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大相撲はひたすら斜陽になるだろう・・平成二十九年夏場所の感想

稀勢の里横綱昇進後の初の東京場所ということで、

安くないお金と多大な時間と労力を払ってまで国技館へ観戦に行った

大相撲夏場所:両国国技館へ行ってきました 大相撲夏場所。

いろいろ残念なことが多かったですが、簡単に感想を書いておきます。

かなりマイナスな気分で書いてますので、読みたくない方はスルーしてください。

相変わらず態度の悪い白鵬の優勝

このブログではたびたびその土俵態度を批判している

ブラック横綱・白鵬が38回目の幕内最高優勝。

相変わらず、優勝してもまったく清々しさを感じませんでした。

 

最も気になったのは、14日目の照ノ富士との対戦。勝てば優勝という一番。

そこまで11連勝していたとはいえ、故障で本来の力が出ない照ノ富士は

力なく寄り切られてしまいました。

そこまではいいが、またしても白鵬のダメ押しが炸裂。

完全に決着がついて二人とも力を抜いたあとで、

どうだといわんばかりに照ノ富士の胸をドン!と突き、

照ノ富士はヨロヨロと土俵下へ落ちてしまいました。

私がチェックしている限りでは、これを問題視している報道は確認してませんが、

これはいいんですかね。本当にいいんですかね。

見る限り、「勢いでやっちゃった」ということは絶対にない。完全に故意。

これがめったにないことならまだ「うれしくてやっちゃった」という言い訳が

通用するかもしれないが、もうしょっちゅうやっているわけです。

これを許すなら、大相撲はただの格闘エンタテインメント

これって、柔道で相手を投げて「一本!」って言われてるのに倒れている相手にケリを入れたり、

ボクシングで相手が戦意喪失していてレフェリーが止めてるのに

さらに殴るようなものじゃないんですかね。

そう考えるととてつもなく見苦しくないですか?

 

そして、若い力士や、相撲をやっている子どもたちはこう思うわけです。

「強ければなんでもアリ」と。

子どもたちはマネをして相手にダメ押しを入れ、指導者に「コラ!」と言われれば

「だって横綱もやってるよ」と反論するでしょう。

自分より立場が下の人間には礼を重んずる必要はないと考える、傲慢な人間に育つでしょう。

そういう影響力がある立場にいるということがわかってないから、ブラック横綱と呼ぶのです。

 

教育の場の相撲と大相撲は違うのでしょうか。

アマレスとプロレスのようなものでしょうか。

この白鵬のふるまいを許すなら、大相撲は武道や伝統文化や神事などではなく、

純粋な格闘技をみせるエンタテインメントである、と認めるのと同じでは。

 

久しぶりに国技館へ行って、取組が終わるごとに決められたやり方で丁寧に土俵を掃き清める

呼び出しの姿をみて、その所作の美しさ、土俵を神聖なものとして扱っている丁寧さに

感じ入ったのです。

しかし、その清められた土俵にあがる力士(しかも横綱)が、

すべてをぶち壊しにする美しくない態度をとる。

それを看過するなら、土俵はただの土で作られたリングであって神聖もへったくれもない、

と認めるのと同じで、大相撲に携わるすべての人々の努力を無駄にすることになると

思うんですけどね。

どうせならエンタテインメントに徹したらどうか

力士の立ち振る舞いや礼儀というものを軽視するなら、

もはやただの格闘エンタテインメントなのだから、

徹底的に客を楽しませることに特化したらどうか。

 

さだやす圭の名作漫画「ああ播磨灘」の播磨灘のように、

入場テーマ曲やコスチュームを使ったりしてもいい

(作中で播磨灘は「相撲はもともと見世物」とハッキリ言ってますね)し、


ああ播磨灘(1) (モーニングコミックス)
WWEみたいにセクシーな女性を土俵に上げて力士同士が争うとか

(もはや女人禁制などという伝統はどうでもいいでしょう。横綱があれでも問題にならないんだから)。

協会主導で誰をどのようなシナリオで優勝させるかを決めて盛り上げるとか、

遠藤みたいなイケメンを横綱にするとか、

ヒール役を決めて凶器をまわしに隠させるとか、

昔の女子プロレスの阿部四郎みたいな悪徳行司をつくってヒール力士軍団と結託させるとか、

部屋間での抗争があって花道ではたまに乱闘が起こるとか、いくらでもやりようはある。

 

もちろん冗談ですけど、礼儀や格式を無視するなら、

そういうプロレスとなにも変わらないじゃないか、ということが言いたいのです。

ファンとしては、力士が自分の利益のためだけにつまらない相撲をとるのを見るくらいなら、

WWEみたいなののほうがまだお金を払う価値がある。

 

そうなったら当然、公益財団法人という立場は放棄しなければならないけれども、

横綱があれで許されるなら、相撲協会は利益を追い求めるただの企業みたいなものでしょう。

公益財団法人として認められるためには、

「学術・技芸・慈善その他の公益に関する事業」として認められる23の公益的事業、を

行っている必要があります。そのうちのひとつに

教育、スポーツ等を通じて国民の心身の健全な発達に寄与し、又は豊かな人間性を涵養することを目的とする事業

というのがあるので、それを相撲協会はやっている、ということになっているわけです。

しかし、八百長や賭博や薬物が騒がれたり、悪影響をまき散らす横綱がいたりする状態で、

法人税が免除になる公益財団法人である資格があるのでしょうか。

 

