性風俗店が新型コロナ対策の給付金の支給対象から外されているのは行政による裁量権の逸脱・濫用であり、法の下の平等をさだめる憲法にも違反している、として関西のデリヘル事業者が給付金の支給や損害賠償を求めて国を訴えていた件。先日東京地裁がデリヘル事業者の請求を退ける判決を出しました。
→弁護士ドットコムニュース コロナ給付金、性風俗の対象外は「差別といえず」 デリヘル店「職業を貶め、危険に追いやる判決だ」
上記サイトの記事によると、裁判所は、
「給付基準の策定に当たっては様々な政策的・政治的な考察に基づく検討を要するものといえるから、行政庁の合理的な判断に委ねられている」「給付をすることについて大多数の国民の理解を得られるかどうかについて考慮することが必要だ」と判断。
そのうえで、「性風俗事業者を一律に給付金の対象から除外することは目的との関連において不合理なものではなく、行政庁の合理的な裁量判断の範囲を超えるものではないと認められる」などとして、憲法違反や裁量権の逸脱・濫用とする原告の主張を退けた。
だそうですよ。
つまり、性風俗店に給付金を払うことは大多数の国民の理解が得られないことであり、そういう仕事してる人間を救うことは給付金の目的には含まれてない、ってことらしい。
ええ~?アホなマスコミは全然話題にしてないけど、これはとてつもなくクソそのものな判断。どこをどう考えれば「不合理なものではない」ってなるんだよ。裁判所がこんなアホな判断をしても「不当判決だ!」という騒ぎが起こらない日本という国はやっぱり人権後進国であり、同時に職業差別大国だと痛感します。詐欺師にはホイホイ給付金をくれてやったくせになにが行政庁の合理的な裁量判断だよ笑わせるな。
給付金の目的は窮地に陥った事業者を救うことのはずだが・・・
性風俗事業者を給付金の支給対象から除外することは「目的との関連において不合理なものではない」そうですよ。
その「目的」とはなにかを考えてみると、これはコロナ感染拡大の影響で大きな影響を受ける事業者の事業継続を支援することなんでしょ。
しかし、性風俗店を支援することは「大多数の国民の理解が得られない」から、支給の対象から外すことは不合理ではない、らしい。
いやいやいや、突っ込みどころ満載すぎるだろ。裁判所の仕事は法に照らして判断することであって、国民の理解なんて関係ないだろ。お前らは「大多数の国民」が「あんな奴は死刑!」って言ってたら法に関係なく死刑にしちゃうのか?中国や北朝鮮なみに恐ろしいな!
「大多数の国民」って誰だよ。行政は市民に「性風俗店に給付金を支給してもいいと思いますか?」ってアンケートでもとったのか? 思うに、裁判官は性風俗店なんか使ったことがなくて、「そんないかがわしい、世の中の役にも立たないところに税金を?」などというガキのような思い込みがあるんだろうなあ。だから「国民みんなそう思ってる」とか考えちゃうんだろうな。
「国民の理解」が云々とかいうなら、こういう行政訴訟にこそ裁判員を呼べ、という話でしょ。まあまともな人が裁判員に選ばれたら「裁判官ってこんなにバカばっかりなのか!」とか「風俗にも行ったことねえような世間知らずが裁判官・・・?」ってなって、裁判所への不信が猛烈に高まると思いますけどね。だから誰もが憎む共通の敵である凶悪犯が被告である重大な刑事裁判の時だけ裁判員裁判をするわけか。裁判官のアホさ加減がバレる心配がない。
私などは、旅行業者や飲食店ばかりを優遇してそこにカネを使うことに対して「ふざけんな!」と思ってるし「理解」なんてしてませんけどね。結局は行政が都合のいいように勝手にやってるだけで、そこでも「国民の理解」なんて関係ない。政治家は私のような貧乏人よりも旅行業者や飲食店を優遇したほうが票につながるからそういうふうにするわけで、性風俗店を除外したのもそういうことなんでしょう。
つまるところ行政が勝手な判断で不支給を決めたってことで、でもそれは不合理ではないという。ほんとうにそうなのか? 性風俗店と飲食店や観光業者、なにが違うというのか? どちらも管轄官庁の監督のもとで合法的に営業しているし、件のデリヘル店だってちゃんと納税もしていたというし。「大多数の国民が・・」なんてのはデタラメであることは明白であり、そう考えるとこれはやっぱり、「差別」以外のなにものでもない、としか考えられない。つまり、飲食店や観光業は健全な仕事であって国民の幸せに寄与している素晴らしい仕事、性風俗業はミダラでいかがわしい、国民をダラクさせる卑しい職業、というわけか。
あまりにひどい。
