本ページのリンクには広告が含まれています 認知症・介護 雑談

敬老の日 2024

今年は9月16日が「敬老の日」。

これまで「敬老の日」に際して、そのときに思うことをいろいろ書いてきました。

敬老の日2023

敬老の日2022

有名無実「敬老の日」

敬老の日~働き続けることが、元気に老いる秘訣かも~

昨年の記事では施設での面会制限についての文句とか書いてたんだなあ。今となっては懐かしい。

 

それはともかく、今年はちょっと一味違う気持ちで「敬老の日」を迎えることに。4月に母が亡くなり、私は年老いた両親の世話(といっても母には長いこと施設に入ってもらいましたが)を終え、あらゆる意味で独りぼっちに。母に会いに施設に行くこともなくなり、「高齢者」といわれる人たちと接する機会もグッと減りました。

そして、私自身もあと十数年で「高齢者」になる年齢に。子どものころは学校はほぼ皆勤(たまに具合が悪いなどと言っても親は「いいから学校へ行け」としか言わなかった)、サラリーマン時代も(ほうかしき炎で倒れたとき以外は)病気で休むなどということはほとんどしなかった私も、「いつもどこかしらが調子悪い」と感じるようになり、ちょっと走ればすぐに息があがり、ちょっと食べ過ぎればすぐに胃がもたれ、髪の毛はどんどん減り・・・というふうに、衰えを感じることが多くなりました。髪の毛は「衰え」ではありませんけどね、見た目上「老い」があまりにハッキリするからなかなか辛い。

老いていくとはこういうことか・・と実感するようになると、若い時はわからなかった親の気持ちもわかってきたり、人生についての考え方というものが変化してきたりもします。このブログに書いたことも、昔のものを(嫌だからあまり読み返したりしないんだけれども)見直すと「なに言ってるんだろう」とか恥ずかしくなったりするんですが、いまここに書いていることも70過ぎ(それまで生きてるかどうか)とかに見直したら「バカなんじゃないか」とか思うんだろうなあ、と。

しかしじぶんを振り返り反省するということはけっして悪いことではないし必要なこと。そのために今思っていることを書いておくことは無意味ではない。今回はぱちんこに無関係な雑記です。2024年の「敬老の日」に際して思うことを書いておきます。

ますます高齢者が生きづらい世の中になっていく

白内障の手術を受けて以降、いちおう念のため半年に1回ほど眼科に診てもらいに通っているんです。

白内障の手術を受ける。その①

先日そこへ行って年に一度の視野検査などをしてもらって、異常はナシと言われたんですが、会計をしようとすると、「こんどから会計はソチラで行ってもらうようになりました」と言われ、指さされたほうには「自動精算機」みたいなのがありました。

前に通った耳鼻咽喉科でも会計はセルフになっていた。最近は医療機関でもこういうの導入しているところが増えましたね。この医院では、診察券に二次元コードがつけられて、それを自動精算機に読み取らせると会計金額などが表示され、そこへおカネを入れるという手順になっていた。

「こんどからそちらの機械でやってもらうことになりましたから~」と言って患者に指示していましたが、二次元コードを読ませておカネを入れるだけという、さほど難しくない作業だとしても、やはりご高齢であればあるほどまごまごしてしまう方が多いようでした。

 

まあ効率化を狙って導入したんだろうけど、職員さんが窓口越しに指示しながら、まごまごしているご年配にそれをやらせているシーンをみて、私は胸がムカムカするような不快感をおぼえた。

昭和ヒトケタ生まれくらいなんじゃないかというお年寄りに「診察券についてるQRコードをですねえ・・・」とかぬかしたところで、「きゅうあーる・・・なんだって? それってどういうこと?」となる方もいるのは必定。窓口越しにデカい声でそんな説明をクドクドするくらいならこっちへ出てきていっしょにやってやれよ・・としか思えなかった。

それに、自動精算機の導入がはたして「効率化」に寄与してるのかどうかも疑問でしたね。会計を待ってる時間はいつもとまったく変わらなかった。IT化する必要があるのは職員さんが内部でやってる事務作業のほうじゃねえのか。お金もらってお釣り渡すくらいの作業を患者にやらせるようにしたところで、それがいったいなにになるというのか。お金が合わないとかいう間違いは減るだろうけど、そんなことは患者にはほとんどかかわりのないこと。