先に出した漫画「ああ播磨灘」は、「伝統」という固定観念に凝り固まった

協会や力士たちと対決し、それをぶち壊す播磨灘の破天荒さが痛快なわけですが、

白鵬も、もっといい方向で伝統を壊してほしいと思うのです。

特にカッコ良くもない自分流アレンジの土俵入りとか懸賞の受け取り方とか、

自分の利益のために「帰化しなくても年寄にしろ」と主張したりとか、

勝負がついたあとのダメ押しとか、そんなことで伝統を破らなくてもよい。

気の毒に思えてきた

力士は皆、血を吐くような稽古に耐えつつ、

まじめに努力をしているわけで、白鵬ももちろんそうでしょう。

そういう力士たちが命を削りながらぶつかり合う勝負をみられるからこそ、

私もお金を払って国技館まで観戦に行ったりするのです。

 

それだけの努力をした末に最高位まで上り詰め、

十二分な実績を残したにもかかわらず、

「態度が悪い」などと言われ、負けたら「万歳」などされてしまうのは

気の毒なことだと思います。まあ、身から出たサビなわけですが。

 

念のために言っておくと私は別に最初からアンチ白鵬だったわけではないです。

朝青龍がいたころの白鵬は、

(それがポーズだったのなら残念ですが)まさに相撲道を追求するカッコいい横綱だった

(ように見えた)。私も心底「歴史に残る名横綱」になることを願って応援していました。

しかし朝青龍という反面教師、もしくはストッパーがいなくなり、

帰化の問題もあっておかしくなってしまったので、

「メッキがはがれた」ようにみえるから、ますます見苦しく感じ、

ガッカリしてしまうのです。

 

猛烈に好きだった異性になにかの契機で幻滅すると、

好きじゃなくなるというよりも大嫌い、顔も見たくない、と言う気持ちになったりしませんか?

そういう気持ちを白鵬に抱くわけです。

力士も育つ環境と教育が重要なんだなと痛感

14日目の、優勝を決めた取組のあとのインタビューでは、ケガのことを訊かれ、

「ケガの痛みは自分しかわかりませんから」と言っていました。

これも意味がわからない。

普通に聞くと、

「あんたがたにはわからないだろうが、俺はとてつもない苦しみに耐えてこれだけの結果を残したんだよ」

とアピールしているようにしか聞こえないんですけどね。

実際苦しい中をがんばったんでしょうが、

そういうことをいちいち言うのはみっともない、という日本人の精神性が、

どうもこの人には理解できないらしい。

それで批判されると、

「もっと相撲を勉強してください」

「モンゴル人だから差別される」

と言い出すわけで、今回の照ノ富士へのダメ押しを誰も指摘しないのは、

「もうなにを言ってもダメだ」と思われているからなのかもしれません。

 

アマチュアなら「苦しかったけど、これだけ頑張りました!」と言ってもいいが、

プロがそれを言いますかね?

イチローやクリスチアーノ・ロナウドが尊敬されるのは、

誰よりも努力しているのをいちいち言わないからでしょう。

 

力士は基本的に社会的な経験がゼロか圧倒的に少ないし、

なによりも若いので、そういうことは他人から教えられないとわからないことが多いと思うのです。

ガキのうちに出世し、意見してくれる人が少なくなるとテングになってしまう。

いまの自民党と同じですね。自民党の場合は老人たちなだけに余計にタチが悪いけど。

白鵬も残念ながらそうなってしまった。

 

白鵬が相撲をただのスポーツ、格闘技、なんだろうと勝てばOKと考えていることは、

「勝つことが品格」という発言とか、「優勝回数がモチベーション」とかいう発言からも

明らかで、これはひとえに師匠、協会幹部、横綱審議委員会の責任だ、といえるでしょう。

 

いくら相撲が強かろうが別の視点で考えればただの世間知らずの若造、

しかも外国人で、こどものときにどんな育てられ方をしたのか、

日本人にはまったく想像できない部分もある。

そう考えるなら、相撲が強くなることと同じくらい、

「教育」ということが重要なのではないか。

相撲教習所と、部屋での指導だけでは不十分、ということは明らかでしょう。

 

いや、親方たちの指導力の問題なのかな。

境川部屋の力士たちは例外なく男らしく清々しく正々堂々とした取り口、

土俵態度をみせてくれますもんね。

故先代鳴戸親方に指導された稀勢の里や高安、若の里(現西岩親方)とかもそう。

 

そう考えると、白鵬は師匠に恵まれなかったためにああなった、と言えるかもしれない。

朝青龍も同じですね。一般の社会なら、20~30歳などただの未熟な若造なわけで、

そこで適切な指導を受けずに、強いからといって神様のようにチヤホヤされれば、

傲岸不遜な人間になるのは無理もないことです。

さようなら大相撲

白鵬の土俵態度を問題にしない審判や協会執行部やマスコミ、

あのダメ押しシーンをみても無邪気に拍手喝采を送る観客の姿をみて、

心の底から「もう大相撲の終焉は近い」と思いました。

ほんとうは「高安大関昇進おめでとう」という気分のいい記事にするつもりだったのに、

白鵬の胸糞悪い相撲がすべてをぶち壊してくれました。

 

とりあえず、高いお金を払ってまで観戦に行ったりする気持ちはもうなくなっちゃいました。

もう大相撲の記事を書くこともないかもしれません。

完全に幻滅しました。

白鵬戦になると急に無気力になる力士が多い(栃煌山とか碧山とか栃ノ心とか)のも、

前からだけどほんとうに嫌。

さようなら大相撲・・・

ということで、こんな気分の悪い記事はもう2度と書かないと決心しつつ終わります。

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