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敬老の日~働き続けることが、元気に老いる秘訣かも~

どうでもいい話。

今日は敬老の日だそうです。

ここ数年、どんどん認知症が進んだり、弱っていく両親をみてきたので、

お年寄りをみると、敬う気持ちより、

「自分もいつかは必ずこうなる」

「(母のように)認知症にならないためにはどうしたらいいのか」

「(父のように)病気のデパートのようにならならためにはどうしたらいいのか」

「たぶんこのまま一人で老後を迎える。どうしたら他人の世話にならずに生きられるか」

とか、そういう心配しか感じなくなりました。

今回は、敬老の日ということで、思ったことを書いていきます。

元気な高齢者はうらやましい

昨日、「笑点」をみていたら、漫才コンビ「Wヤング」が出ていて、

わたしはこの人たちのことは全然知らなかったんですが、

片方の人が75歳なのにものすごく若く見えるので、

それをネタにしたギャグ(調べてみるとこれは彼らのいつものネタらしい)

をやっていました。

正直いってびっくりしました。私の父が75歳のころは、まだ元気で車も運転したり

していたけどもっとよぼよぼ、よたよたしていました。

政治家とかに多いですけど、ものすごい年齢でも信じられないくらい元気な人っていますよね。

こういう人たちは、なぜ元気でいられるのか。

彼らのように老いるには、どうしたらいいのか。

私はおそらくひとりで老後を迎えるので、

彼らのように元気に老いなければならないのです。絶対に。

隠居してはいけない、んじゃないか

私の父は、サラリーマンではなく独立して仕事をしていて、

60代のうちに事業をたたんで、母と一緒に隠居しました。

お金はけっこうたまっていたようで、

隠居後は母と海外旅行へ行きまくっていました。

で、終の棲家として買った家(実際には終の棲家は老人保健施設になってしまいました)

で、庭仕事したり、いろんな趣味に没頭したり、

いわゆる悠々自適というやつですね。

 

私は、これが良くなかったんじゃないかな、と思っています。

父にとって幸せだったか、ということを抜きに、

「元気に老後を生きる」ということに関していえば、

「隠居してしずかに余生を楽しむ」とかいうのは、

やってはいけないことなんじゃないかと思うのです。

 

一時、「シルバー人材センター」みたいなところに登録して、

ちょこちょこ仕事もあったようですが、

その仕事をしたことを楽しそうに話をしていました。

やっぱり、仕事をするということは、人生にハリを与えるんだな、と思います。

現在ニート同然の私がこんなこと言っても説得力ゼロですけど。

自分の体のことしか気にしなくなった

仕事をやめる、体が弱ってくる、趣味もやらなくなる、

という段階を経たのち、私の父の関心は

「自分の健康」ということだけになっていきました。

「病は気から」というのは本当なんだな、と思いました。

いろんな体の不調を訴えて病院に行きまくるんですけど、

調べても悪いところがみつからなかったりということもありました

(見つかったものもたくさんあったんですけど)。

便秘がひどくて、出ないときは1週間くらい出なかったんですが、

もう出ない間はそのことしか言わない。

本人もつらかったでしょうが、私もこれにはちょっと困りました。

「気にしすぎなんだよ!」と怒ってしまうこともありました。

他人と関わっていないと気持ちが後ろ向きになる

いま、あまり他人とかかわらない生活をしていて思うんですけど、

そういう状態だと、なんか気持ちが後ろ向きになる気がします。

父も外に出なくなってから、ひたすら自分の体調を心配するだけで、

すごく気持ちが後ろ向き、内向きでした。

相談したり、気持ちを打ち明けたりする人がたくさんいれば、

もうすこし明るい気持ちになって、結果、体調も改善したんじゃないか、と思います。

死ぬまで外で働くべきなんだろう

だから、元気に老いるためには、他人と交わりながら体を使って働くことを、

死ぬまで続けるべきなんだろうなと思うのです。

これ、いまの私は1ミリもやってないんですよね。

だから、ほんとうは一刻も早くこの状況から抜け出したいんですけど、

同時に、他人に使われたり他人を使ったりして仕事するのは、

どうしても嫌なのです。

 

ひとりで老後を迎えるのはほぼ確定しているなかで、

せめて他人に迷惑をかけずに生きていけるように、

認知症にならず、寝たきりにならず、おカネにも困らないようにするには。

それを考えることが、すなわち人生を充実させていくことにつながるのかな、

と思っています。

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