今年のお盆休みは長かったですね。
大きな台風が来ていろいろとたいへんでしたね。
しかしなんにしろ私にとってはお盆だろうが正月だろうがあまり関係がない。
関係ない、どころかパチ屋の出玉はシブくなり、生活道路も観光客で混雑するしで
いいことはあんまりない、っていうくらい。
お盆や正月で嬉しいのは、甥たちが遊びに来てくれたりするかもしれないということだけ。
嬉しいことに今年も来てくれて、
いっしょに特別養護老人ホームにいる母のところに面会に行きました。
7~8年ほど前までは孫が来るといえば猛烈な勢いで掃除や買い物や料理をこなして出迎えていた母も、
いまとなっては孫をみてもそれが誰なのか認識できない。
認知症はこれからさらにありふれた病気になる。ならば・・・
甥は小学高高学年と中学生。
中学生のほうはおばあちゃんがどういう状態になっているか
多少はわかっているようで、
話しかけるにしても
どのような言葉を使えば伝わるか(どうやっても伝わらないけど)とか、
聞き取りやすいようにしゃべってみよう・・など、
気をつかっている様子でした。
一方で下の子はあまりおばあちゃんに近寄ろうとしない。
どう接したらよいかわからないのでしょう。
そもそもおばあちゃんが陥っている状況がどういったものなのかもイマイチ理解してない。
これは仕方のないことでしょう。
甥たちの親である私の兄夫婦ですら、認知症はおろか介護保険制度についてもあまり理解してない。
私の兄夫婦も含め世の中の多くの人たちは、自分が生活を共にしている人が認知症になってはじめて
認知症を少しづつ理解することになります。当事者にならなければそれを学ぼうという気にはならない。
しかし今後は認知症になる方がさらに増え、
そこらじゅうに認知症のお年寄りがいるようになる時代がやってくるわけで、
そうすると将来を担う子どもたちに
「認知症とは?」ということを教えておくことは非常に重要なことなんじゃないかと。
認知症の人が不自由なく生活できる世の中にするためには
実はそれが最優先で取り組むべきことなのかも。
(関連記事→「認知症フレンドリー社会」とは?)
「認知症」が「痴呆」と呼ばれていた時代は・・・
この話は以前にも書きましたが
私が認知症というものを知ったのは小学生のときでした。
テレビで映画「恍惚の人」を見たとき。
そのときはたぶん1980年代初頭で、
認知症は「痴呆」「ボケ」と呼ばれていました。
私はこの映画に衝撃を受けたものの、
自分の親がこうなるとはまったく思っていなかったし、
「痴呆」は不幸でレアな病気で、つまり「他人事」と思っていた。
子どもでしたからそれが当たり前といえば当たり前ですけど。
しかし、いまの子どもたちが大きくなるころには
認知症はさらにありふれたものになるので、
「他人事」どころではなくなる。
街を歩けば認知症のお年寄りが普通にウロウロしていたり、
お店で仕事をすればしょっちゅう認知症のお年寄りがお客として来店したりする世の中になるかも。
すると子どもたちに認知症について正しく理解しておいてもらうことが
認知症のお年寄りが安心して生活できる世の中になるためには必要なことでしょう。
学校では教えてないの?
神奈川県のサイトでこういうのを見つけました。
認知症は誰にでもなる可能性があります。幅広い世代の方に認知症への理解を深めていただくためのツールとして、地域での小中学生を対象とした認知症普及啓発の講座(認知症サポーター養成講座など)にぜひご活用ください!
とのことで「ガイドブック」をつくったそうです。
しかしこれは「学校で使え!」というものではないらしい。
いま学校ではどう教えているのかな。
「総合学習」で必ず認知症についての時間を設けること・・・
と義務付けるくらいのことをしてほしい。
それはともかく、この神奈川県のつくったガイドブックくらいの内容ですら、
母が認知症を発症した当初は私もわかっていなかったし、
私の兄などはいまだにわかってないので、
こういったことを子どもに教えることにはものすごく意義があるのは間違いないでしょう。
ガイドブックには、
「前にはできていた料理ができなくなった」ときの対応として
〇→苦手なところを手伝ってあげる
×→味が違うと指摘する
と書いてありましたが、
私などは「できないんだからやんなくていいよ」と言って
その仕事そのものを取り上げちゃってましたから、
私が無知で思いやりがなかったばっかりにかわいそうなことばかりしてたなあ、と。
などということを考えながらお盆期間は終わりました。
来年のお盆も無事に迎えられることを祈りつつ、
短いですが今回はこのへんにしておきます。