今回はパチスロに関係ない雑談です。
政府が、児童虐待防止法と児童福祉法などの改正案の概要を示した、というニュース。
→読売新聞オンライン 懲戒権見直し盛り込む 改正案…虐待防止へ体罰禁止
その改正案では、「親から子への体罰禁止」を盛り込んでいるらしいです。
教師が児童・生徒に加える体罰は学校教育法で禁止が明記されていますが、
これは家庭内での親の体罰も法律で禁止しよう、というものらしい。
「しつけ」と思って体罰を行使する親も多いし、
家庭内でのことを法で縛ろうというのはどうなの・・・
という気も一瞬だけしますが、
これは必要なことなのかもしれない。
難しい問題なので私にはうまく論ずることができませんが、
自分の子ども時代のことを交えつつ、
思うことを書いておきます。
昭和ヒトケタ生まれの亡父の「しつけ」の思い出
私は昭和40年代生まれ。亡父は昭和ヒトケタ生まれで、
もうちょっと早く生まれていれば兵隊になってたかも・・という世代。
我々子どもたちに対して、殴る蹴るという体罰はしませんでしたが
ここぞというときにはイッタ~イ罰を施していました。
それは、ズボンとかに使うベルトで尻を思いっきりひっぱたく、というもの。
我々子どもがなにか悪いことをしたのが発覚すると、
「尻を出せ!」と言ってベルトを持ってくるんですよ。
ひどいときは何回もピシ~ン!とやられ、
いま思うとひょっとして亡父はサディストとしての素質をもっていたのでは・・・という気もします。
これは怖かった。とにかく痛いし、
ことの重大さに応じてこれをやるかやらないかを亡父が決めていたため、
私がなにか悪いことをしたときに考えることは
「父にこれがバレたら、はたして父はアレをやるだろうか?」
ということでした。
「こんなことをしたのがバレたらアレをやられてしまうかも」
と考えて、なにか悪いことをするのを思いとどまる・・・
という抑止力としての効果があったか?と考えてみると、
これは「なかった」と言えます。
アレをやられることはなんとしても避けたかったけれど、
「悪事がバレないように考える」とか
「うまい言い訳を考える」とかいうことはあっても、
「罰が怖いからやめておこう、いい子になろう」
とはあまり思ってなかった。
カツオみたいな思考でしたね。
父が「尻を叩く」という体罰を選んでいたのには理由があったらしく、
「頭や腹と違って、尻なら致命的なダメージになることはないから」
ということをオトナになってからききました。
いやいやいや、そんなことないだろ・・・
という気もしますが、父なりに気をつかいながら体罰を加えていたんだということはわかります。
いま家庭内で子どもをひっぱたいている親の多くは、
このように一応子どものことを気にかけつつ、
しつけのつもりでやっているんだろうと思います。
しかし、「しつけ」のつもりでやっている体罰も、
今回の改正案が通れば法的に禁止となります。
私は「しつけ」を否定するものではありませんし、
こんなクソガキはひっぱたきゃあいいんだよ、と思うこともあります。
しかし、体罰を法律で禁止するのは歓迎すべき流れだと思っています。
なぜなら、亡父が(たぶん)私のことを思って愛をこめてやっていた(つもり)の体罰は、
はっきりいって私にとってはマイナスにしかならなかったから。
小学校で受けた体罰の思い出
昭和50年代に過ごした小中学生時代。
思い返してみると、体罰を行使する教師が非常に多かった。
この時代はどこでもそうだったでしょう。
そんなだったから昭和50年代後半には校内暴力の嵐が吹き荒れたんじゃないでしょうか。
私を受け持った教師たちのことを思い起こすと、
小学校1年の担任→体罰しない。温厚そのもの。
2年生の担任→女性。後述するがヒドイ教師。私の小学校生活を暗黒にした。
3・4年の担任→叩かれた覚えはないのでたぶん体罰しなかったと思う。
5・6年の担任→女性。温厚で美人だったがここぞというときにはビンタ。
中学1年の担任→言葉遣いがチンピラ風。ビンタされたり耳を引っ張られたりした。
中2の担任→体罰しない。温厚だがイヤミをネチっと言う。
中3の担任→体罰は少ないがやたらとデカい声で威圧する。
中学校の部活の顧問→なにかというとひっぱたく。ひっぱたかれると身体が吹っ飛ぶくらいの勢いでやる。いまなら間違いなく大問題になるレベル。
・・といった感じでした。
半分くらいの教師は体罰を行使していた感じですね。
当時はそれが当たり前な雰囲気だったし、
先輩教師から「体罰はやるべきだ」と教育されてやっていた教師もきっといたでしょうね。
もしくは、教師自身が児童生徒時代にやられていたから「体罰をやるのが当たり前」と考えていたか。
で、