そりゃあねえ、私のようなぱちんこの特殊景品の売却で生きてるような人間であるなら、「給付金?ふざけるなまともに働けや」って言われても文句は言えない(私は個人事業主として納税しているけど、コロナ給付金は申請してない。あまりコロナで影響受けませんでしたしね)けれども、性風俗店に「いかがわしい仕事してる奴には給付しない」って言うのは、どう考えても差別でしょう。いかがわしいかどうか決めるのは裁判所じゃない。もちろん行政でもない。裁判所が判断すべきは「法に触れてるかどうか」ということだけでしょ。法に触れてない性風俗店になにをもって「あんたがたの職業はまともじゃない」と言うのか。裁判所のほうこそもっとまともに仕事しなさいよ。
ぱちんこ業への差別を思い起こさせる
思えば、コロナ初期のころにはぱちんこ店も猛烈な職業差別の嵐にさらされましたよね。今回の不当判決はそれを思い起こさせました。
テレビの昼のワイドショーのとあるコメンテーターは、飲食店店主が「助けて!」と言えば「かわいそう。なんとかしてあげたい!」と言い、ぱちんこ店店主が「キツイです」と言ったら「それはあなたたちだけじゃない」と言い放った。ほんとうですよ。はっきり覚えてる。
あらゆる店や施設に休業要請が出てるなか、休んだら潰れちゃうからと営業していたぱちんこ店に対して、わざわざ横断幕もってパチ屋に「閉めろ」と言いに行ったアホな市長だかもいたし、どこかの知事は休まないパチ屋の名前を公表して貶め「仕事してます」アピールに使った。休んでない飲食店とかもほかにいっぱいあったはずなのに、公表したのはパチ屋だけ。
営業を続けたパチ屋に対して、テレビで「反社会的勢力と同じ」とまで言った弁護士だかもいましたね。「要請」に従わなかっただけで、法に反して営業したわけでもないのに、公然と犯罪集団扱いされた。差別と闘うべき立場のはずの人でさえこれですからね。せま~い飲食店が「このままでは潰れる」と営業してるのが映ったら「気の毒」「かわいそう」と言ってたのに、ちゃんと感染対策して客にもマスクつけさせてたパチ屋は反社扱い。あまりにひどかった。
これらは全部、職業差別そのものですよね。飲食店はかわいそう、頑張って!パチ屋?潰れろ。1,000%まじりっけなしの差別。
飲食店とパチ屋、いったいなにが違うというのか。パチ屋は三店方式がグレー?だからどうした。それってあのコロナが怖くてみんなパニックになってた状況で持ち出すべきことですかね。依存症を引き起こすギャンブル?だったらあの時期にもレースやってた競馬だのにも「コロナ怖いのに馬を走らせてる場合か!」って言えよ。
→ぱちんこ業界は袋叩きに。いまこそパチンカーはパチ屋を擁護すべき。
あのとき、「ぱちんこは社会に不必要」という論調が盛り上がりましたね。今回の性風俗店への給付金除外も、おそらく同じような考え方に基づくものなんでしょう。
しかし、「必要」「不必要」というのはなにをもってそれを判断するかは人それぞれだし(ヤクザでさえ人によっては必要悪でしょう)、ほんとうにぱちんこや性風俗はそこまで冷遇されるほど世の中にとって役に立たない仕事なのか?
いやいやいや、そんなことは絶対にない。ぱちんこというヒマつぶしの場があればこそ家に閉じこもらずに活動できてるお年寄りだって多いだろうし、そのおかげで友達ができたり店員さんと話するのが楽しかったりする人だっている。ヒマがつぶせるおかげでよからぬことを考えずに済んでいるにヒマな若者だっているはず。それに経済的な面では絶対に日本に必要な産業でしょう。
性風俗だってそうでしょ。恋愛弱者の男性の性のはけ口として絶対に必要でしょ。性風俗店で発散することで犯罪に走らずに済んでる人だって多いはず。戦中に従軍慰安婦をつかってたことを隣国が批判すると「それは必要だったし慰安婦は強制でなくみんな志願してたんだ」と怒るくせに、性風俗店に対しては「世の中に必要ない」「いかがわしい仕事」と言うのは矛盾でしょう。
余談ですが私も若かったサラリーマン時代、性風俗店にはけっこう行ってた時期がありました。もっぱらマットの上で洗ってもらう店でしたが、いろいろシテもらいながら女性と会話するのは、ブラック企業で長時間労働と会社の理不尽な要求に苛まれていた私にとっては素晴らしいストレス解消法でした。あれが世の中の役に立ってないとはまったく思えない。そんなふうに考えるのは世間知らずの裁判官くらいのもんでしょう。
そういうふうに世の中の役に立ってるということを理解して、そこに誇りをもって働いている人に対して、たいした根拠もなしに「あんたがたの仕事はまともじゃない」って決めつけたのが今回の不当判決であり件のぱちんこ業差別。こういう差別に対しては、差別だ!ともっと騒がなくてはならない。
