このブログでは高齢者の運転や事故などについてこれまでに何度かとりあげてきました。
私の地域はそこそこ田舎で、高齢者かどうかにかかわらず生活にはクルマが必需品。高齢化率(人口に占める65歳以上の割合)も市の発表によれば約40%と非常に高いので、高齢ドライバーをみかけることはしょっちゅう。そしてなにより、私自身があと14年ほどで「高齢者」となり、「免許返納しろ」とか言われて生活に困ることになる事態はすぐそこまで来ているのもあり、高齢者の運転の問題は私にとっては他人事ではないのです。
まあまともに想像力のある方なら高齢者の問題はすなわち将来の自分の問題と捉えられるはずで、そういう想像力のない人が「高齢者の事故?免許返納しろ!年寄りはどうせやることねえし生産性もないんだから家でおとなしくしてろ!」で片づけちゃうから、いつまでたってもこの問題はただの高齢者いじめで終わってしまう。
その高齢者の運転の問題に対して、それを解決する切り札のひとつとして「自動運転車」の開発を各メーカーが競っている・・・んだと思っていましたが、どうも自動車メーカーは「事故を減らしたい」という動機で自動運転車を開発しているわけではないらしい。実際どうなのかわかりませんが、私にはそういうふうにしか感じられない。
トヨタの自動運転車がパラリンピック選手村で人身事故を起こす
パラリンピック選手村で運行していたトヨタ製の自動運転車(小さいバスみたいなの)が、横断歩道のある交差点で右折時に視覚障害をもつ選手と「接触」したという事故。
→TechCrunch Japan トヨタの自動運転車「e-Palette」が横断歩道を横断しようとしたパラリンピック選手と接触事故、選手は負傷で欠場に
大広告主であるトヨタに忖度してか、マスコミ各社はすんごく小さく報道してて詳細なことがちっとも出てこないせいではっきりしたことが書けないんですけど、選手は気の毒に負傷で欠場したらしい。
これって交通事故としてはかなり悪質じゃないですか?だって被害者がいた場所は横断歩道だったみたいですよ。私も若いときに違反でキップを切られたことがあるけど、横断歩道付近に人がいたら一時停止しなきゃ罰金をとられるっていうくらい、横断歩道ってのはなにがなんでも歩行者優先の場所ですよ。そこで人を轢いたという悪質な事故を、相手がトヨタだからってマスコミ各社は「人身事故」といわずに「接触」と言ってましたね。「稲〇メンバー」とか「山〇メンバー」とか「布〇ギタリスト」を思い出しますねえ。あまりに気持ち悪い。
で、詳細が報じられないので原因がよくわからない。一部報道によると横断歩道手前で「自動で一旦停止」して「オペレーター(2人乗っていたらしい)が安全を確認」してから「ジョイスティック操作で右折を指示」して、「自動運転モードで右折」したときに被害者と「接触」したという。
すると「オペレーターの安全確認が不充分だった」ということになるわけ?後述するようにそれもおかしな話なんですが、トヨタの社長は「そこは死角だったから事故は防げなかった」とぬかしてる。
そして、「パラリンピックの会場で、目が見えないことや耳が聞こえないことへの想像力を働かせられなかった」と言い、対策として「車の接近を知らせるスピーカー音量を2倍にすること」などを検討している、とのこと。
いやいやいや、いろいろおかしいでしょ。テレビのワイドショーのコメンテーターの奴らは、広告主だからって忖度してこれに突っ込むことができないのなら、エラそうになんだかんだ言うのはやめてほしい。菅首相の会見なみに「ちょっと何言ってるかわからない」ってなる発言じゃないですか?
ひょっとして詳細が報じられないのは、いろいろ突っ込まれるのが嫌だからなのかな。だからマスコミには詳しく情報を出さずに、自社のオウンドメディア「トヨタイムズ」で、自分たちに都合のいい説明をするつもりなのかな。朝鮮中央放送みたいなもんか。
「死角」を言い訳にすること自体がおかしいのでは?
