本ページのリンクには広告が含まれています 新型コロナウィルス 特別養護老人ホーム 認知症・介護

新型コロナが「5類感染症」に。しかし・・・

5月8日より、これまで感染症法上「2類相当」、つまり「特別恐ろしい病気」として扱われていた新型コロナがようやく「5類」にされましたね。

「5類」になると、感染した人を強制的に入院させたりといったことを行政はできなくなる。梅毒なんかも5類に分類されていますが、流行っているからといって感染者を探し出して性行為しないように隔離したりできない。つまり新型コロナも、それを防ぐためとかいう理由で「マスクしろ」だの「何万人とかいうイベントは自粛しろ」だのと国民の自由を侵害するようなことはできなくなった、ということ。

前から何十回も書いてますけどこれは遅すぎでしたね。オミクロンの毒性が弱いってわかった時点でそうするべきだった。政治がボケっとしてたせいで、いや利権をできるだけ長く確保してうまい汁吸いたいと思って「コロナは怖いんだ!」と言い続けてきたせいで、「コロナ禍」が3年以上も続いてしまった。全部「専門家」とそいつらの言うこと聞いてアホらしい感染対策を一生懸命続けた政治家のせい。「アベノマスク」とかマジで気が狂ってましたね。このままでは政権の求心力が!という危機感に駆られると血迷ってバカなことやりだすってのはどこの国の政権も同じなんですな。数百億円もかけて布マスク配るときいて大部分の国民は「バカすぎる」と呆れたはずですが、それでもいまだに自民党に投票しちゃう人が多いってのはいったいなんなんだ。それこそがまさに日本はもう救いようがないっていうことを示している。

今朝テレビつけてたらワイドショーで「まだコロナは終わったわけではありません」「5類になってもウィルスが変わったわけではない」とかぬかしてて心の底から殺意をおぼえた。いやいやいや、「罹っても超高確率でただの風邪」(高齢者は重症化リスクが高いとか言うけど、それもほとんどゼロである若者よりもちょっと高いというだけ。それに高齢者の風邪がリスキーであるってのは昔から同じで、今に始まったことではない)になった今の時点で終わりって言わないんだったら永遠に終わらないだろ。お前らがそういうふうに言い続けるから国民が「コロナはまだ怖い!」と思ってちょっと具合が悪くなったら検査して、それで病院行って・・ってなるから「感染者」が減らねえんだろ。そんなものは数えなければ、いちいち報道しなければ国民の肌感覚としては「ゼロ」と同じになり、「コロナ禍」は「終わる」のに。忘れればいちいち検査なんてする人もいなくなるんだから。

「まだゼロじゃない」?それがどうした

私の母が入居している特別養護老人ホームの相談員さんも、面会の制限(後述するようにコロナが5類になってもまだ制限を残している)についてなにか文句めいたことを伝えるとすぐに「まだゼロになったわけじゃないので」とか言うんですけど、(もちろん口に出して言わないが)「バカなのかな」としか思えない。人類史上、人為的に「ゼロ」にできた感染症は天然痘だけ。その天然痘とは違って、人間以外も感染する、罹っても無症状なことがある、というやっかいな性質であるコロナをゼロになんてできるわけがないだろ。かつての中国の「ゼロコロナ政策」を多くの日本人は「ムリに決まってるだろ」と思ってたはずなのに、なぜ「ゼロになったわけじゃない」「まだ終わったわけじゃない」と言うのか、言っててアホらしいと思わないんだろうか。

「まだゼロじゃない」とか言う人たちは、「流行ってる」と話題にならないものは全部「いまはゼロ」だと思ってるんだろうなあ。肺炎球菌も風疹もHIVももちろんインフルエンザも、あまり話題にならないけれど「ゼロ」になったわけじゃない。そのへんは新型コロナ以前から存在していて、そのときには「感染対策!マスク!消毒!」とか言わないでふつうに自由にやってたくせに。なぜそれらの病気より怖くない、もしくはたいして変わらないコロナだけを特別扱いして「ゼロじゃない」とかぬかすのか、ほんとうに理解不能。

