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敬老の日2023

今年は9月18日が「敬老の日」。

法律によって「国民の祝日・休日」というのが十数日ほど制定されていますが、どれもこれも形骸化してるというか、国民がその意味を意識してその日を過ごすというようなことはほとんどありませんね。そんなのは「元日」と、その年齢に達した人とその親にとっての「成人の日」くらいのものでしょう。

「敬老の日」についても、それはもう完全にただ名前だけになっている、老人を尊重するという意識が失われているからそれも当然・・・ということは以前にも書きました。

有名無実「敬老の日」

敬老の日2022

この調子でいくと私が「高齢者」となる十数年後、「高齢者」には社会にその居場所は(お金持ちや権力者を除き)ないんだろうなあ、と。いや私のような人間は現時点においても社会に居場所なんかないしそれは自業自得だし将来孤独死するのは宿命だとしても→パチプロは孤独死することが約束された生き物、何十年も社会や家族のために粉骨砕身の思いで働いてきた人が「高齢者」になったとたんにお荷物扱いされるってのはなんともやりきれないし、人生というものは無限に虚しいと痛感する。子をつくる能力がなくなったらもう用なし、あとは死ぬだけ・・ってのは人間以外のあらゆる生物にとっては当たり前のことなれど、人間はそうじゃないっていうのが人間の人間たるところのはずですけどねえ。特定の人に対して生産性がないとかあるとか、そんなことを問題にするような政治家に投票しちゃう国民がいっぱいいるからこんな世の中になった。自民党の奴らはこれが人間の社会としてあるべき姿だと思っているんだろうか。そんなことを奴らがまじめに考えているはずはないから問うだけムダか。

最近は「終活」の必要性を訴える人も多いようですね。高齢者が「お荷物」とみなされるような風潮を感じるにつけ、私も「いつどこでどのように死ぬべきか」を考えることが多くなりました。自分で自分のことができなくなったら面倒見てくれる人がいませんしね、そうなる前に死にたい、っていうか死ぬまで自立を保たないといけない。しかしそううまく行かなかった場合はどうするか。もはや自立できないという段階になったときには自死するっていう選択もありか、とは思うんですけど、そんな度胸があれば苦労はしない。

それはともかく、今回はぱちんこに一切関係ない話。「敬老の日」によせて、思うことを書くだけです。

高齢ドライバー事故に関する相変わらずの偏向報道には吐き気がしてくる

先日、埼玉県の通所介護施設内で、75歳が運転する送迎者が利用者3人をはね、2人が亡くなったという事故がありました。

NHK 埼玉NEW WEB さいたまの介護施設での交通事故 会社代表が謝罪

たいへん痛ましい事故で最悪の結果となり、お悔やみ申し上げるとしか言いようがありませんが、報道でクローズアップされているのは、マスゴミの馬鹿の一つ覚えというべきか、やっぱり運転者の「75歳」という年齢でした。

テレビで見ていたら、記者が施設の責任者に対して「なんで75歳の人を雇ったんですか?」と質問をしていた。それに対して施設側は人手がないからという説明をしていましたが、まるで施設が75歳の人を雇ったこと自体が犯罪的でそれが原因で事故が起こったと決めつけるような映像で、もうマジで吐き気がしてきて具合が悪くなってしまった。こういうクソ報道を垂れ流しながらその一方で「高齢者に働いてもらえば日本の生産性は上がる!企業は高齢者をもっと雇え!」とかぬかすんだからなあ。マジで日本のマスコミはゴミとしか言いようがない。

施設側も「事故原因は警察に捜査してもらっているところでまだわかりません。ところで高齢者を雇うことのなにが問題なんですか?」と言えばいいのに・・・と一瞬思ったけれど、それ言うとなにも考えずにボケッとテレビ見てる人たちから猛批判をうけて炎上しちゃうでしょうからね、するとひたすら謝るしかなくなる。

で、唖然とさせられたのが、「なんで75歳を雇ったんですか!」とか言って事故が起こったのは運転者が高齢だったせいだという印象付けをしておきながら、最後には「警察は事故原因を調べています」とかぬかしていたところ。いやいやいや、じゃあ原因はまだわかってないんだろ。なぜ警察の捜査も待たずに「高齢だから事故を起こした」と決めつける? これこそまさに印象操作、偏向報道というものでしょう。

テレビにかぎらずネットニュースとかでも、高齢者を雇わざるをえなかった施設側の事情をならべたり、運転手が過去に何度か物損事故を起こしていたことを紹介して、いかにも「事故原因は高齢だったから」という刷り込みをはかったすえに、「警察はいきさつを調べています」とか書いてる。偏見まみれのくだらない憶測はいらないから、じっさいに起こったことだけを書いとけ。そして警察がしらべた結果をそのままに報じろ。