先述したように、自動運転車の開発の目的というかそれが実現されたときのメリットのひとつには、高齢者が起こしやすいようなヒューマンエラーの撲滅、っていうのがあると私は思っていたんです。その意味ではこの事故の原因を「死角だったから」って言っちゃうのはおかしいんじゃないかと思うのです。
だって、目が二つ、前にしかない人間と違って、自動運転車だったら目の役目をするカメラなんかいくらでも増やすことができるはずでしょ。「人間の死角だったから」っていう言い訳が出るってのはおかしいでしょう。それとも自動運転車にも死角があるということ? で結局のところそこは人間が補うことになるわけか?そんなんで「レベル4」とか言ってドヤッてるのか。
いやいやいや、それじゃあ人間が運転するのと(安全という意味では)全然変わらないじゃん。ていうか、「経験や常識に基づいて予測する」という能力がコンピューターよりも圧倒的に優れている人間が運転したほうがよっぽど安全では?人間が運転してたら、横断歩道付近に人がいたらとりあえず「警戒」するでしょ。「目が見えない人かもしれない」と思わなかったとしても、「ボケっと歩いてて飛び出してくるかもしれない」とか考えるでしょ。コンピューターはその意味ではバカなんだからそれができなかったんでしょ。
社長が「死角だったから防げなかった」と言ったという報道をみたとき、「ああ、自動車メーカーは『事故を減らすために』という目的で自動運転車を開発しているわけではないんだな」と再認識。人間だと間違ってやっちゃう事故をなくすのが目的でやってるんなら、「死角が・・」なんて言い訳はできないはずなのでは。人間ではなくすことのできない「死角」をテクノロジーでなくそうとしてると思っていたのですが・・どうやら違うらしい。
それに、そのクルマは「レベル4」(操縦の主体は「システム」で、特定条件下ですべての運転タスクをシステムが実行)とされているはずなのに、事故の原因は「オペレーターの安全確認ミス」なの?結局、「レベル4」ってのがただの大言壮語だったってことでしょ。マスコミはトヨタを叩けないから、いわゆる有識者とよばれる人がツイッターとかでこういうのを糾弾してほしい。
それから、この事故によってやはり「自動運転車の判断ミスを人間が補完する」ということの難しさが浮き彫りになった。前から言ってるけど、ふつうに運転するほうがよほど簡単でしょう。ふつうに考えて、「ふだんは手放しでラクチン・・・でもなにかがいきなり起こって緊急事態になったら対応しろ!」なんてことはできませんよ。
この事故だって、人間が運転→死角に人が近づいているのを車載カメラが発見→自動ブレーキで停車、という「人間のエラーをコンピューターが補完する」というシステムのクルマだったなら、ひょっとして事故にはならなかったかもしれない。やはり自動運転車が目指すべきところは、「人間のミスをテクノロジーで補完」っていう方向を突き詰めることなんじゃないか。
自動車メーカーが「事故防止」ではなく「手放しでラクチン」とかを追究してるからこんなことが起こるんでしょ。優先順位が間違っている。「トヨタイムズ」でいつだったか「社長は交通事故をゼロにしたい」とか言ってるのをみましたが、とてもそんなふうには見えない。
「目が見えないことや耳が聞こえないことへの想像力を働かせられなかった」と言うが・・・
「パラリンピックの会場で、目が見えないことや耳が聞こえないことへの想像力を働かせられなかった」というのも、一見カッコいい言葉に見えますけど、これも聴いた瞬間に「えぇ~?正気で言ってんの?」と思った。
というのは、私にはこの発言は「相手が障害をお持ちの方でなかったなら事故にはならなかった」って言ってるようにしか感じられないから。「見えてるなら、聞こえるならよけれるでしょ?」ってことか。なんでそういうクルマ優先の思考なのだろう。
それは、「接近を知らせるスピーカー音を2倍にする」っていう対策案からも感じられる。スピーカー音で知らせるのはたしかに(聴覚障害をお持ちの場合はともかくとしても)有効な対策になるかもしれないけど、結局のところ音を鳴らして「クルマが来てんだからお前ら避けろ!邪魔すんな!」ってことでしょ。さっきも言ったように横断歩道は絶対歩行者優先の場所なのに。それに、パラリンピック会場でなかったとしても、判断力が備わってない子どもや体がパッと動かない高齢者などが公道にはいくらでもいるわけで、つまりは普段からそういう交通弱者のことについてなにも考えてないということでしょう。一連の発言は私には「クルマが接近してるのに避けられない歩行者のほうに問題がある」というふうにしか聞こえない。
