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将棋の羽生善治氏と囲碁の井山裕太氏に国民栄誉賞

将棋で永世七冠となった羽生善治氏と

囲碁で2度の七冠を達成した井山裕太氏に、

国民栄誉賞が授与されることが決定したそうです。

羽生善治棋聖と井山裕太十段に国民栄誉賞授与、正式決定

私は囲碁はまったくわからないんですけど

将棋はけっこう好きで、

詰将棋とかたま~にやってみたりします。

5手詰や7手詰が限界ですけどね。あまり難しいとやるの嫌になっちゃう。

その偉業は凄すぎてピンとこないが、注目すべきはそこではないと思う

我が家の近くのショッピングセンターで、

夏休みとか子どもの日とかに「こども将棋大会」みたいなのをやってるんです。

そこには、名前は忘れましたが七段だか八段だかのプロが来ていて、

大会後に指導対局をやっているのを目撃したことがあるんですが、

20人くらい?の小中学生を相手に一人で相手しているんです。

一手指して次、一手指して次と歩きまわりながら指導している。

プロ棋士ってどんだけ凄いんだよ・・・と思ったのですが

(森内俊之十八世名人は「81面指し」、つまり81人と同時にやってましたね)、

そんなすごい人がウジャウジャいる中で

30年近くもトップを張ってきた羽生さんはもう驚異的、まさに天才としかいいようがないですね。

私は国民栄誉賞という制度自体には大いに疑問を持っているのですが、

とにかく称賛されてしかるべき偉業、と言えるでしょう。

井山さんももちろん同様です。

 

しかし、全国民が学ぶべきだな、と思うのはそこではないと思うのです。

学ぶべきは謙虚さ

大相撲の世界に、自分が優勝した場所のインタビューで、

「オレのために万歳しろ」(という意味だとしか思えない)とばかりに

万歳三唱しちゃった横綱がいますね。

さらに彼は、懸賞金を受け取るときにも

「どうだオレの強さは!」と言わんばかりに腕を振り回してガッツポーズする

(あれはどこからどうみてもガッツポーズそのもの)。

すでに勝ちが確定しているのに、格下に対して「俺様に勝とうなんざ10年早い」

とばかりにダメ押しをする。

 

相撲協会評議員のオバ様は、

「相撲は礼に始まり礼で終わるもの」と言うのならば

(よくそんなことが臆面もなく言えるもんだ)、

この自称大横綱に「NHKで将棋を見ろ」と教えるべきです。

 

将棋の対局って、みているだけではどっちが勝ったのか全然わかんないくらい、

勝ったほうはニコリともしないし、

喜びや安堵を表に出しませんよね。

負けたほうがぼそっと小さな声で「負けました」と負けを認める、

その声が聴こえなければ「あれえ・・・どっちが勝ったの?」って

(素人は)なってしまう。

 

負けた人は「まいりました」と頭をさげる。

そして、勝ったほうも頭をさげる。

そして、感想戦(互いに対局をふりかえって感想を述べあったりする)を行い、

勝者は敗者を気遣って「あそこでこう指されていたら負けていました」とか、

敗者は「あのときにこう指すべきでした」とか反省を述べたりする。

お互いの健闘をたたえ、ともに将棋を究めていこうというその姿に、

日本的な奥ゆかしさを感じ、感動すら覚えるわけです。

 

白鵬や朝青龍の土俵態度をみて、

そんな清々しい感動をおぼえたかというと・・・完璧に「否」。

その傲岸不遜さに、ひたすら腹が立つだけです。

なにしろ、「負けを認める」ということすらできず、

審判に手を挙げてダダをこねちゃうんですからね。

 

相撲界も過去は棋士のような奥ゆかしさをみせる力士がたくさんいました。

勝ったところで「あざす。運がよかっただけっす」しか言わないひとが多かった。

それがいまや自己アピールばかりが激しいアンちゃんばっかりになってしまいました。

 

