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認知症・介護 雑談

白内障の手術を受ける。その①

投稿日:2021年2月28日 更新日:

更新がだいぶご無沙汰になりました。

前の記事で書いた→お知らせと、雑談。、サイトのサーバー移転などがいろいろ面倒が多かったのと、パチンコの稼働時間が莫大になったことなどがあって更新する余裕がありませんでした。

サイトの移転はできれば自分でやりたいと考えていたのですが、知識が不足しているため失敗のリスクとかかる手間と時間があまりに大きいと判断、結局プロにお金を払って手伝ってもらいました。なので割と簡単に終わることができたんですが、いろいろ手直しが必要なところが出てきて、そこは自分でやらなければならず(まだ終わらない)、そこにも時間をとられることに。

パチンコは相変わらず遊タイム狙いをしています。その遊タイム狙い、時間がものすごくとられることもさることながら、「回らない釘の台を打つ」という、いままでにやったことがないことを毎日毎日続けなければならないのがとにかく苦痛。しかも、現代のデジパチは基本的にゲーム性は全部同じようなもので、回ってもつまらないのに回らないとなればもう毎日が拷問。延々とクソハマリの末に激ショボ出玉で終わり・・を何度もやってから帰宅するともう疲労困憊、ブログ記事つくろうなどという気持ちにはなれませんでした。

実はかつてないレベルで「もうパチンコ打ちたくない」と思ってるんです。ハマって激ショボ出玉・・・なんてのはこれまでにやってきたパチスロの天井狙いでも同じことなわけなんですが、パチンコの場合はパチスロと違って、その過程に起伏というか、ドラマというものがない。ただ単に「いつ引けるか」「どれくらい連チャンするか」ということだけ。ミリオンゴッド凱旋みたいに、天国だの裏天国だのG-STOPだの小役の連チャンで当たったりだのといった起伏やドラマはなく、ハズレか当たりか、というのを繰り返すだけ。それでも、銀玉の予測不能な動きにエキサイトするというパチンコ本来の面白みがあれば話は別なんですが、今のデジパチはほとんどすべてがそこをないがしろにしているし、なにしろクソほどもヘソに寄っていかないようなクソ釘の台ばかりで、銀玉の動きを楽しむどころかただひたすらイライラするだけ。パチンコってほんとつまらなくなったなあ・・という気持ちにしかならない。

そういう気持ちになっちゃってるので、稼働記事を書こうなんていう気も起きてこないんですよねえ。だって、引けた引けないっていう話しかないんだもん。

ということで今回もぱちんこにはあまり関係ない雑談です。

白内障の進行が日常生活に支障の出るレベルに

私は小学校高学年くらいから近視が進み、今では眼鏡がないと家の中でもなにもできないくらいなのですが、それに加えてここ最近は「白内障」の進行が顕著に。

白内障とは、眼の中のレンズである「水晶体」が濁って視力が低下する病気。濁っているため光が遮られるので、目がかすんだり、ものが二重に見えたり、明るいところだとみえるものが暗いところだと見えなかったりとか、いろんな症状が現れます。

私が困っているのは、太陽光のもとではそれなりに視力が出るのに、暗いとものすごく見にくくなること。夜は車の運転が怖い。道路標識とか見にくいし、対向車のライトがまぶしい。雨の夜なんかはとくに怖い。

以前に私の母も白内障の手術をやり(認知症でじっとしていることができないため全身麻酔でやってもらった)→認知症の人の医療、そのときに世話になったかかりつけの眼科医に前々から診てもらっていたのですが、その医師は「眼鏡で視力が出るうちは手術はしないほうがいい」という見解をずっと示していたのです。

しかし私の住む地域は田舎で車の運転ができないと非常に不便。それに、前回の運転免許更新の視力検査では、(試験場の中はわりと暗いので)眼鏡をかけても0.7が見えず「休憩してからもう1回ね」って言われて、2回目でどうにか合格したくらいで、どっちにしろ次の免許更新までにはなんとかしないと・・・と思っていたので、「車で事故起こしてからじゃ遅いので、もう手術をやってもらいたい」と医師に頼んだのです。

30キロほど離れたところにデカい大学病院があり、そこで手術をしてもらうことに。紹介状を書いてもらって、まずは検査などをしてもらいました。

 

