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「宝くじ」という超高射幸性ギャンブル

「年末ジャンボ宝くじ」が販売中ですね。

宝くじ公式サイト

1等・前後賞を合わせると10億円、だそうです。

 

10億ですよ10億。

サラリーマンのくせに「報酬20億くらいはもらうべきだと思った」とかぬかしてる銭ゲバ外国人経営者みたいな勘違い野郎からすればたいしたことない額でしょうが、一般の金銭感覚の人からみれば途方もない金額ですね。バカなの?としか言いようがない。1千万円でも一般庶民の人生をひっくり返すには充分なんだから、1等と前後賞で1千万円にして、当選確率を100倍にすりゃあいいのに。

今回は、「宝くじ」というギャンブル(宝くじは「ギャンブル」です。これは疑いようがない)について。

宝くじで勝つには?とかいう話ではないです。ただ思ってることをズラズラ書くだけ。

射幸性の高さでは最強のギャンブル

パチンコ・パチスロの世界において「射幸性の高さ」「射幸心を煽る」ということが問題にされて久しいですね。

たしかにパチンコ・パチスロで一攫千金を目指して無謀な勝負をし続け身の破滅を招いた人はたくさんいたでしょう。

 

しかし、パチンコ・パチスロ史上最も射幸性の高かった時代を考えても、1日に得られる勝ち金額はまさに宝くじの1等を当てるくらいの薄いところを引いたとしてもせいぜい数十万円。

これを考えると、パチンコ・パチスロの射幸性などは実はそんなにたいしたことないとわかります。

パチンコ・パチスロでは(違法な店でない限り)1日にBETできる金額もたかが知れていて、競馬や競輪のように何百万円もBETすることはできず、それが一気に数十倍、数百倍になったりすることもない。

 

競馬や競輪などの公営ギャンブルは、ぱちんこでは不可能な数百倍、数千倍という配当がありえるわけで、どっちのほうがが射幸心を煽りまくっているギャンブルかは明らか。ぱちんこの射幸性を問題にすること自体ナンセンスそのもの。

 

その競馬や競輪よりもさらに射幸心を煽りまくりの、最強の射幸性をもったギャンブルが「宝くじ」。

競馬や競輪で一撃で億単位を得るというのはそれなりの巨額のBETをしないとムリだけれども、宝くじの場合は300円からでも(後述するようにその可能性はゼロと同じでも)ありえなくはない。

宝くじは射幸心「だけ」の、まさに「ギャンブル」。なのに・・・

私の亡父は生前、俺はギャンブルが大嫌い、俺は賭け事などしたことがない・・と公言し、学生だった私がぱちんこをしているのを知るとそれはもうすごいケンマクで怒っていました。

まあ、ぱちんこをおぼえてさえいなければこんなダメ人間になることは回避できたかもしれないわけで、親の言うことはきいておくべきだった・・・とも思うんですけど、賭け事は大嫌いだ!とぬかしていた亡父も、「宝くじ」という超高射幸性ギャンブルはきちんとやっていました。

年末ジャンボなどのいわゆるジャンボ宝くじはもちろん、ふだん売られている通常のくじも、宝くじ売り場の前をとおりかかる機会があれば買っちゃう・・という感じ。

私の亡父のように、ぱちんこや競馬や競輪をインモラルなものとして嫌っているくせに宝くじをギャンブルととらえない人はけっこういますね。いわく「宝くじは夢を買うんだからいいんだ」。

・・・ぱちんこで一撃の夢を見るのは全否定するくせに。

たしかに宝くじの場合はぱちんこや競馬などと違って、当てよう、勝とうと思って目を血走らせてのめり込む人はそんなに多くないでしょう。そういった意味で宝くじは健全なもの、ぱちんこなどとは違う、と考えるのでしょうね。

しかし逆に言えば、ぱちんこや競馬は勝とうと思って一生懸命考える、そのプロセスそのものが楽しいので別に勝てなくってもいいよ・・・という人もいるのに対して、宝くじの場合は予想もプロセスもへったくれもないですよね。ぱちんこのように技術を磨くことで勝ちに近づこう、という努力も必要としない。ただ買って、当たったかどうかを新聞やネットで確認するだけ。