そこで原因がもし万が一「運転者が高齢だったから」だったとされたならそう書いてもいいでしょうが、じっさいにはそんなケースはほとんどありえない。運転操作のミスは若かろうが中年だろうがやるときはやるからです。高齢だとそういう事故を起こす確率が少し高い、というだけ。

そのかわりスピード違反や飲酒運転だのによる交通事故は高齢者には少なく若い層や中年のほうが多いわけだけど、そっちの場合は不思議なことに「これだからガキは!」とか「これだからオッサンは!」とは言わないんだな。考えようによっては、認知機能がまともなのにもかかわらず慢心や思い上がりのせいで事故を起こす中年以下のほうがよほど問題だし罪深いといえるはずなのに。

いずれにしろペダルの踏み間違いのような操作ミスは年齢にかかわらず誰でもやる可能性がある。するとそんな些細なミスが死亡事故につながってしまうようなクルマの側に問題があるしそっちをなんとかするほうが(ヒューマンエラーを撲滅するのは不可能なのだから)カンタン、と考えるのが自然だと思うんですけど、巨大自動車企業に広告料で支配されてるマスコミはそれが言えない。今回の事故だってクルマの誤動作の可能性はゼロじゃないはずだけど、それについては1ミリも言及しない。

「アクセルとブレーキの踏み間違い事故」について思うこと

もちろん今回の件は事前に物損事故を何度か起こした時点で「この人ヤバくね?」と考えて「運転の仕事はやっぱりムリじゃないスか?ほかの仕事をお願いします」というふうな判断をするべきだった、というのはあるでしょうから、施設側は責任を追及されても仕方がないという部分はある。

しかし、このご時世となっては高齢者を雇うのは企業にとって必要なことであり社会的に要請されることでもあるわけで、そんななかで企業が高齢者を雇った結果その高齢者がヘマやらかしたらそのヘマの原因はすべてその年齢のせいだと決めつけられ、雇った企業が「高齢者を雇った」ということだけをもって責任を問われる・・・っていうのはあってはならないのでは。

いまだに続く高齢者福祉施設での「面会制限」

話はかわって、私の母が入居する特別養護老人ホーム。

コロナ以降、それまではほとんど自由に出入り(もちろん入り口では氏名などを記録してましたが、夜間はダメ、ということ以外にはほぼ縛りがなかった)できていた「面会」が大幅に制限され、コロナが5類となって以降も「時間は20分間くらいに」とか「いっぺんに会えるのはふたりまで」とか「飲食は禁止です」とかいう制限を残している。

そしてなぜか「事前にユニットの許可を得てください」とか「時間帯は14~16時までのあいだ」とかいう制限も加えられている。

いやいやいや、マスクしろだのなんだのっていうのはまだわかるとしても、時間帯の制限とかユニットに前もって言えとか、そんなの感染症に関係ある?これはひょっとして、「勝手にしょっちゅう面会に来られるのは面倒くさいんや。せや!この機会に、こっちの都合のいいときだけにちょこっとだけ面会できるようにしたろ!今なら制限されても家族も文句言えんやろ!」・・ということなんじゃないか、と邪推してしまう。このシステムにしておけば、その時間帯だけキチっとやってれば少なくとも入居者家族にはイイところだけを見せられるわけですからね。まあそんなひどい意図はないと信じたいけれど、コロナとはまったく関係ないところで「前もって知らせろ!」とか言われれば入居者家族が「なぜ?そんなにふだんの様子をみせたくないの?」と勘繰るのも仕方がないでしょう。コロナ以前はそんなこと言ってなかったんだから。

こういう対応をみたり、施設の職員さんと話をしたりしていると、どうも「面会」というものへの意識がコロナ以前と比較してだいぶ変わった気がする。以前は「当然の権利」としてみられていたものが、コロナを経た今となっては「施設が許可してあげるもの」に変化してしまったように感じる。そして意識が変わったのは入居者家族も同じで、(今となっては理不尽な)制限に対して疑問をもっている人はけっこう少ないように思えます。前もって知らせろっていうから前もって電話して「明日行くつもりです」(行ってもいいですか?とは絶対に言わない。「許可」を得るのではなく「通告」するだけですから)と言うと大部分の職員さんは「いいですよ~」って答えますからね。そういうところに意識があらわれる。

もちろんコロナ初期のような、「緊急事態」下であれば、面会という権利を制限するのも致し方なかったかもしれない。しかし今はそういう「緊急事態」か?というと絶対にそんなことはない。人生の残り少ない老人から「家族と会う」という人間として当然の権利をとりあげる(孫とかが5人とかで会いに来た時も「2人づつで」とか言ってるらしい。あまりにかわいそう。5人いっぺんに会うのと2人づつで計5人に会うのと、なにが変わるというのか。マジで狂ってる)のが妥当と思われるほど今のコロナは恐れなければならないものなのか?