 

何度も言うけど、もはや感染者数がどうのこうのなんてのを問題にするのはナンセンスすぎる。入居者が家族と自由に会って話をする、触れ合う、という当然認められるべき、人間らしく生きるための権利を制限してまで怖がらなきゃならない感染症なのか、っていうところをもっと考えるべきでしょう。今回の「5類」への移行にともない、私の母が入居する特養も一応、面会については条件を多少緩和してくれましたが、それもなんか中途半端で個人的には不満。

老人ホームは刑務所と化した

私の母が入居する特養はコロナの5類への移行に伴い、面会のため必要だった予約を不要とし、面会する場所もこれまでは職員の目の届くロビー限定だったのを居室でも可能に、という措置をとりました。

しかし面会する時間帯は指定され、時間はそのうちの約20分で、しかもいちどに面会する人数は二人までだという。面会中の飲食は禁止。当然マスクや消毒も必須。マスクや消毒はまあ仕方がないとあきらめるとしても、それ以外の制限はほんとうに必要だろうか。 孫が3人も4人もいてみんなが会いに来てくれたらどうするんだよ。そこでみんなでお茶でも飲んで楽しくおしゃべりしよう、などというささやかすぎる願いもかなえてやる気がないとは。たいして怖くもなくなった、しかも感染すること自体がもはや宝くじレベルになったコロナを気にして、入居者にとっては無上の幸せであるはずの面会にまだ制限を加えようとする。それはもはや人権侵害。

時間が20分だとか、面会人数は二人までだとか、この期に及んでそんな制限が必要か? 刑務所なの?。施設は入居者のことを受刑者と勘違いしてないか。思えば「コロナ禍」以降、老人福祉施設に入っている高齢者の人権は「感染対策」の名のもとに徹底的に制限され、まさに囚人のように扱われたような気がします。そして入居者の家族はバイキン扱いされ遠ざけられた。

コロナ禍における面会制限はまさに「刑務所」そのものだった。私には大麻で何度も刑務所に行った知人(今も行ってるかも?最近は知らない。大麻以外の違法行為はしない、善良な人間でした)がいて、だいぶ昔ですが刑務所の面会も体験したことがあります。

刑務所の面会も非常に面倒くさい制限が多く存在する。本人が面会できる回数が(最低月2回以上。模範囚で「優遇区分」が優遇されている服役囚はもっと多くなる。最大7回?そこまで優遇されるエリートは数えるくらいしかいないらしい)決められていたり、そもそも「知人・友人」というだけでは面会させてくれない場合もある(関係を根掘り葉掘り訊かれる。それが受刑者本人の話と食い違えばもちろん許可されないんでしょう。今は友人というだけではほぼムリという話)し、いちいち持ち物を検査されるし、1回に面会できる人数はたしか3人くらいだったし、混みあってると早めに切り上げるように要求されたり。そして当然、話をするのは穴の開いたアクリル板越し。傍では必ず刑務官が話を聞いてる。

これって「コロナ禍」における特養の面会と重なるところが多いですよね。アクリル板ごし、回数制限、時間制限、人数制限、居室ではなく職員の目が届く場所で。刑務所の服役囚と同じような扱いを受けたってのはたしか。外出もしちゃいけない、外泊ももちろんダメ、と言われてましたからね。コロナが怖かったころは仕方がなかったとしても、ほんとうにかわいそう。

 

刑務所に服役してる人は一定期間自由を制限されるということ自体が刑罰なわけだから、面会が制限されるのは仕方がない、っていうかある意味当然のことでしょう。しかし老人福祉施設に入ってる高齢者は権利が制限されるのが当然っていうような悪いことしたか? 何度も言うようにコロナがほんとうに怖い感染症なら致し方ないかもしれないが、今はもうそうではないことが明らかだし、私の母が入っている特養のある市(人口約4万)での感染確認数は1週間でなんと3人とか4人とかですよ。宝くじレベルでしか感染者が見つけられない感染症を恐れて人生残り少ない高齢者の楽しみを奪って、心が痛まないのか。

