大相撲の横綱稀勢の里が引退という非常に残念なニュースが。
このブログでは大相撲の記事を何度か書いてきました。
しかし、ここ最近は相撲に対しての興味をほとんど失っていまして、
誰がどうなろうがどうでもいいよ・・・という感じなんですが、
私もそして私の亡父も彼が十代のころから注目し応援していたので、
長いことよく頑張りましたね・・・
というねぎらいの気持ちをこめて、
いま思うことを記事にしておこうと思います。
「見苦しい」と言われても、自分の信念を貫く男のカッコよさを最後までみせてほしかった・・・。
わたしは、仮に負けが込んだとしても
今場所を最後までとりきってほしいと思っていました。
マスコミは「横綱の8連敗は史上ワースト記録」などとくだらんことをほざいていましたけどね、
いままでの横綱はそうなる前に休場するか引退していた、
というだけの話であって、
そんな恥辱にまみれることを「逃げる」ことで回避していた
これまでの横綱たちだって同じくらいみっともないだろ。
の記事にも書いたことですが、
ちょっと負けたからってすぐに逃げる横綱のほうが、
客をなめているという意味でよっぽど罪深い。
負けが込んで引退危機になるのを回避するために星を買ったり回しあったりする横綱はもっと罪深い。
稀勢の里はそのどちらもやるのが嫌だったか、
もしくはそれをできるような器用さ、ずる賢さがなかったというだけの話でしょう。
横綱Hさんみたいな、八百長クサい、ゲロ以下のニオイがプンプンする、
どこからどうみても一生懸命やっているようにみえない相撲と、
弱くなっちゃった稀勢の里がなんとか立ち直ろうとして懸命にあがく相撲。
どちらがカネを払ってみる価値があるか。
少なくとも私は後者のほうにならカネを払ってもいいと思います。
あくまでも客観的に考えれば「横綱」などという地位には神格化するほどの意味も重みもないのだから
(日本相撲協会という、いわば内輪の狭い世界の中で決めているだけ。ほかのスポーツのようにオープンでやっているわけではないのだから、そんなものを「日下開山」などというのはおこがましい。思い上がり以外のなにものでもない)、
横綱が8連敗でどうのこうのなどという声はシカトして、
どれだけ負けてどれだけ批判されようが自分が納得するまで土俵に上がり続けてほしかった。
格下相手にエルボーしたり待ったをしたり、審判に「子供でも分かるだろ」と文句を言ったり、星を回しあったり・・・
そんな恥ずかしいことをしてまで勝つことに拘泥する横綱の姿よりも、
愚直にまっすぐに一生懸命にガチな相撲にこだわる横綱の姿のほうが
カッコいい・・・ということを子どもたちに思い知らせてほしかった。
まあしかし、大けがをした後の相撲内容や成績はともかく、
低レベルな相撲ファンやマスコミのゴミみたいな批判にさらされながら
文句もいわずによく頑張ったと思います。
「みなさん相撲をもっと勉強してください」などとぬかしたクズ横綱とは
彼は男としての格が違う・・・というのは、
まともな相撲ファンであれば理解してくれていたはずです。
そういった意味で、記録よりも記憶に残る横綱・・になったといえるでしょう。
それはともかく、
これを機に「横綱」の存在のありかたについて
議論が巻き起こることを期待したい。
「横綱」のありかたに無理があるから、大相撲はどんどんつまらなくなっている
これまでにも言ってきたように、
「横綱」は勝てなくなっても降格して再起をはかることができない、
一時的に調子が悪くて負けが込む、ということが許されない・・・
という横綱のありかたが、
大相撲をみていてつまらないものにしていると思います。
勝てなくなったらやめるしかない。
ちょっと負ければ「横綱たるもの2敗、悪くても3敗でしょう」などとぬかす
レベルの低い横審やファンがウルサい・・・
だから、そうなることを防ぐために星を買ったり借りたりして横綱としての体面を保とうとする
奴が出てくるわけだ。
そして、相撲はつまらなくなる。
いまのHさんの相撲をみているとそれが如実に表れていますね。
「勝てなくなったらやめるしかない、やりなおせない」
というのは、凄い才能のある力士の将来をつぶし、
結局は大相撲の衰退につながる危険な制度だと思います。
もと大関の照ノ富士は今、膝のけがが原因(そのときの対戦相手が稀勢の里)で苦しんでいて、
いまの番付は三段目。全休が4場所続いている状況ですが、
けがをするのがあと数場所あとだったら、
彼はおそらく横綱になっていたと思います。けがをする前はとにかく強かった。
大関経験者が三段目に落ちるという汚辱にまみれても
再起を目指すそのあきらめない姿勢は
男として尊敬に値しますね。
しかし、もし横綱になったあとにけがをしていたら、
彼はいまごろ再起を目指すどころではなかった。
バカな横審やファンやマスコミから「進退進退」と言われ、
すでに引退していたでしょう。
北の湖や貴乃花のように若くして横綱になった大横綱が、
もし昇進直後に大けがをして勝てなくなったりしていたら、
彼らが築き上げた栄光や、そのおかげで得られた相撲協会の儲けもなかったわけだ。
そんなバカらしいことがあっていいのか、という話です。
だから、ケガをしないように、安全に勝てるように、
星を買う横綱が出てくる。
だから相撲はつまらなくなる。
第一人者たる横綱が、地位と体面を守るために
無気力相撲を繰り広げている・・・というのが大相撲の価値を下げているのだから、
下の力士たちは命がけでそんな横綱を引きずりおろさなければならないはずなのに、
下の力士にもそんな気概がみられない。
これじゃあカネを払って観にくる人がいるのが不思議というものです。
「横綱」は「地位」ではなく「免許」「称号」にせよ
もともと「横綱」は、
綱を付けることを許される、という「免許」だったそうです。
いまのように「地位」ではなかった。
このもともとの姿に戻せばいいのに。
稀勢の里には横綱にふさわしい力が戻らない、
となれば横綱免許をとりあげてただの大関にする。
Hさんがおよそ横綱にふさわしくない土俵態度や言動をとれば
横綱免許をとりあげてただの大関にする。
これなら、たとえけがで調子が悪くなって「横綱」でなくなったとしても、
「また頑張って横綱に復帰するぞ!」と再起を目指せるのに。
「番付が横綱」ではなく、「番付は大関。しかも『横綱』免許をもっている」でいいじゃないか。
みっともないことをすれば横綱免許を取り上げられちゃう、となれば、
Hさんみたいに「勝てばいいんだろ勝てば」みたいな考えで
強ければ言いたいこと言ってもいいんだ、という勘違いをする横綱もいなくなるかもしれない。
稀勢の里の引退を機会に、
「横綱」のありかたを見直すべきです。
だいたい、けがで勝てなくなった横綱には「進退進退」とギャアギャア騒ぐくせに、
自分が負けた判定が気に入らなくて土俵の下から行事や審判にクレームをつけるという前代未聞の恥知らずな行為をやらかしたような
横綱には進退を問わない、という状況自体がおかしい。
こんなんでなにが「品格」なんだよ、という話。
ともかく、貴乃花親方が去り、稀勢の里も引退・・・となれば、
私もますます相撲をみなくなり、
相撲を話題にした記事ももう書かないと思います。
さようなら大相撲。稀勢の里、いままでありがとう・・・
といったところでこのへんで。