なかでもひどかったのは小学2年生のときの担任。
私の同級生がもしこれを読んでたら身バレの危機ですが、
まあ大昔のことですから大丈夫だろうということで思い切って書いてみます。
思い出すと胸が苦しくなってくるのでほんとうは書きたくない。これがいわゆるトラウマというやつか。
子どものころの私は他の子と比べてダメダメなところが多くて(今も同じか)、
たとえばちょうちょ結びは小3になるまでできなかったり、着替えるのが異常に遅かったり。
忘れものばっかりするし、
先生に言われたことは全然できないし、
とにかく手がかかる子だったので(今なら「発達障害?」と言われたかも)、
小2のときの担任(S先生としておきます)はイライラしてたようで、
私にはものすごくつらく当たっていました。
で、なぜだったのか自分でも覚えてないんですが、
私は給食で出たパンをよく残し、
なぜかそれを机の中に入れ(たぶん持って帰るつもりだったんだと思う)、
それをそのまま忘れ、机の中にパンがたまっていく・・・
というおかしな行動をとっていたんです。
S先生はカピカピになったパンがいくつもある私の机の中をみて激怒、
何度も何度も怒られましたが私はどうしてもきちんとすることができず、
業を煮やしたS先生はすんごい策を打ち出してきました。
それは、「机を没収する」という罰を与えること。
机がなくなった私は、
つめたい地べたに直で座って、
椅子の上に教科書だのノートだのをのせて授業を受け、給食をのせて食べた。
これは誇張でもなんでもなくほんとうの話。
いくらだらしのない子だったとしても、7歳の児童にここまでやりますか・・・。
S先生、私は今でも覚えていますよ。
あの屈辱は一生忘れられません。
いまご存命かどうか知りませんが心の底から地獄に落ちてほしいと思ってます。
これは厳密には体罰ではないでしょうが、
教師によるイジメと言えますよね。
ちょうど席が教室の廊下側の扉付近だったため、
廊下を歩くほかの児童や先生からも奇異な目で見られた。
ほかの教師たちは
「S先生、あれはやりすぎでは・・」という話にはならなかったのか。
これが何日間か続きましたが、
私のだらしなさは結局治らなかった
(大きくなるにつれ普通になっていった)
わけで、そんな虐待まがいの罰を与えても教育的な成果はまったくなかったのです。
子どもが最後に頼るのは親、のはずなのに・・・
私はいまでもS先生を恨んでいますが、
当時は「きちんとできない自分が悪い」と思っていました。
だから、担任からこのヒドイ仕打ちを受けても、
父や母に「先生にこんなヒドイことをされた」
と訴えることができなかったのです。
もし言えば、
(当時は教師の権威が強かったので)
「それだけの悪いことをオマエがやったからだろ」と言われるのが目に見えていたし、
ひょっとすると
「なんで先生の言うことをきちんときけないんだ」
と父が怒り、ベルトで尻を叩かれるかもしれない・・・
と思うと、学校でヘマをやらかしたことを言うことはできなかったのです。
このあとしばらくはS先生のカオもみるのが嫌で、
「学校に行きたくない」と何度も言いかけましたが、
そんなことを言えば私が学校での失態がバレる・・・
と思うと親に言うことはできませんでした。
これが先ほど言った、
父の体罰が私に与えたマイナスの影響です。
つまり、学校でなにか困ったことが起こったとしても、
それを訴えれば「お前が悪いんだろ」と言われるんじゃないか、
そして体罰を加えられるのではないか・・・
と思うと怖くて言えない、相談できない、ということになってしまったのです。
こうして私は父や母に学校のことなどはあまり話さない子になりました。
基本的には学校ではヘマばっかりやってましたから、
褒められるようなことはないし、
なにか言えば「ダメな奴だ」と思われるのが嫌だったし、
ヘタすれば怒られる、ひっぱたかれるかも・・・という恐怖もあるし。
学校など外の世界で困った事態が起こったら、
最後に子どもがすがれるのは親しかないはずなのに、
その親が体罰で子どもに恐怖を与えちゃってる・・・のでは、
子どもはどうすればいいの?という話になるでしょう。
そう考えれば、教師の体罰はダメだけど親はOK、というのは徹底的におかしい話・・・
ではないでしょうか。
今回の「親から子へのしつけとしての体罰も禁止」というのは、
本来は法で縛るのはおかしい話だとしても、
虐待が社会問題化している現状ではいたしかたのないことだと思います。
まあ、私自身は独身で子育ての経験がないので、
親や教師という立場にいる方には
「それは違うだろ。体罰ゼロには弊害もある」という方もたくさんいるでしょうね。
このへんは今後国民的な議論が沸き起こるべきでしょう。