「遊技」「知識や技術の介入」という性質がほぼゼロ(そこを改善しようとして番号選択式やサッカーくじなども出てきたわけですが、どっちにしろ完全に運否天賦なのは同じ)の宝くじは、まさに100%まじりっけなしのギャンブル、射幸性「だけ」で成り立っている。そのうえさらにもし万が一巨額当選をしてしまったら人生が一変し、結果的に身を滅ぼすことになりかねないし、しかも後述するように胴元が暴利をむさぼり客側は「絶対に勝てない」ようになっているという、恐ろしいギャンブルです。

 

私の亡父はぱちんこ店の新装開店などに並んでいる人たちをみて、子どもだった私に「あんな大人になっちゃダメだぞ」と言っていましたが(結局「あんな大人」になっちゃったけど)、テレビでジャンボ宝くじの発売初日にイチ早く買おうと思って並ぶ人たちをみても別になんとも思っていなかったようです。

いやいやいや、どっちも同じだろ。ていうか、宝くじ売り場に並んで何万円分も宝くじを買っちゃう人のほうが(あくまでもひたすら合理的に考えるなら)いろいろ問題なのでは。

射幸心を煽りまくりの広告。宝くじは許されるのに、ぱちんこはダメ。

私は宝くじを否定はしません。当選発表までワクワクできるのが楽しい、と娯楽のつもりで買っている人も多くいるわけで、それはそれでけっこうなことだと思います(と、宝くじを肯定する人であっても、ぱちんこで得られる「ワクワク」は全否定する人が多いというこの矛盾!)。

しかしよく知られているように、宝くじの控除率は50%以上(つまり、100億円の売り上げがあっても払い戻しに使うのは50億円以下ということ)。まさにボッタクリ。ただ紙に印刷したものを売るだけなのに。

これほど濡れ手に粟の商売を官は独占し、(台のメーカーはボッタクリだけど、ホール企業に関しては)薄利でやっているぱちんこ業界にたいしては射幸心を煽るな!と言って不当に圧迫をくわえている。宝くじに比べればぱちんこはめちゃめちゃ良心的なのに。

それでも、「絶対に勝てませんよ、あなたがたが負けた分は自治体がいただきますよ、なので寄付のつもりで買ってください」と正直に宣伝しているのならまだいい。

しかし宝くじの広告は、いかにも「買えば億万長者になれるかも!」みたいな、射幸心煽りまくりのものばかりじゃないか。

ここ数年は少しは意識しているのか、比較的穏健な表現になっているみたいですが、↑のCMだって「10億!10億!」と連呼していますよね。めちゃめちゃ射幸心煽りまくり。ぱちんこ店が「設定6投入します!」と煽ったところで個人レベルでは動くカネはせいぜい十数万円なのに、億単位のカネが得られるかもしれませんよ!と煽っても問題ないというこの矛盾。

ぱちんこで十万負けた!とかいう人がいれば「依存症」とか騒ぐくせに、ジャンボ宝くじを何十万円も買う人がテレビに映っても決して否定的に語られないというこの矛盾!

宝くじに対してそういう批判が一般市民から噴出しないのは、やはり私の亡父のようにイメージだけでものをとらえる人が多いからなんでしょう。ぱちんこはダメ人間がハマるインモラルなギャンブル、宝くじは健全な庶民の夢・・・正気ですか?

射幸心を煽ってはいけない、というのが本気ならば、上の動画の53秒のあたりで一瞬出る「この宝くじの収益金の一部は・・・」という部分こそが強調されるべきであって、「あなたの善意が役に立ちます!・・・しかも、ひょっとするとおカネが当たるかもしれません。」というCMにするべきなのに、言ってることは10億10億10億!だけ。

 

いまもあるのか知らないけれども、週刊誌などにやくみつる氏による「宝くじおめで当選劇場」という短い漫画がよく載っていましたね。

「ついで買い」で当たったとか、「記念日」に買ったら当たったとか、縁起の良い動物をみたときに買ったら当たった、とかいうエピソードを漫画にしたものでした。

これを読むといかにも「私も当たるかも・・・」と思っちゃう人もいると思うんですけど、はっきりいってこれは「パチンコドンキホーテ」の谷〇ひとし氏の書いてるデタラメ漫画とたいして変わらないですよね(やくみつる氏を批判したり、〇村ひとし氏と同列に扱うつもりはまったくありません。念のため)。

