よく「ヒキが強い」「ヒキが弱い」「ヒキで勝っている」とかいう言い方をパチンコ・パチスロの世界ではしますよね。
その「ヒキ」「ツキ」について書いてみたいんですが、「ヒキ強」というと私は「魁!男塾」などで有名な宮下あきらの「世紀末博狼伝 サガ」というギャンブルを題材にした漫画の主人公、ギャンブルだけで生きている男「サガ」を思い出します。
amazon.co.jp 世紀末博狼伝サガ 巻1 香港の裏雀士 (ジャンプコミックスデラックス)
漫画ですから現実離れした内容が多いですが、同じ著者のほかの漫画のようなバカバカしさ(それが面白いんだけど)は希薄で、大人でも楽しめる作品だと思います。ていうか、宮下あきらの最高傑作ではないか。
バクチが生業の主人公サガが、麻雀、手本引き、賭けゴルフ、パチンコなどさまざまなギャンブルで、とんでもない技(自由自在にパチンコの大当たりを引くことができる年収3億のパチプロとか)をもつ相手と戦う漫画。
相手側は読みやイカサマや技、駆け引きや特殊な能力で勝ちを引き寄せようとするのに対して、サガは(もちろん読みや技も持っているのですが)最後の最後には「ヒキ」「運」で勝ってしまう。
そこが爽快で面白いわけですが、この漫画をギャンブルをしない人が読んだら、ギャンブルで勝てる人、というのはこういう「ヒキが強い人」「ここぞという時に強運を引き寄せられる人」なのだろうなと思ってしまうでしょうね。
今回は「ヒキ」「ツキ」ということについて考えてみたいと思います。
年収3億パチンカーの言葉
さきに紹介した漫画についてもう少し書きます。
劇中に「CR花満開」(もちろん、あのCR機初期の名機)で、リーチすれば絶対に大当たりさせる能力(技?)をもつ、年収3億のプロパチンカーが登場します。
そのプロパチンカーはこう言っています。
「・・パチンコで金を儲けようとする奴はみんなバカ者だ」
「世の中にギャンブルは星の数ほどあるだろう。だが、パチンコがギャンブルであるならばこれ程客にとって不利な勝負はない」
「何故ならそこに個人の技量や経験が介入する余地がほとんどないからだ」
「現代のパチンコは全てが店という胴元によって最新技術で完全に管理されている」
「たとえ勝ったとしてもそれは自力で勝ったのではなく勝たされただけの事・・・」
「今や十七兆円産業といわれるこの業界に一分のスキもないのだ」
ちなみにこの漫画は20年前の作品です。
個人的には、「技量や経験が介入する余地」は、少ないけれども存在すると考えますが、おおむね、正しいことを言っていると思います。
重要なのは、
「たとえ勝ったとしてもそれは自力で勝ったのではなく勝たされただけの事・・・」という部分です。
パチンコ、パチスロにおいては、基本的には客は店側の手のひらの上で踊るだけです。
パチプロは、店側の「全員が毎日負けると客が来なくなってしまうから、少数の客には勝ってもらおう」という意志、システムにのっかって、「勝たせてもらう客」になることができる、もしくは勝たせてもらう術を知っている、というだけの話なのです。
だから、何度も言いますけど店のルールを守っておとなしくプレイしなければならないのです
今回はそこは本題ではないので突っ込みませんが、このプロパチンカーもサガの戦略と引き強の前に敗れてしまいます。
世の中にはこういう「もって生まれた強運の持ち主」もしくは「運を引き寄せられる人間」は存在するのでしょうか。
すべては偶然、カタヨリによるもの
たしかに、現象としては「強運の持ち主」と言われる人は存在します。
しかしそれは、結果からみて「この人は強運(だった)」というだけの話であって、その人の運が強いから、というわけではないです。
何十億人も人間がいれば、死ぬまで幸運に恵まれ続けた人もごくまれにいるかもしれません。
しかし現代においては大部分の人は70年も80年も生きるわけで、そうすると一生幸運に恵まれ続けるという人はほとんどいないでしょう。
幸運もあれば不運もある。長く生きていればそうなります。
しかし仮に20年くらいの短い人生だったらどうか。
(20年で終わること自体が不幸なんですが)幸運に恵まれつづけた一生だった、という人もけっこう多くなるかもしれない。
このように期間や試行回数が少なければ「いいほうに偏ったまま終わる」確率が大きくなります。
逆に期間や試行回数が多くなればなるほど本来の確率(人生で言えば、いいことも悪いことも起こること)に近づいていきます。
試行回数が多くなれば、ある事象が発生する確率はそれがもつ本来の確率に近づいていきます。
これは、ギャンブルにおいても鉄則です。
パチンコ・パチスロで「ヒキが強い人」とは
