本ページのリンクには広告が含まれています 認知症・介護 認知症の進行をふりかえってみる

認知症の兆候が現れたころの話

最近家族が認知症だとわかった、とか、

うちのおじいちゃんひょっとして認知症では?

と、そんな方々は、とてもとても不安だと思います。

私もそうでした。

実は、認知症かもしれない、認知症になってしまったという

本人が一番不安にさいなまれるはずですが、

うちの母はそういうことは全然言わなかったので、

私は、本人が不安だろうということは考えられず、

「このままどんどん進んだらどうしよう・・・」

と、自分のことばかり考えていました。

そういう意味で、あまり優しくしてあげられず、

すごく後悔しています。

「認知症が進行するとこうなる」

ということが、本当の意味では全然わかっていなかったので、

進行しないうちにやっておかなければならなかったこと、

してあげなければならなかったこと、

そういうのがわからなかったのです。

認知症と診断されて8年ほどの今となっては、

私の顔をみても「自分に関係する人間」ということは認識しても、

「自分の息子である」ということはわからない状態です。

こうなってしまっては、親孝行しよう、楽しい思いをさせてあげようとしても、

いまさら遅いのです。無意味ではないですけど。

そう考えて、うちの母の認知症について、

「最初はこうだった」「このときにこれをやっておけば・・・」

「こうしてあげればよかった」「だんだんこうなっていった」

ということを書いておくことにしました。

もう認知症はありふれた病気になりつつあるので、

いま、自分には関係ないと思っている人たちにも

読んでいただきたいと思います。

明るくて、手先が器用、料理も上手だった母

手先で細かい仕事をやっていると認知症予防になるとか

いう話をよく聞きますが、私の母は細かい仕事が

大好きでした。いわゆる手芸が趣味で、

こどものころは巾着袋とかリコーダーの袋とか、

給食のときにつかうナフキンとかを作ってもらいました。

年をとってからは吊るし雛とか人形とかを作っていました。

料理も、つくるには手先で細かいことをするし段取りを

頭で考えなければいけないので、認知症予防にはよいといわれていますが、

母は料理も得意で好きでした。膨大な量の料理ノートをつくり、

いつも新しい料理にチャレンジしていました。

だから、母が認知症になどなるはずがない、と思っていました。

しかし、いまとなってはボタンつけすらできず、カップラーメンでさえも

つくることは不可能になってしまいました。

最初はただの度忘れと区別できない

最初に「大丈夫か?」と思ったのは、

とにかく同じことを何度も言うようになったこと。

私がお風呂にはいったあとに、「早くお風呂入ってきなよ」

と言ったりとか、さっき戸締りをしに玄関に行ってきたのに

「鍵締めてこなきゃ」と言って立ち上がったり。

こんな程度なら年をとればだれでもあるだろ、というくらいの

ことで、父も私も最初はあまり気にしてませんでした。

でも、こういうことが起こる頻度が徐々に増えていきます。

「お風呂はいってきなさい」というのも、

最初のうちは「もうさっき入ってきたよ!」と答えれば、

「あっ、そうだっけ」と言って終わっていたものが、

だんだん何度もこのやりとりを繰り返すようになってきます。

父と私も「まさか・・・」という不安が持ち上がってきました。

続く。

認知症は医者に診せるまでが大変

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