幸せなことだなあ、と思いますね。心配するということがないんだから。

介護を体験したからこそ、いざ認知症になっても適切に対応できるというところもあるのかも

橋幸夫の母上が認知症になり、その介護体験などについて橋が書いた「お母さんは宇宙人」という著書について以前に記事にしたことがありましたが、

橋幸夫著「お母さんは宇宙人」を読んだ

認知症になった親の様子をつぶさにみた身でありながら自分も同じ病になるってのはどういう気持ちなんだろう。私だったら絶望してしまうところだけど。

Amazon.co.jp お母さんは宇宙人

↑介護保険などまだなく、認知症が「痴呆」とよばれていて社会的に理解が(今よりもさらに)ないころの話で、現在とは状況が違い過ぎるのである意味では参考にならないところもあるものの、被介護者への向き合い方、介護者の心の持ちよう、という点ではマネするべきところばかりの名著です。橋家は素晴らしい奥さんがいたおかげで歌手活動もちゃんと続けることができたしお金もふつうよりはあったわけで、その点では庶民にはないアドバンテージがあったけれど、この本では読み取るべきはそういう環境の問題ではありませんね。

 

それはとってもかなしいことだけれど、親のその姿をみて介護に携わったからこそ備えられたり、心構えができたりするところもあるのかも。こうなったときに困らないようにこう備えておく、みたいなことは少しはできるかもしれない。

その時間と余裕をもっておくためには、やっぱり早めに診断がついたほうがいいわけか。自分がアルツハイマーという不治で不可逆な病になっている、という認識があるのとないのとではできる備えが全然違うでしょうからね。でも嫌だなあ。私ならそんなこと調べたくない。亡母が脳神経外科で検査するのを頑強に拒否した気持ちが今はわかる。私も人に医者行けと言われたら観念するまで数年はかかるかも。

 

・・などといったことを考えました。橋幸夫にはまだまだ現役で頑張ってもらって、その頑張りが認知症患者やその家族に力をあたえることを期待したいです!

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