やたらにプレミアムを引いたりすごい連チャンをしまくったり、「ヒキが強い」ように見える人というのは、ただ単に「(いま)いいほうに偏っている」だけなのです。
その人がプレミアムや大連チャンをいっぱい引いて、そこでパチンコ・パチスロをやめたとすれば、その人は「ヒキが強い人」のまま終わることになりますが、打ち続ければなにも引けない「ヒキが弱い」時期も経験し、全体でみれば本来の確率に近づいていくことになります。
もっとわかりやすく言えば、たとえばだれかと1対1でじゃんけんをする場合、勝ちとあいこと負けは3分の1ずつで出現するはずですが、10回くらいの試行では、片方が10連勝するかもしれない。
この場合、10回やった時点では勝ってるほうは「ツイてる」負けてるほうは「ツイてない」となりますが、仮に1万回じゃんけんをしたら限りなく本来の確率に近づいているはずです。
ツキとは、統計上のカタヨリにすぎない
前に、パチスロで年に1千万稼いでるとかいうヨタを飛ばしているブロガーがいるんですね、という話を書きましたが→収支を粉飾するパチスロブロガーの罪深さを考える、
こういう人はこの鉄則をわかっていないのでこういうウソが通用すると思っているのです。
おそらくたまたま月に100万くらい勝ったことがあって、「これなら年に1千万もありえるんじゃね?」と思っちゃったんでしょう。
月単位ならそれくらいのカタヨリはまれにあるかもしれませんが、たくさん打てば打つほど本来の確率に近づいていくので、(ゴトとか、裏ものなどでないとすれば)本来のパチスロ台が持つ出玉性能以上のことは起こらないのです。5号機と呼ばれる現代のパチスロの出玉性能では年に一千万勝つことはまず不可能です。
それはともかく、「ツキ」「ヒキ」とは、ただ単に、結果として統計上、いいほうに偏っている状態、というだけのことなのです。
そしてそれは、打ち続けていればいつか必ず終わり、気がつけば本来の確率に落ち着いている。
運がいい、悪い、は考えようでどうにでも変わる
先日、ものすごく初当たりの良いデータになっていた山佐の「リノ」を、持ちコインが100枚あったので、それだけ打ってトマトが引けなかったら帰ろう、と思って打ったんです。
そしたら最後の3枚でトマトが降臨。
小躍りして1000円を追加投資。
REGを1回ひいて、その後1ゲーム目に中段レモン揃い。
こりゃあキタかな、と思ったらボーナス重複はなしで、そのあとは通常リプレイが揃いまくって終了。
この展開は、はたしてヒキ強なのかヒキ弱なのか。
まず100枚でトマトが引けたのは間違いなく幸運でしたよね。
そして転落前に無事にREGをひいた。これも幸運ですが、なんでBIGじゃないんだよ、と思えば、不運だったことになります。
そして中段レモンでボーナスなし。これも不運。
その後ボーナスなしで転落。のまれてヤメ。これも不運。
しかし、トマトが引けてREGが引けて、連チャンはしなかったけどまがりなりにも連チャンのチャンスはつかんだ。こう考えればよかったとも思えます。
しかし、あそこでトマトを引かなければ追加投資1000円をしなくて済んだ。そう考えると、トマトを引いたこと自体が不運とも考えられる。
このように、なにが幸運でなにが不運なのかはかなりの部分で、考え方、とらえ方に左右されます。
だから少なくともパチンコ・パチスロにおいては、些細な不運をいちいち嘆いたりするのは意味がない。
嘆かなければいけないのは、打ってはいけない台(つまり、打ち続ければ必ずマイナスになる台)を打ってしまったときだけです。
何度も言うが、長い目で考えることが大事
収支を記録し、長いこと打っていれば、どんなことが起ころうともそれは統計上のカタヨリにすぎない、ということが分かってくるので、些細なことは気にならなくなります。
たとえば甘パチンコで1000回ハマったとか、高設定確定演出が出た台で負けたとか、50%の振り分けを10回ハズしたとか、そんな程度のことで「ありえない」とか「遠隔」とか「店にマークされている」とか騒ぐ人がいますが、それはただ単にその人の経験が少ないというだけの話です。
逆にどんなミラクル大勝ちを達成しても、長い目でみればただのカタヨリということがわかっているのであまり嬉しくもないです。ただ、助かった~とホッとするだけ。
とにかく、長い目でものを考え、一時のヒキにメンタルが左右されないようにすることがパチンコ・パチスロで勝つためには重要だと思います。
引けても引けなくても、それはただのカタヨリ。
トータルで勝てるように常にプラスの期待値のある台(天井に近い台、高設定の台)を打っていれば、カタヨリなど気にならなくなります。
といいつつもミリオンゴッド凱旋の天井単発はいまだにメンタルにダメージを食らいますけどね。