横綱審議委員会は白鵬らに将棋や囲碁の対局をみせ、

「これが日本人が美しいと思う、勝負師の姿なんだよ。」

と教えるべきです。

わずか15歳の藤井聡太四段だって、

勝ってガッツポーズしたりしたら

敗者に対して「礼を失する」ということがわかっていて、

あのように穏やかで真摯な態度を貫いているのに、

30過ぎたオッサン横綱にはそれができない。

それはものすごく恥ずかしいことなんだ、

少なくとも日本人はそう感じるんだ、

と教えるべきです。

それが横綱審議委員会の使命ではないでしょうか。

 

井山さんと羽生さんのコメントも非常に謙虚でカッコいい。

どちらも神がかり的な空前絶後の偉業をとげているのに、

「まだまだです」みたいなことを言っていて、

こういうのを「カッコいい」と言うんだ、ということを

白鵬に教えてやれよ・・という気持ちになります。

白鵬のみならず全国民が学ぶべきなのは

この謙虚さではないでしょうか。

日本人の美徳は消えてゆくのか

とはいうものの、

囲碁・将棋の世界にみるような

日本人的奥ゆかしさは、

いまの日本ではすごい勢いで失われてきているような気がしますね。

 

いかにも欧米的な、

いかに自分を表現したりアピールしたりして他人から高く評価されるか、が大切という風潮。

大きな声でものを言ったもん勝ち、みたいな風潮。

 

白鵬みたいなのはもともと外国人なので、

自己アピールしなきゃあ損、という考え方が

当たり前なんでしょう。

だから、「ケガの痛みは自分しかわかりませんからねえ」みたいに、

自分はケガして苦しい中で頑張ったんだ、とアピールしちゃう。

勝てたのは自分が他人の何倍も努力したからだ、

ということが事実であって自分でもそう思っていても、

自分からは決して言わないのが

日本人の美徳とする謙虚さ、ということが外国人にはどうしても理解できない。

 

その日本人の美徳を体現している貴乃花親方みたいな人は

ベラベラ自己アピール、自己弁護しない。

本来の日本人的な価値観なら

「白鵬カッコ悪い」となるはずが、

いまはさきに言ったような欧米的価値観が蔓延しちゃってるので、

「黙ってる貴乃花親方が悪い」みたいになっちゃう・・のでは。

 

卓球の張本選手の「チョレイ!」もそう。

私に言わせれば、

掛け声を発するのは別にいいけれど

対戦相手に対して礼を失しないくらいの程度というものがあるだろ

・・・という気がします。

失礼だ!と言われるのを承知で言えば、

彼がチョレイ!と叫んで体をくねらせるのをみると、

うちの犬が子犬だったころに

嬉しくて興奮すると暴れまわっておしっこちびっていた姿を思い出します。

 

まあ、彼の両親は中国人で卓球選手、

中国人選手はみんな奇声をあげて喜ぶのがふつうなので、

親が「見苦しいからやめろ」と指導するはずもなく、

今後もアレはやめないでしょう。

卓球もとても品のないスポーツになりましたね。

喜ぶのはいいが、程度の問題。

彼だけじゃないけれど。ほかの日本人選手もけっこうやりますね。

 

「チョレイ!」を「やりすぎ。見苦しい」と評する言説があまり出てこないのが、

日本人は謙虚さ、遠慮深さ、つつましさという美徳を

忘れかけ、勝利至上主義に毒されているという証拠なのでは。

 

さらに言うなら、サッカーでちょっとぶつかると

笑っちゃうほどオーバーに痛がって倒れ、審判にアピールする行為。

あれもいかにも欧米的ですよね。

あれもテクニックのひとつではあるだろうし、

ああしないと本当のファウルが見逃されてしまうというところもあるんでしょうが、

日本人的な感覚からすれば「恥ずかしい」と思うシーンも多々見受けられます。

 

 

ともあれ、羽生さんと井山さんの偉業は

どれだけ称賛しても足りないくらいで、

全国民が最大限の賛辞をおくるべきでしょう。

さらなる活躍を期待したいですね。

そして、勝負の世界に生きるすべての人は、

彼らの超カッコいい謙虚さに学ぶべきだと思います。

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