もちろん宝くじ漫画のエピソードはほんとうにあったことなのかもしれないけれど、勝てないものをまったく根拠のない話を並べ立てていかにも勝てそうに思わせる、という点では同じ。その意味では害悪しかないというべきでしょう。

一攫千金の確率は「ゼロと同じ」

私は亡父が宝くじを買っているのをみて、「絶対に当たんないから!もったいないからやめなよ。そのカネでうまいものでも食ったほうがいいよ!」といつも言っていましたが、かえってくる言葉はいつもこうでした。

「買わなきゃあ当たらないだろ。買えば可能性はゼロじゃない」。

これは宝くじファンみんなが言うことですね。確率は低いけれどもゼロじゃない。買わなきゃ絶対に当たらないが、買えばひょっとして・・・というわけです。

いやいやいや、ゼロと同じだから。ジャンボ宝くじの1等当選の確率は1/1000万、らしいですが、こんなものは「ゼロ」と同じです。3万円もはたいて100枚買ったところで1/10万。それでも「ゼロ」と同じです。

 

パチスロ「ミリオンゴッド」シリーズのGOD揃い確率は1/8192ですけど、この程度の確率であっても何万回の試行を経ても引けない、ということはザラにあるわけですよ。なのに、1/1000万などという確率をたったの100枚(つまり、100回の試行)で「ひょっとして当たるかもしれない。可能性はゼロじゃない」と考えてしまう、これこそ「射幸心」のなせる業じゃないでしょうか。ゼロですゼロ。絶対に当たらない、と言ってもいいくらい。

そこを理解したうえで、寄付のつもりで発売初日に「よく当たる売り場」に並んで宝くじを買うのならそれでいいけれど、当たるかも!という射幸心にとらわれ宝くじを何十万円も買うようなことは結局は勝てないぱちんこにアツくなって何十万円も突っ込むこととなんら変わりないのでは。私の亡父の遺品を整理したときに大量のハズレくじが出てきたんですけど、「人のパチンコを批判してたくせに自分はこんなムダづかいしてたのかよ・・・」と思ったものです。

宝くじを買うなら・・・

さきほども言ったとおり私は宝くじを否定するものではありませんが、宝くじを買うならば「絶対に当たらない、勝てない」ということを理解したうえで、寄付するつもりで買うべきでしょう。

「絶対に勝てない」と思われては困るからあの手この手で「当たるかもしれませんよ!」と誘惑する、官の狡猾さを知りつつ買うべきです。

ぱちんこ店は絶対に勝てないのでは客が来なくなっちゃうから適当に勝てる台も用意されているけれども、宝くじはそうではない。なんてあくどいんでしょう。ぱちんこのほうがよほど良心的。

なので買うなら、捨てても惜しくない金額、募金しても惜しくない金額で買うのがいいんじゃないでしょうか。

一攫千金の可能性はゼロと同じ、といってもそれはあくまで「ゼロとほぼ同じ」ということであって天文学的に小さい可能性であってももし万が一当たれば人生をひっくりかえす破壊力があるので、その可能性を夢見て楽しみたい・・のであれば1枚とか2枚買うのがいいのでは(確率1/1000万も1/10万も「ほぼゼロ」という意味では同じですから、一般庶民が100枚も200枚も買うべきではない。そう考えれば1枚でも充分)。

年5回のジャンボ宝くじを毎回1枚づつ買えば、年に1,500円。これくらいならまあ、「夢を買う」価格としては妥当じゃないでしょうか。控除率が50%以上という超ボッタクリシステムのもとでは、買えば買うほど損する、というのは必然、しかもほかのギャンブルと違って勝つ可能性をたかめる方法が存在しない・・となれば、これくらいにしておいたほうがいいのでは、と思います。

 

と、宝くじについて思うことを書いてみました。

否定的なことばかりを書きましたが、ギャンブルもあらゆる娯楽も数学的な合理性ばかりを追い求めていると面白くもなんともないわけで、絶対に負けるギャンブルであってもそれが楽しいのならそれでいいと思います。私も1枚だけ買ってみようかな。

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