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2016大相撲九州場所の感想。

遅くなりましたが、大相撲九州場所について。

意外?な鶴竜のダントツ優勝で幕を閉じました。

豪栄道の綱とりはならず、

個人的にはとっても残念でしたが、

いろいろ考えたことがあったので書いておきます。

豪栄道のコメントと、白鵬の言い訳が対照的で面白かった

豪栄道の綱とりは振り出しに。

いつだったか忘れましたが、負けた日のコメントで、

「弱いから負けました」と言っていました。

言い訳をしないという彼の信念があらわれていますね。

 

対して、白鵬。

稀勢の里戦で負けた日に、

「(休場明けで)勝負勘がまだ足りない」という言い訳。

豪栄道の潔さと比べると、このコメントは

どうとらえても見苦しい言い訳にしか聞こえませんでした。

彼がよく口にする「横綱の責任」という視点で考えるなら、

出た以上は「勝負勘が・・・」とか、「怪我が・・」とか、

そんな言い訳を横綱がしていいわけがない。

 

さらに、通算1000勝を達成したものの、盛り上がっているのは本人だけ

(マスコミも盛り上げようとしていたようだが、ファンにはまったく響きませんでしたね)、

やたら笑顔でインタビューを受けている姿に、ものすごく違和感を感じました、

というか、なにか痛々しささえ感じられました。

たしかに1000勝は偉大な記録だが、ここ最近の自分の行いによって

自分の偉業が色あせてしまっている。

 

解説の舞の海が、豪栄道の土俵上での所作について、

「相撲の神髄を見る思いですね~。懸賞金をもらって腕を振ったりしませんしね」

とか、豪栄道を褒めつつ、モロに白鵬に対してのあてつけのようなことを言っていたのを

聞きましたが、これがファンの正直な気持ちであると、たぶん気が付いてないんでしょうね。

「また舞の海の野郎が・・・」とか、

「モンゴル人だから差別されている」とか考えているようなら、

このまま「記録はすごいが、ただそれだけ」の横綱として終わるでしょう。

今場所の相撲内容も、決してファンが「さすが白鵬」と感心するような内容ではなかった。

また平幕相手に立ち合いで変化して、「上手を取りに行った」とか強弁していたし

(誰がどう見ても変化だろ)。

白鵬が態度を改めないなら、八角理事長は、どれだけ白鵬が記録を伸ばそうとも、

絶対に一代年寄をやってはいけない。

どうも八角さんはものわかりがよさそうな感じにみえて、

白鵬が帰化しなくても一代年寄をあげちゃいそうで怖い。

いちおう、理事長就任時には、「帰化しないと認めない」と言っていたと記憶してますが・・・。

稀勢の里の年間最多勝

稀勢の里が年間69勝で、はじめての年間最多勝。

白鵬が年6場所皆勤していたらどうだったか微妙ではありますが、

安定して強い、ということですよね。

 

で、横綱審議委員会の委員長は、

日刊スポーツの記事によると、稀勢の里についてこのように話していたようです。

来年1月の初場所での綱取りの認識については、やや難色を示した。優勝の鶴竜に2差の優勝次点ということもあり、同委員長は「今場所の星は(優勝に)準じているが、優勝争いに絡んでいない。(初場所で)優勝しても個人的には、もろ手を挙げて賛成とはいかない」とした。岡本昭委員も「年間最多勝は大したもの。ただ今場所の数字には感心しない。3敗では横綱に結びつかない」と、綱取り場所の認識を否定した。

 

いやあ、相変わらずのトンチンカンな談話で、もう悲しくなってきます。

「優勝争いに絡んでない」と言っても、優勝した鶴竜に唯一勝ったのは稀勢の里。

さらに、鶴竜と2差だからダメと言うが、仮に鶴竜が3敗で、

稀勢の里が同じ3敗で決定戦で負けてたとかいう場合はどうなのか。

その場合は「優勝争いに絡んだから来場所は綱とり」とか言うんでしょうか。同じ星勘定なのに!

