先日、かかりつけの耳鼻科に
ちょっと調子が悪くて行った時のこと。
私が診療の順番を待っていると、
70代くらいのご婦人が
窓口でなにやらモメている。
会話を聞いていると、「アリセプト」(認知症薬)なんていう言葉が出てきていて、
どうやらご婦人は認知症がある模様。
この耳鼻科はほかにも神経内科などの診療科目があるので、
ここでアリセプトをもらっているのかな。
ご婦人は足腰はしっかりされていてひとりで来院したようでしたが、
会計を終わり処方箋をもらったところまではうまくできたものの・・・
そこから先がうまくいかないらしい。
薬局の場所が思い出せないらしい
みているかぎり、ご婦人の認知症はけっこうすすんでいるようで、
どうやら処方箋薬局の場所が思い出せず
受付で何度も同じことを尋ねているみたい。
ご婦人「薬は・・どこでもらうんだっけ?」
受付の事務員さん「いつもどこでもらってるの?」
ご婦人「え~っと・・・」
事務員「○○○薬局?それとも△△薬局?」
ご婦人「・・・・・」
事務員「○○○ならここからこう行ってこう行って・・・△△ならこう行って・・(と、場所を教える)」
ご婦人「ああ・・そうなの。うんうん、わかった。・・・・で、そこでなにをもらうんだっけ?」
事務員「処方箋をいまあげたでしょ。それを出して薬をもらうのよ。」
ご婦人「処方箋?・・・ああ、これ?うん、わかった・・・・で、薬局はどこだっけ?」
・・みたいな感じで、同じ会話が何度も繰り返されていました。
事務員さんは若干イライラした感じでだんだん大きな声になって同じことを何度も伝えている。
ここで私は診察に呼ばれてしまったので
ここから先どんな展開になったのかわかりませんが、
いろいろと考えさせられるシーンでした。
その事務員さんはかりにも医療に携わる人でありながら
認知症の方にどのように対処すべきなのかわからない様子でした。
なんべん繰り返したところで忘れちゃうんだから、
デカい声を張り上げたところであんまり意味はない。
かといって処方箋薬局につれていってあげるということも難しいでしょう。
処方箋薬局はお年寄りの足だといちばん近いところでも歩いて20分以上はかかる。
私は診察を待っていたし、待合室に数人いたほかの患者さんたちも
認知症のご婦人が困っているからといってどうしてあげることもできませんでした。
認知症の方が増えているいま、
このように認知症の方が日常生活で困るシーンはどこででも展開されているであろうことは像に難くない。
もし私が診察を終わっていてちょうど帰るところであったら、
処方箋薬局に連れていってあげることも可能でしたが、
それをやったところで次の時にはまた同じことになってしまうわけで
問題の解決にはならない。
今回のご婦人のように物忘れはあるけれどとりあえず日常生活はなんとかできる、
というくらいの認知症をもつ人が
安心して外を出歩けるようには、
残念ながら日本はなっていないんだな、とあらためて痛感。
よくよく考えてみると、電車なんかも切符を買うだけでもけっこう難しいですよね。
私もめったに電車に乗らないので、たまに首都圏で電車に乗ったりするとき、
券売機がゴチャゴチャいろんなことが書いてあってなにがなんだか一瞬わからない。
(このあたりは、オリンピックに向けて外国人にもわかりやすいようにという取り組みはけっこうやっているようですが、そんなことよりもお年寄りや障がいのある方に買いやすいようにすることを目指すのが先でしょうね。)
「認知症フレンドリー」とは?
で、この耳鼻科での出来事によって
ついこのあいだ読んだこの本を思い出したので、
この機会に記事で紹介しておこうと思った次第。
amazon.co.jp 認知症フレンドリー社会 (岩波新書)
著者はもとNHKのディレクターで、
現在はNPO法人で認知症にかかわる活動をしておられる人。
「認知症フレンドリー」ときくと、
「認知症の方にやさしい社会」、つまり認知症の方に認知症でない人が手をさしのべてあげる、
という感じのことかな?と思われるでしょうが、
ここでの「フレンドリー」とは、
○○にとって使いやすい、○○に適応している、という意味。
つまり、社会や地域自体が、認知症があったとしても不自由なく生活できるように
なっている社会・・・というのが、
「認知症フレンドリー社会」。
これまでは、ていうか日本は現状そうですが、
認知症の人にどんな医療を施すか、
認知症が重くなったらどんなケアをしてあげるか、
という方向で動く
「認知症対処社会」だった。
しかし、寿命がのびて認知症がありふれたもの、もはや「普通」になってきているいま、
認知症の人を治療してなんとかしようとか、
認知症の人を施設に閉じ込めて「対処」したりするのは限界がある。
ここは考え方を転換し、認知症の人がふつうに生き生きとした生活を送れるように、社会のほうを「アップデート」することを目指すべきだ・・・
といった内容の本。
それと、現状の認知症対策の課題や海外、そして日本で取り組まれていることなどの紹介などが書かれていました。
つまり、先述した私が目撃したご婦人の場合を考えてみると、
仮に私が処方箋薬局へ送ってあげて薬局での対応もやってあげたとしても、
それはただの「対処」。
そうではなく、
社会の仕組みそのものが、認知症であってもひとりで通院して薬を手に入れられるように適応するべきだ、ということ。
たとえば、
認知症の方に「処方箋薬局で薬もらって」というのは難しい場合もあるんだから、「もっと院内処方をふやせないの?」ということを患者の利便性の問題から考える、とか、
そもそも認知症のお年寄りが安全に移動できるためにはどんな仕組みが必要なのか、とか。
さきほどの電車の券売機の例で言えば、認知症があっても直観的にわかりやすい券売機にするためにもっと工夫できることがあるんじゃないか・・・
といったことを社会全体で考えていくのが
(「認知症対処社会」とは対照的な)「認知症フレンドリー社会」・・・という理解でいいと思います。
「認知症フレンドリーな家庭」にするにはどうすればよかったのか
認知症の母と、認知症初期から要介護3になるまで自宅でいっしょに暮した経験をふりかえってみると、
私も「対処」することしか考えてなかったなあ、と。
初期は、なんとか薬で進行がおさまってくれればいいと思っていたし、
だんだんひどくなってくる過程では
母がおかしなことをして自分が振り回されないように、生活が崩壊しないようにするためにはどうすればいいか、
ということしか考えてなかった。
結局私は自分のことしか考えてなかったんですな。
認知症の母によって自分が迷惑をこうむることを防ぐために母の行動を制限してばかりでした。
→在宅介護の失敗をはげしく後悔する・・・「自分で考え、自分で決める」自由を奪っていた。
そうではなく、物忘れの激しい母であっても間違えにくい、わかりやすいように家庭内を変えることを考えるべきだった。
物忘れの激しい母が失敗するのは当たり前なのだから、
それでも大丈夫なように
私のほうが適応するべきだった。
・・・のですが、それはいまだから言えること。
当時はそんなことを考える余裕はなかったです。
ともかく、この本に述べられている、
認知症はもう「普通」のことなのだから
認知症の人をなんとかしようとするのではなく
社会のほうがそれに適応することが必要だ、
というのはちょっと目からウロコでした。
それと同時に、そのとおりだ!と膝を打つような気持にもなりました。
私もこれまで「認知症になるのは怖い。ならないためにはどう生きるべきか?」
と考え、そんな記事もいろいろ書いてきましたが、
認知症になることはもう普通のことになりつつあるのだから、
それよりも「認知症になったらどうするか、どう生きるか」
ということを考えることのほうが重要なのかも。
今後さらに勉強して、そういう方向の記事も書いていこうと思います。