認知症を患い特別養護老人ホームで暮らしている私の母が一時危篤となり、その後少し持ち直したもののなかなか良くはならない状態で足踏みしている・・・というのを先日書きました。
その後約2か月以上、寝たきりで酸素吸入されつつ飲まず食わず、点滴だけで暮らし、状態が少し良くなった日にはお風呂に入れてもらえたりもして頑張っていましたが先日容態が悪化。静かに息をひきとりました。
前々日までは声かけると目をこっちに向けたり、握った手を握り返したりしていたのが前日にはそれをやらなくなって、その時点で少し予感めいたものがあったので心の準備はできていて、それもあって息をひきとる瞬間にも立ち会うことができました。
認知症と診断されてから十数年、特養へ入ってから7年。一般的にはアルツハイマー型認知症に侵されれば余命は8~10年程度といわれるなかこれだけ長生きできたのは、医師やケアマネージャーさんや施設の職員さんなどたくさんの方々のサポートのおかげです。厚く御礼申し上げます。
葬儀を終えて私もなぜか体調を崩しまして、いまのところ頭が整理できてないこともありなにもやる気が出ない状況なんですが、幸か不幸か私は誰にも縛られない身ですから、ここはしばらくはなにもしなくてもいいからいろいろ考えながら母を追悼するだけの日々を過ごしてもいいかな、と思っています。
もちろんそのあいだ無収入になりますが、母がいなくなったいま、私にカネが入ってこなくても困るのは私ひとりだけになりましたからべつにどうでもいい。そう考えるとますますやる気が出ない。しかしいつまでもそれではいけないのは当然。近日中に活動を本格的に再開するつもりです。
といっても、母の生活費を賄うという義務がなくなった以上、もはや失うものはなにもありませんから、ぱちんこで目先のカネを稼ぐということもそんなに一生懸命やる必要もない。ここはリスクをとってぱちんこにかわる生業を得るためになにかにチャレンジしようと思っているところです。どこかに勤めるということは絶対にありませんけど。母がいなくなったいま、やりたくもないことをしてまでカネを稼ぐという理由はますますなくなりましたから。
とりあえず、カネのことをあまり気にしないで余裕をもって死ぬまでの人生を過ごしたい、というのはあるので、そうなるための活動はしていきたい。すると結局カネに追い回されることになりそうですが、これまでよりは気楽にやれますね。もうカネがなくなって飢え死にすることもそんなに怖くない。どうせいつか死ぬんだから。ただ死に方としてはカネがなくて飢え死にってのはあんまりいいもんじゃないかな。やはりどうせいつか死ぬとしても死に方が問題。じぶんの死に方、人生のたたみ方については今後もっと考えをふかめて書いていきたい。
正直「いなくなってくれたらどれだけ楽か」と思ったこともあったが・・・
とりあえず今はいろんな感情が入り混じってて、ちょっとなんと言ったらいいかよくわからないんですが、母のはげしい物忘れや深夜の不穏や徘徊などで悩まされていたころは正直「死んでくれたら楽になれるだろうになあ」と思ったこともありました。しかしいざほんとうにそうなってみると喪失感のほうが圧倒的に大きい、ということだけははっきりと言えます。
認知症がどんどんすすんでいたころは、いつもいつも「ついに今までできていたあれができなくなった」という失望を味わう日々でしたが、寝たきりになってコミュニケーションも困難になってきたあとは、もうこちらの呼びかけに反応してくれるだけで嬉しい、というふうに。最後はもう生きててくれるだけでいい、となりましたからね。
最後にはそういう気持ちになる、ということがわかっていれば、たかだか夜中にたたき起こされたり勝手に出歩いたりウ〇コをそこらに隠されたり物忘れで何百回も同じこと言われたり、そんな程度のことで怒ったり悲しんだりしなくて済んだかもしれないのに。勝手に歩くのはまだ歩くことができるからできたのであり、〇ンコを隠したり壁に塗ったりできるのは自分で排泄することができたからできた。物忘れで何百回も同じこと言うのは、まだ話ができるからできた。
特養に面会に行くとたまにデカい声でわめく人などに遭遇することがあったんですけど、最近は「元気で何より」というふうにうらやましく思えました。昔なら「うるせえなあ」と思ったかもしれないですけどね。そんな元気があるならそれが暴言であろうがうるさかろうがそれでいいじゃないか。
それに認知症がすすんでいく過程でいちばん苦しかったのは母本人だったはず。当時の私にはそういう視点がまったくなかった。じぶんが壊れていくのを自覚し、そしてそれが治ることは絶対にない、という現実を認識していたら、私ならたかだか物忘れくらいでギャアギャア言われたら「うるせえな!しょうがねえだろ!お前に俺の気持ちがわかるか!」とキレるところですが、私の母はそういうことはまったく言わなかった。抗認知症薬の副作用で怒りっぽくなったことはありましたが、絶望(そういう気持ちになったこともあったはず)を周囲にたたきつけるということはなかった。
そう考えるとやさしくしてあげられなかったことについて後悔がわきあがってきて仕方がないんですが、最初からそんなふうに考えることができれば介護で苦労する人などいない。自分の親がこわれていく現実に向き合うのが精いっぱいになってしまう。
などということを考えながら過ごしているところです。
戦前に生まれ、家族で満州に渡り終戦をむかえ、引き揚げで苛烈な体験をし、高度成長期に結婚、夫と子に尽くし、子が手を離れ孫ができた幸せにつつまれたのちにすぐ認知症となり、ながいことたたかってきた母の人生もついに終わって、思うことは無限にありますがとりあえず「お疲れさまでした」というのが率直な気持ちです。
ブログ開設以来多くの読者の方々から母についてメール等をいただきました。あらためてここに感謝申し上げます。ありがとうございました。
認知症や健康については引き続き関心をもっているところですので、今後もここに書いていきたいと思ってます。これからもよろしくお願いいたします。