このブログでも何度か皇室について話題にしています
が、ついに今上天皇が平成31年4月30日に退位することが決定したそうです。
天皇陛下といえども人間・・加齢による衰えは避けられない、
ということで、退位されることが実現したことについては
私も歓迎していますが、
それだけで終わり、でいいのか、という気がしなくもないです。
天皇陛下を人間として扱うのなら・・・
いうまでもなく現在の日本国憲法では
天皇は「日本国と日本国民『統合』の象徴」であり、
世襲によって受け継がれ、
国政に関する権能を有しない・・と規定されています
(日本国憲法第1章)。
そして、「皇室典範」をはじめさまざまな法律により、
天皇陛下やその親族について取り決めがされています。
国が生活費等を出すかわりに、財産を好き勝手に処分したり贈与したりできない。
信教の自由はない。
勝手に結婚したりできない。
職業を選べない。
外出するときは護衛がつき、好き勝手に行動できない。
選挙権もない・・・
ということで、つまり人間扱いされていない、
というか、ふつうの人間とは違う、とされている。
でも、今回の退位は、ただの「象徴」であって人間ではない(はず)の天皇陛下が、
「トシだから引退させてくれ」と人間みたいなことを言い出し、
国民も「天皇陛下だって人間なんだから」と思ってその退位を支持した。
結果としてはいいと思うんだけれども、
これはものすごい矛盾をはらんだことではないでしょうか。
天皇陛下を人間として扱い、
人道的な見地から生前退位を認めたというのならば、
天皇と皇族に関する取扱いも改めなければならないのでは・・・。
天皇と皇族は、国に徹底的に利用されるだけの存在では
欧州諸国の王室の場合、政治に干渉しない立場であることは
日本の天皇と同じですが、人間的な自由はかなり認められていますよね。
しかし、スペインの前国王フアン・カルロス1世みたいに
ぜいたくな生活ぶりが国民から批判されたりする人もいるわけで、
そういう意味では、日本の皇室の場合はその権威を保つために、国民からの支持を維持するために、
がんじがらめに縛っているのでは、と考えられる。
考えてみれば、日本の為政者は太古から
天照大神の子孫とされる天皇の権威を自分のために利用しましたよね。
自分は神の子孫たる天皇に認められた・・
だから自分には為政者たる資格がある、というわけです。
現代においても、形式上は総理大臣は天皇陛下から任命されるし、
外交においては天皇の権威は非常に重要なものだし、
なにか災害が起きたりすれば、総理大臣が現地に行くよりも
天皇陛下が行ったほうがいろんな意味で絶大な効果を発揮します。
このように、皇室の権威を保つことは
(為政者、権力者にとっては)重要なことであり、
だから亡くなれば百億円もかけて葬儀をやるし、
新天皇が即位すればまた莫大な費用をかけて
即位の礼や大嘗祭を行う。
それはそれで国家のためには必要なことなのだろうから否定しないけれども、
結局は天皇と皇族は
国民や為政者に利用されるだけの存在であって、
そのために人間扱いを許されずに生活している、
ということは言えるんじゃないでしょうか。
それなのにいまさら
「天皇陛下も人間だから・・」というのは
矛盾以外のなにものでもないのでは。
この矛盾を解消するためには、
その場しのぎの特例法による生前退位とかいう
姑息なことだけではなく、
もっと全般にわたって天皇と皇族の在り方について
変えなければならないはず。
人間として扱うんなら欧州の王室なみに人間らしく生きられる制度にするべきだし、
そうでないのなら生前退位など認めるべきではなかった。
悠仁さまをみていると切なくなる
現時点で、皇位継承順位は
①徳仁親王(皇太子)
②秋篠宮文仁親王
で、それに続く3位は、秋篠宮文仁親王の第一男子、現在11歳の悠仁親王。
今後、「このままでは男系が絶えるから、天皇に側室をあてがおう」
とかいう動きが実現しないかぎり(2万パーセントありえないけれど)、
この順位は動きませんね。
女系、女性の天皇を容認することもいまのところありそうにないので、
そうすると将来悠仁さまが天皇になる確率はかなり高い。
生まれながらにして国の「象徴」として一生を終えることが
確定しているというのはどんな気持ちなのか。
徳川家光は「自分は生まれながらにして将軍である」と大名たちに向かって言ったらしいけれど、
将軍様は絶大な権力を手に入れるわけで、それは不幸でもなんでもない。
しかし、生まれながらに天皇になることが確定、
っていうのは、少なくとも私に言わせれば
なんという過酷な運命なのか、としか言いようがない。
彼ももう11歳。どんな教育をされているのか知りませんが、
自分がそういう身の上に生まれたということはもうわかっているんでしょうか。
学校で「将来なりたいもの、やりたい職業」の作文を書け、
と言われたりしたら、彼はどんな希望を書くのでしょうか。
まわりの同級生が
(お茶の水女子大付属小のような名門の子の考えは私のような人間には想像できませんが)
「政治家」だの「サッカー選手」だの「学者」だの書くなかで、
彼の場合はどんな職業を希望するにしろ、
その願いは絶対にかなえられることはない。
まあ、学者っぽいことはできるかもしれないけれども、
彼の将来の職業はすでに国によって強制されることになっており、
それは彼がどれだけ努力しようとも変えることはできない。
職業だけでなく、趣味も制限されるでしょう。
趣味は絵を書くとか短歌を詠むとかバイオリンを弾くとか植物の研究とかでなければならず、
パチンコをしたりとかクラブで飲んだりとかフーゾクで遊んだりとか
デスメタルバンドを組んだりとかいうことは絶対にできない。
まあ、そういう疑問をもたないように教育されるんでしょうが、
フランスの絶対王政時代ならともかく、
下々のことをまったく知らずに生きるのは現代ではムリですから、
必ず「なぜ自分は皇室に生まれてしまったんだ!」
と考えるときがあるでしょう。
そして、その境遇を変えることは絶対不可能であると知ったときの
苦しみは想像を絶するものがあるのではないか。
生まれたときからある意味での国家公務員になること(しかも死ぬまで)が決まっていて、
それを拒否することは許されない・・・
天皇や皇族を「人間」として扱うのなら、
これほど理不尽、残酷なことはないでしょう。
私は、報道などで悠仁さまをみるにつけ、
上に書いたようなことを想像し、切ない気分になります。
やんごとなき人々はこんな気持ちにはならないのでしょうか。
いや、そんなはずはない、少なくとも雅子さまは悩んだはずです。
天皇陛下や皇太子殿下もそれを経験したんでしょうから、
ぜひともそういう話を聞いてみたいものですが、
それを国民に語ることすら彼らには許されないのです。
麻生や安倍や小泉は世襲のおかげで富や権力を手に入れることができ、
しかも別の道を選ぼうと思えばそれも自由。
誰だかの世襲議員が「国会議員はとっても忙しく大変」みたいな話をしてるのを
どこかでみた記憶がありますが、それは自分で選んだ道であり、
富と権力を手にするのだから忙しいのは当たり前、
不眠不休で働くのが当然だろ、というものです。
しかし、皇室に生まれた場合は富はそこそこあっても自由にできず、
権力どころか人権もゼロ、別の道を選ぶことはできない。
それでいて、国のために滅私奉公することを強要されるんですから、
これほど理不尽なことがあるでしょうか。
マスコミは、再来年のゴールデンウィークは超大型連休になるかも、とかいう
能天気な報道を垂れ流していますが、
これをきっかけに皇室の在り方の理不尽さ、矛盾を解消するための
国民的な議論を喚起するべきじゃあないでしょうか。