日本全体に蔓延する職業差別
最近の企業には、若年者の退職を防ぐためにできるだけ本人の希望する部署に行かせてあげられるような人事システムを考えるところもあるらしいですね。
先日はテレビで若い社員に「自分が希望する部署と、そこへ行ったらなにをするのか」をプレゼンさせている会社のことをやっていた。正直言って、くだらねえ、と思いましたけどね。
希望する部署で希望する仕事をしたい、っていうのは当然だとしても、そこにあまりにこだわってしまうと、それが職業差別意識につながっていかないか。俺にふさわしい仕事はこんなんじゃねえ、もっとカッコいい仕事がしてえんだよ、というのはある意味職業差別そのものでは。その会社に入ったってことはその会社がやってる事業に携わりたいということなんだろうから、業種的には自分がやりたいことなわけでしょ。だったら部署なんかなんでもいいじゃないか。どんな部署であれその仕事の役に立つと思えば。この仕事はイヤ、もっとカッコいい仕事がしたい、なんてのが自分の思い通りになるほど世の中甘くない、と教えなければならないのでは。
たとえば飲食会社に就職して、「商品開発とかのカッコいい仕事がしたいんです。そのために料理や食材の専門知識を勉強しました!」とか言ったとしても、まずは現場の仕事を知らなければ商品開発なんてできないわけで、まずは店に入って皿洗いとか掃除からはじまって、現場での実務を学ばなきゃ、ってのは当然。それで皿洗いなんかさせたら「こんなことやりたくて入ったんじゃない。こんなことしたくて勉強したんじゃない」とかいうわけでしょ。ほんとうに優秀ならそれも現場にとって重要な仕事であるというのを学び、すぐに皿洗いなどを卒業して(本人たちの思うような「カッコいい」)ほかの仕事に移っていくわけで、最初からやれなにがやりたいだのなにがやりたくないだの、そんなことぬかすような奴はどうせ使い物にならないんじゃないのかなあ。そういう奴はたいがい、ブルーカラーの仕事を見下し、ホワイトカラーの仕事こそが価値ある仕事だと思ってる。子供か。
会社のエライ人間は若い人に「どんな仕事も会社や世の中にとっては必要で重要なんだよ。だから未熟なうちはやれって言われたことを粛々とやれ」って言わないと、職業差別意識に染まった人間がどんどん生み出されていくことになるのでは。配属部署の希望を聞いてやるのはいいけど、あまり甘やかすとますます離職率が上がるんじゃないの?最近は「会社がユルクて成長できないからやめたい」とかいう若者もいるらしいですしね。厳しくされたいのか甘やかされたいのかどっちなんだよ。企業も苦しいでしょうけどね、厳しくすればパワハラと言われ、ユルくすればやめちゃう。
そんな話をきくと、日本における職業差別意識ってのは相当に根深いものがあるんだなあ、と感じます。
我が家の近所のパチ屋にいる顔なじみの店員さん(女性)、お子さんが高校生と中学生だそうなんですが、お子さんたちはお母さんの仕事場がパチ屋ってのをあまり良く思ってないらしい。先述の裁判官だのテレビでしゃべってる奴らだのが職業差別意識にまみれたことを言ってるから、子どもまでがこういうふうになってしまうわけなんだな。
まあこれは子どもなら仕方がない。私の亡父は大工で、同年代のふつうのサラリーマンよりは相当に稼いでいたことも大人になってから知りましたが、子どものときの私はスーツ着て仕事に行くおとうさん像にあこがれていた。しかし大工がホワイトカラーのサラリーマンよりも価値が低い仕事かというとそんなことはないわけで、大人はやっぱりそういうことを子どもにちゃんと語り続けなきゃいけないと思うんですよね。
子どもに性風俗業の仕事の意義を教えるのはなかなかたいへんなことだとしても、いかなる仕事も必要で意義があるからそこに存在するのであり(パチプロの仕事はそもそも仕事とは呼べないし本人の生命維持のため以外の役には立ってないけど)、そこに存在するかぎりはその時点においてはなにかしら意義のある仕事であると言えるはず。性風俗やぱちんこ店の仕事が世の中に不必要だなんてとんでもない。
ともかく、理不尽な職業差別が横行する状況が改善され、パチ屋ももっと自由に営業できるようになって出玉が良くなり、できれば私ももっと勝てる・・という世の中になってほしいと願うばかりです。世の中に不必要な職業?それがあるとすれば、ギャンブラーくらいのものじゃないの。議員って職種も、まあ不必要とは言わないけど、あんなに数はいらないですよねえ。半分でいい。