そう考えれば、優勝優勝、とこだわるアホらしさがわかると思うんですが・・。

 

どうしてこう、1場所や2場所という短いスパンでの星勘定や、

優勝したかどうかとかいうことしか考えないのか。

この態度や思考は、このブログのパチンコ・パチスロの記事で

よく引き合いに出す、「1日単位の勝ち負けにこだわる人」に似ています。

勝負は時の運、という言葉もある

私はこのブログで、パチンコ・パチスロにおいて1日単位で常勝することは不可能だから、

勝ちと負けを繰り返しつつ長い目で考えてトータルでプラスを目指そう、ということを

ひたすら書いていますが、まわりのパチンカーをみていると、

それが一生理解できなそうな人がたくさんいます。

横審の老人たちの言い分をみていると、こういう人たちと重なってきます。

 

だれかが優勝すれば「強い。立派」といい、

その力士が次の場所で負けがこめば「ふがいない」と言う。

1場所1場所の星勘定でしか考えないところは、

1日単位で勝てば「今日は勝ってよかった~。すげえ面白かった」と言い、

同じ台で負ければ「今日は負けた!チクショウ!あの台はクソつまらねえ」と言う、

そこらじゅうにたくさんいる、短期的な勝ち負けしか見えない

パチンカー、スロッターとそっくりです。

 

パチンコと相撲を一緒にすんな!と言われるでしょう。

それはその通りですが、相撲だって、運に左右される部分はものすごくあるはず。

「足の裏以外が土俵につくか、土俵外に出れば負け」というルールである以上、

どんなに強くてもアクシデントで負けることだってある。

どれだけ体を鍛えていても、人間には鍛えられない部分だってあり、

打ち所が悪くて傷めることだってある。

そう考えれば、長いスパンでみて勝ち星が多い、というのは、

ほんとうに実力がある、という証拠である、と考えるべきだと思うのです。

パチンコ・パチスロも一緒で、初心者でも短いスパンでならたまたま勝ち続けることも

ありますが、5年、6年にわたってトータルで勝ち続けるのは、

ほんものの実力を持っていないと不可能です。

横綱推挙のための内規は抜本的に考え直すべき

「2場所連続優勝か、それに準ずる成績」という、横綱に推挙するための内規は、

絶対に廃止するべきです。

「たまたま」凄い成績になって、なんちゃって横綱が生まれるのを防ぐために、

一時は「2場所連続優勝が絶対条件」みたいになっていたと記憶していますが、

どっちにしろ、(ガチで)2場所連続で優勝するのはまさに神業というべきもので、

こういう内規があるから、八百長が蔓延してしまうのです。

そして、相撲はつまらなくなる。

 

私は、さきほどから言っているように、もっと長いスパンで成績をみるべきだと考えます。

もう、横綱は江戸時代のように「免許」にして、

1年、2年という長いスパンでみて、勝ち星や土俵での態度などを審査し、

そのうえで「横綱を張る資格がある」と認められたら、免許を与える。

勝てなくなったり、白鵬みたいに天狗になっておかしくなっちゃったら、免許をはく奪する。

これでどうか。こうすれば、仮にたまたま負けが込んだり怪我したりしても、

引退勧告などしなくていいし、横綱も地位を守るための八百長などしなくなるのでは。

 

私は、稀勢の里にどうしても横綱になってほしいと思っているわけではありません。

しかし、優勝や、1場所2場所での星勘定にこだわるいまの内規では、

神がかり的な運に恵まれない限り、八百長する力士しか横綱にはなれない。

正直者がバカをみる制度ではないか。

 

だいたい、3敗では横綱に結びつかない、と横審の老人は言っているが、

12勝3敗で連続優勝したらどうするんですかね。

来場所は、新関脇確実の正代と、石浦の筋肉美が見どころか。

来場所は、おそらく関脇まで昇るであろう正代が注目ですね。

これまでは幕内上位では勝ち越せなかったのに、

3枚目の今場所は稀勢の里にも勝ってついに勝ち越し。しかも11勝。

「対戦したい力士は?」と訊かれて、「誰ともあたりたくない」と答えたり、

気が小さいとかネガティヴとか言われていますが、

実力があるのは間違いない。スター性は遠藤に負けますかね。

 

新入幕で10勝を挙げた石浦は、筋肉美に見とれてしまいますね。

横に変わって上手を取りに行ったりとか、兄弟子の白鵬に影響されてるっぽい

ところがありますが、天狗になったりする悪いところはマネしないでほしいものです。

 

豪栄道や稀勢の里が横綱になったら国技館に見に行ってみようかな、とずっと思ってるんですが、

まだまだ先の話になりそうです。

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