まあ自動車メーカーの経営者に想像力が不足しているのは間違いないところで、そこをちょっとでも自覚したんなら「エライねえ~」とほめてあげるべきなのかも。
しかしそれなら、
「パニクったらアクセルとブレーキを間違えることもあるかもしれない」とか、
「酒飲んで運転するバカもいるかもしれない」
とかいう想像力も不足していることに気付いてほしいものです。
アクセルとブレーキの踏み間違いについては、前から書いているとおりパニックになればたとえ若者でもやってしまうミスであり、ただ単に「高齢者だとその確率がちょっと上がる」というだけ。人間が運転するかぎり、そして隣同士にまったく違う動作をするペダルがあるかぎり、いつか誰かが絶対に起こす事故なわけです。しかし、自動車メーカーはすべてをユーザーのせいにする。
まあユーザーの操作ミスの責任をいちいちかぶるなんてことはできないのはわかる。しかし「想像力」が働けば、「これは誰でもやる可能性がある」「オートマ車の機構自体に問題がある」となるはず。そしたら、オートマ車の機構を新しく考えるのはすぐにはムリだとしても(私はマニュアル車しか乗りません。オートマは怖いから)少なくとも踏み間違い防止装置をつけるカネくらいはメーカーで出しましょう、って考えると思うんですよ。しかしそれをやらない。踏み間違い防止装置をつけるなら自費でどうぞ、国が税金から補助してくれます・・・でいいと思ってる。私が経営者なら、自社の製品でペダルの踏み間違いなどという誰でもやりそうな些細なミスで人が死んでるとなったら、毎日眠れませんけどねえ。そういう感性は自動車メーカーのトップにはないんでしょうねえ。だから銭ゲバ外国人でも務まったんだなあ。
踏み間違いで悲惨な事故が起こると、みんな「こんなことは二度とあってはならない」とか、「高齢者は危ないから運転すんな!」って言いますけど、それだけでは事故は絶対にまた起こりますよ。だって、人間ならだれでもやる可能性はあるんだから。オートマ車の機構はそういう危険なものであるとわかっていながら、そこを知らないふりして売ってるメーカーの姿勢、不作為を問題にするべきです。毎年何兆円も儲かっているんだから、すでに売った車も含めてすべての車に踏み間違い防止装置をつけてあげるカネくらいはあるでしょ。
飲酒運転の問題。これはたしかに、飲酒運転するほうが100%悪いだろ、という話かもしれない。しかし「想像力」が働けば、「世の中には一定数、常識では考えられないような愚かなことをしちゃう人が必ず存在する」ということがわかるし、ちょっと缶ビール1個だけだったから飲んだこと自体を忘れて運転しちゃう人や、これくらい大丈夫、と思っちゃう人も必ずいる、ということがわかるはず。
先日の千葉県八街市での悲惨な事故でもわかるように、そういうバカは世の中からいなくなることはない。飲酒運転を根絶する方法は、やはり「酒飲んだ奴では動かない」クルマにするのが一番であり、そんなことは自動車メーカーがその気になればいくらでもできるはずなのです。すでに「アルコールを検知したらエンジンがかからない」なんて技術はあるんだから。メーカーがおカネ使ってそれを全車につけてれば八街の事故は起こらなかった。
しかしそれをやらない。トヨタは「ウーヴンシティ」だのなんだのと、そんなどうでもいいようなことに使うカネがあるなら、事故防止のためにもっとカネを使ったらどうなのか。
たしかに酒飲んで運転する奴は論外だけれども、自動車メーカーが手間とカネを惜しまなければ交通事故なんてもっともっと減るでしょ。すでに昭和時代より圧倒的に減ってるとしても。お得意のAIを活用すれば、「煽り運転」なんてことも不可能にできるはず。車間距離が不自然に詰まったら強制的に減速するとか、いくらでもできるでしょそんなの。
と文句はいっぱいありますが、これを機会に自動車メーカーの経営者は「想像力」をもっと働かせて、事故が起こらないクルマづくりに全力を尽くしてほしいものです。手放しでラクチン、なんてクルマいらないよ。それでもし機械がミスってそのミスを人間がカバーできなかったら事故は人間のせい、なんてそんなもん怖くて乗れないよ。そんなことより、人間のミスを完璧にカバーしてくれて事故らないクルマを目指してほしい。そのためには、「カリスマ経営者と呼ばれたい!」というエゴが丸出しで、ユーザーの命など二の次という経営者を取り換えることが必要でしょうねえ。