 

・・・という文句を(もちろんこれを全部言ったわけではありません。私の勝手な思い込み・邪推ばかりですからね。感染症に関係ない面会制限やルールは納得いかない、と言っただけ)伝えたら、「ほかの施設はいまだに面会を実施してないところもあるんです。これでも精一杯緩和してるんです」とかいう答えがかえってきた。

いやいや、それは関係ありませんね。もはや行政が統一した対応をもとめているわけでもなく、ヨソはヨソでしょという話でしかない。それに市がやっているすぐ近くにある病院では入院患者への面会制限はほぼ完全に解除している。病院でさえ制限してないのに、なぜ健康である人しかしない特養で制限する必要があるんです?ヨソに倣うというのなら病院に倣ったらどうですか?と言うと「重症化のリスクが・・」とか「まだコロナはゼロじゃないから・・」とかいうお決まりの答えがかえってくる。

「コロナはゼロじゃない」というのは(数えている限り絶対にゼロにはならないのだから)寝言そのものだし、「高齢者は重症化リスクが高いから」というのも、そんなものはふつうのいわゆる「風邪」でもほかの感染症でも同じという話だし、今のコロナは高齢者が感染したからといって高確率で重症化する、というレベルでもない。「若年ならほぼ重症化しない、高齢者だとまれに重症化することもある」っていうくらいのものでしょ。そんな程度のものを恐れて老人の人権を制限する権利が福祉施設にあるんだろうか。怖いのはコロナ患者が出て施設が評判を落とすことであって、そのためには老人の人権が制限されようが構うもんか、と思っているんじゃないか?

私は職員さんのミスで母が転ぼうがケガしようが電話の出方も知らない若い職員さんに無礼な対応をされようが、それについて文句めいたことを伝えたことはこれまでに一度もないけれど、どう考えても理不尽な面会制限には文句をたれずにはおれないのです。「コロナは怖いんだ!恐れなければいけないんだ!」という考えにとりつかれてしまった人の考えを変えさせるのは不可能に近い、だから言ったところで仕方がない・・というのはわかっているとしても、不満に思っているということは表明しておかなくてはならない。

入居者はみんな明日も元気であるとはかぎらないっていうくらいの超高齢の人たちばかりなのに、よくもまあ今になっても「面会はいっぺんに2人までです」とか「20分で帰ってください」「飲食はダメです」とか言えるもんだと感心する。何時間もかけて遠くから来る人もいるのに、いっしょにお茶飲むくらいのことすらいまだに「コロナ怖い!感染するかも!」といってさせないんだから、その凝り固まった思考の異常さ加減はもはや理解不能。どうせ職員さんたちだって仕事が終われば居酒屋行ったり、家族で酒飲んでふつうにしゃべったりしてるんだろうに。

いま自分の親を入れる施設をさがしている、という方はぜひとも、その施設がこういうところをどうしているかをチェックしておいたほうがいいでしょう。いまだに面会を禁止しているような人権感覚ゼロのところであればそういうところは避けたほうがいいのではないでしょうか。

老人福祉施設での面会・外出制限は今となっては不合理すぎる

それにつけても、「感染症に弱い」というだけで、福祉施設の高齢者が刑務所の受刑者なみの人権制限を加えられるのが「当たり前」「仕方のないこと」となっているのをみるにつけ、それは行政が介入してでも是正してもらわなければならないと思うし、自分は施設などに入らず自立のまま死にたい、いや死のう、と思います。私の亡父は介護老人保健施設(老健)で亡くなりましたが、「もう俺ひとりでは父さんと母さんの両方を介護するのはムリだから、父さんはとりあえず老健で療養して良くなったら家へ戻ってきてくれよ」と言った時の亡父の抵抗はすさまじいものがありました。そのときは「そんなわがまま言われても困る!」と思いましたが、今となってはその気持ちがよくわかる。施設に入ったら酒も飲めない、デカい音で音楽も聴けない映画も観られない、ギターを練習したりとかもできない、ぱちんこにも行けない・・・となれば、私だって「そんなところ入りたくない」となる。「あんたがた高齢者は感染症に弱いから」と言われて家族にも会わせてもらえない・・・となるのならなおさらのこと。まあ団体生活をするんだからある程度の自由の制限は仕方がないとしても、家族と会う権利なんてのはよほどのことがないかぎり制限されてはならないものなはず。

 

といったようなことを、2023年の「敬老の日」には考えました。私にも刻一刻と「高齢者」になるときが近づいてきています。老いというものに対してどのように向き合うべきなのか、そして必ず訪れる死をどう迎えるべきなのか、それを考えるのは嫌なことではあるけれど避けては通れない。来年はもうちょっと前向きな思いでいられることを願いたい。

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