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認知症になっても最期まで忘れないことはいったい何だろうか

特別養護老人ホームにいる私の母は、

ここのところとくに変わりなく、

わりと平穏に暮らしているようにみえます。

水頭症の手術をする前は魚の死んだような目つきで、

こちらがどう呼びかけてもいっさい反応しない状況だったのですが、

認知症の母:「正常圧水頭症」と診断される

認知症の母:水頭症の手術後

いまは笑顔も出たりなにかわけのわからないことを発語したりします。

呼びかければ反応するんですけど、

私が「おかあさん!」と呼んでもまったく反応しません。

反応するのは「○○さん!」と名前で呼んだときのみです。

自分の名前だけは忘れてないし理解する

私が息子であることや自分が母親であること、

もしくは孫を目の前にしてもそれが孫であることなども

たぶんわかっていないようで、

親族はそのたびに寂しい気持ち(私はもう慣れたけど)になるのですが、

家族が面会に来ると様子がいつもと違うので、

「なにか自分に関係のある人」だということはわかっているんじゃないか、

と介護職員さんは言います。

 

他人をどこまで認識しているかは結局本人にしかわからないんですけど、

ただひとつはっきりしているのは、

自分が「おかあさん」だったり「おばあちゃん」だったりすることは忘れていても、

自分が「○○」という名前の人間であることははっきり理解している、ということ。

 

私が面会に行って「おかあさん!こんにちは!」

と話しかけてもキョトンとしているのに、

「○○さん!こんにちは!」

と話しかけると

「なんですか」とか「はあい」とか応えたりします。

 

自分がなにものであるかを忘れ、親も夫も子も孫も忘れているのに、

自分の名前だけはおぼえている。

アルツハイマー病における進行段階としては

私の母はもう「末期」といえる段階にさしかかっていると思うのですが、

自分の名前というものは最期まで忘れないものなのでしょうか。

逆に言うと、名前にさえ反応しなくなったらいよいよやばいということなのか。

 

いまとなっては呼びかけに反応してくれるだけでうれしいので、

私も「おかあさん」ではなく名前で呼ぶことが多くなりました。

ものすごく悲しいことですがしょうがない。

いわゆる「キラキラネーム」について思うこと

明治安田生命が2017年の子どもの名前ランキングを発表しました。

このランキングをみていると

(いまの感覚でいえば)それほど変わった名前はないですけど、

いまどきは漢字をみただけではまったく読めない名前とか、

信じられないような名前をつけたりする親もいますね。

いわゆるキラキラネームというやつです。

 

私は地域のローカル新聞を購読していて、

そこには「結婚おめでとう」とか「こんにちは赤ちゃん」とか

あるいはお悔やみがのっています。

田舎で高齢化率が高い地域なのでお悔やみが圧倒的に多いです。

で、その「こんにちは赤ちゃん」という出産のお知らせ欄には赤ちゃんの名前ものるのですが、

たまに信じられないような名前がのってたりします。

それほど凄い名前でなくても、かなりの確率で読めない。

↓これをみていると、漢字自体は普通でも読み方が異常な名前がたくさんありますね。

赤ちゃん名付け 2017年赤ちゃん名づけ総合年間トレンド発表!

 

まあ、私の名前だってたとえば明治時代とかだったらあり得ない名前だと思われるわけで、

時代とともに名前も変わってくるのは当たり前。

だから、いまの時点で珍奇に思われる名前であっても、

数十年後にはありふれた名前になっている可能性もある。

 

しかし・・ここで思うことは、

名前とはその人の生涯を通してその人を呼んだり認識したりするときに使われ、

私の母のように認知症末期になっても忘れない、

そしてもし最期を迎えて旅立ったとしてもお墓に刻まれ、

その人を知っている人が存在する限りは

その名前でその人のことがあらわされる重要なものなわけです。

 

珍奇な名前をつけてしまう親は、

はたしてそこまで考えて命名しているのだろうか・・・

という疑問を感じるんですよね。

名付けた親が死んだあとも子どもはその名前を背負って生きていく、

ということが想像できてないんじゃないのか。

すべてを忘れようとも元気ならいうことない

キラキラネームについてはともかく、

名前を呼ぶと笑顔で反応する母をみると、

少し安心すると同時に、

それすらもできなくなるのはいつだろうか、とか、

ものを食べるとか息をするとか、生存にかかわることまでできなくなる日は

もうすぐ来てしまうんだろうか、とか考えます。

 

いまとなってはなんでもいいからとにかく元気でいてほしい。

 

歩けぬ父とダブルで自宅介護していたころは

私も精神的に崩壊寸前で、

いなくなってくれればどんなに楽か・・・

と考えていたこともあり、

それがいまになって

「とにかく元気でいてほしい」

と言うのはあまりにも勝手、

自分が嫌になりますけど、

偽らざる気持ちです。

 

このままず~っと何事もなく、

母に関してはこのブログではあまり書かない

(認知症については書いていきますけど)

でいられればいいな・・と思っています。

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