もちろん特養は集団生活する場であるので、本人もしくは家族が「コロナに罹ろうが面会させろ。その権利や自由を優先しろ」と私のように言ったとしても認められない場合もある、というのはわかる。しかし集団としての秩序を守ろうとするあまり、個人の権利や尊厳を守ることを忘れてるんじゃないの、という気がしてならないのです。さきにふれた中国の「ゼロコロナ政策」がまさにそれだった。いまだに面会に制限をくわえている老人福祉施設がやってることはそれと同じなんじゃないか。

最近は刑務所の受刑者の高齢化がすすみ(生活が苦しくて犯罪に走る高齢者が増えてるのと、なんでもかんでも厳罰化して長期の懲役に処すだけで済ませてその背景に切り込んでいかないからでしょう)、刑務所の「介護施設化」が著しい、という話を聞きますが、シャバでは逆に介護施設の「刑務所化」がコロナによって顕著になった気がします。なぜ「高齢だから」「重症化リスクが高い(と言われている)から」というだけで、そんな差別的な扱いを受けなければならないのか。重症化リスクが高い高齢者を守るため!とかもっともらしいことを言って自分に酔ってる人たちは、それが高齢者の幸せを奪っていることになぜ気がつかないんだろうか。

とはいうものの、自宅で介護していた時期、私も母の自由を認めてなかった。そんな間違いはもうしたくない

と、文句ばかり言いましたが、もはや要介護6とか7だろ、と言えるくらいなにもできなくなった母の面倒を日々みてくれているユニットの介護職員さんにはもちろん文句はないし感謝もしてます。こういうのはやはりトップの問題なんでしょう。

それに、母を自宅で面倒見ていたころは、私自身も母の自由意思を認めていなかった。→在宅介護の失敗をはげしく後悔する・・・「自分で考え、自分で決める」自由を奪っていた。 私の目の届く範囲からいなくなることは許さなかったし、母がやりたいことをやろうとしても(どうせ失敗して私の手間が増えることになるので)許さなかった。着るものも食べるものも行くところも(何食べたい?くらいは訊いたけど、まともな答えは返ってこない)全部私が決めた。まさに私が刑務官で母が受刑者みたいだった。

当時はもちろんそんな意識はなかった。それが母の安全を守ることだと思っていた。それはコロナ感染防止のために入居者の権利を制限しまくった介護施設の人たちも同じなんでしょう。本人の意思や自由なんかよりも大事なのはとにかくコロナに罹らないことであり、命さえ守られればそれでいいんだ、というふうになってたようにみえます。

しかしそれはコロナがほんとうに命にかかわる恐ろしい病気なら、の話であり、今となってはコロナ感染を防ぐために権利や自由が侵害されるなんてことは許される話ではないでしょう。私も自宅で母を介護してた頃のことを振り返ると、ほんとかわいそうなことをした、という後悔しか湧いてこないし、許されざることをした、と感じてます。それと同じように「自由を制限するコロナ対策は間違ってたんじゃないか」という検証を加え、反省することが必要なのでは。

いずれにしろ、若い人間は「コロナはまだ怖い!」と言いながらやれ大型連中だ海外旅行だと遊びまわってるのに、「高齢者はリスクが高い(と言われている)から自由にしちゃダメ!」ってのはまさに差別そのもの。高齢者本人の権利や自由や尊厳という側面から「ほんとうにこんな制限する必要ある?」っていうことをもっと考えるべきじゃないかと思ってます。

特別養護老人ホーム:制限付きの面会はもう嫌。

老人福祉施設での面会・外出制限は今となっては不合理すぎる

-新型コロナウィルス, 特別養護老人ホーム, 認知症・介護
-, , , ,