クルマで大学病院へ。そこは母の白内障手術をしたところで、まだちゃんと歩けた母の手を引いて行ったことや、認知症で他人の言うことがあまり理解できなくなっててあらゆる検査が不可能(視力検査で「開いてるほうはどっち?」って訊かれても答えられないし、レントゲンとかで「息吸って~」とか言われてもできない)で病院の人たちを困らせたことなどを思い出し、「それでもあのときはまだ歩けたし声かければ返事もしてくれてたんだよなあ~」などと考えつつ受付へ。

まだ診療開始前の時間でしたが数十人が再診受付に並んでいて、私が行った初診受付にも十人ほどが順番を待っていました。みんなちゃんとマスクしてるし手指の消とかもしてるけど、これって密だよなあ。

 

ちょくちょく待たされながら、眼圧や視力などの検査、眼底の撮影などをやってもらいました。さすが大学病院というべきか、私のかかりつけの医院と違って検査技師さんは若い人が多い。手術をすることになったとき、入院することをすすめられ、入院なんてしてる余裕はない・・と断って通いでの手術をお願いしたのですが、若い看護師さんとかに世話されるんなら入院もまたヨシかな・・・とか考えつつ検査を受けました。いままでそんなふうに考えたことはなかった。すっかりオッサンになり切ったということですかね。検査でいろいろ訊かれるなかで、若くてキレイな検査技師さんに「~は若いときはどうでしたか?」なんて言われてちょっとガッカリしたり。

その後、執刀をしてくれる医師の診察を受け、手術の日程を決定。通いでの手術なのでまず片目をやって、1週間空けてもう片方をやるという流れになるらしい。

独り身の不便さを痛感

それからレントゲンや尿検査や心電図などをやって、再度看護師さんから術前に自分でやることなどの説明を受けてこの日は終わり。

3日前から目を殺菌するために点眼しなきゃいけないとか、術前には瞳孔をひらくための点眼を20分おきにしなきゃならないとか、書類の記入などの説明を受けました。

しかし話をきくとけっこう大変(通いで手術できるということなので簡単に考えていた)で、あらためて独りで生きていることの不便さ、不利さを痛感した次第。

クルマの運転はしばらくムリ。すると病院へはバスで行くことになるんですけど、それがバスをいくつか乗り継がなきゃならないのでとにかく大変。運転できないお年寄りとかは大変だろうなあ。看護師さんからは「バスで来るか誰かに送ってもらうか・・・」なんて言われましたが、そう、送ってくれたりする家族がいれば助かるのに。

それから、手術の承諾書には「保証人」の欄が。いやいや、いないんだけど。仕事(?)はすべてひとりでやってるし、奥さんはいないし、兄弟とも疎遠だし、親は字など書けないし。

・・と説明したら、看護師さんは「じゃあ提出するときにそれを伝えてくれれば大丈夫です」と言ってくれて、それで終わったんですけど、これも家族がいたりすればなにも問題なかったわけですよね。

いつも書いてますがやっぱり独り身はなにかと困ることが多い。しかも私の場合は友達もほとんどいないし、致命的なのは仕事(?)も全部ひとりでやってるということ。近所の人とは挨拶くらいはしますがそんなに付き合いもない。だから困ったときに誰かになにかを頼むということがなかなかできない。

ていうか、それよりも寂しさに精神がヤラれるということのほうが最近はキツイ。コロナ以降、母に会いに行ってそこで介護士さんたちと話をしたりとかいうこともほとんどできなくなり、とにかく人と触れ合うことが圧倒的に少ない。

よく「孤独が人生を豊かにする」とか「孤独が自分を強くしてくれる」みたいなことを言ってる人がいますけどね、私に言わせれば「あんたはほんとに孤独になったことないだろ」としか言いようがない。バカ言っちゃいけませんよ。ふだんいろんな人に囲まれて満ち足りた生活をしてるから、たまに独りになる瞬間が気持ちイイし貴重だ、っていうだけだろ。独身を貫いて友達もなくカネもなく数十年過ごしてきた高齢者が「孤独は最高」って言うんならともかく、いっぱい仕事があってカネも地位もあって家族もいっぱいいて・・ていう作家だのが「孤独を楽しむ」とか言ってるのを見るともう吐きそうなくらいの嫌悪感を覚えますね。

とはいっても私の場合、そのつらい孤独をなんとかしようと思ってなにかつながりをつくろうという気にもならないから、独りで寂しいとかつらいとか不便だとか言う資格もないんですけどね。もうどうすればいいのか。

 

それはともかく、そういうわけで近日中に白内障の手術を受けることに。加齢による白内障には長生きすればほとんどの人がなるので、手術がどうだったかを書いておくのも役立つことかな、と考えた次第。また記事にします。

白内障の手術を受ける。その②

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