お年寄りは若い奴に面倒をかけたくないと思っていて、こういうふうによくわからないことをやらされて「わからない」と言うことには抵抗を覚えるし、恥ずかしいと思う人も多いと思うんですよね。そういう患者に心理的負担をかけさせ、わからない人には恥をかかせ、それで待ち時間が減るでもない、キャッシュレスでできるようになったわけでもない(私は「機械でやれ」と言われて、当然キャッシュレスも導入ししたんだろうと思いましたがそんなことなかった。なにがしたいんだよ)。どこにメリットがあんの? お友達企業の売上に貢献したかっただけか? ・・・という文句をよっぽど言おうかと思いましたが窓口の人に言っても仕方がない。院長に診てもらうようなことがあれば「お年寄りがかわいそう」と言ってやろう。お年寄りがヒマつぶしに来てくれるから医者は儲かってるんだろ。会計を自動化して、それがわからないお年寄りに「そんなこともできねえのか」ばりの対応をするとか、いったい何様・・としか言いようがない。

私自身もまもなく「高齢者」になって、こんなふうに若い奴に「ジジイそんなこともわからねえのか。老害」という扱いを受けるときがやってくる。そのころには今よりさらに高齢者が増えて、ますます「社会のお荷物」扱いされることでしょう。やりきれませんね。はやいところ人生を仕舞いたい。

自動化・IT化はけっこうなことでもあるが・・・

そういえば先日行ったファミレスも、注文も会計も料理運びも全部IT化させてしばらく経ちますが、はたしてそれが客のメリットにつながっているのかというと、ゼロではないにしろそれほどでもない気がする。私が行く店、いつも片づけられてないテーブルだらけでドロドロの状態なことばかり。接客担当の店員さんがやってた仕事の多くをIT化して客自身にやらせるようにしたのに、なんでこうなるの? これだけ客に面倒なことやらしておいて、いったいなにしてんだよ。食べ終わった皿を下げに来てくれないから、追加注文した料理をもってきたロボットに持たせたら、重さで検知しているのか「料理をおとりください」と言われて帰って行かないし。どうしようもない。

こういうことが起こっているのを経営者が知っているのかどうかわかりませんが、レストランにしろ病院にしろスーパーにしろ、施設やお店側の都合で自動化、IT化した結果、利用者や客のメリットには全然つながらず、逆に不便を強いる結果になっていることが非常に多い気がする。そしてその不便さや違和感を感じる度合いは、ご年配であればあるほど増大していく。

 

いつも行くスーパーもセルフレジを導入していて、時間がないとき(たいがい有人レジのほうが混んでいる)はそっちを使うんですけど、なにしろ面倒くさい。そりゃあいままで、それで給料もらってる店員さんがやってくれてた仕事をそのまま、しかもただでやらされるんだから面倒くさく感じるのは当たり前(セルフレジ会計したら5%割引くらいするのが当然なのでは?)。

まあそれで待ち時間が多少なりとも解消されるというメリットが生まれるなら、スーパーのセルフレジもわからなくもない。しかしねえ、操作を間違えたりわからなかったりして質問したりすると、少なくない割合で面倒くさそうに対応する店員さんにぶち当たる。「そんなこともわからないの?」というふうに。これがとにかく不快。

私でもそれがたまに起こるんだから、「高齢者」だったらもっとそれは頻繁に起こるでしょう。じっさいそういうシーンを見たことは何度もある。そういうところに、いまの日本ってほんとに「敬老」などという精神は消えてなくなったんだな、と思い知らされる。なんでもかんでも、「こっちは忙しいから自分でやってくれ」「それくらいわかるだろ」で済ませる。楽な経営でいいなあ。

いやいやいや、そもそも店員さんがやってた仕事を「もっと儲けを出したいから」「経費を削減したいから」ということでセルフにしてお客にやらせてるんだから、お客が「これどうやってやんの?」とまごまごしていたら「お手数をおかけしててすみません」っていうのが普通の対応じゃねえのか。そんなふうにして、「セルフサービスはお店の都合。お客さんに面倒かけて申し訳ない」という意識を垣間見せる店や店員さんには、残念ながらほとんど会うことがない。それだけならまだしも、とくに相手が高齢者だと、「これだから年寄りは・・」っていう意識をにじませる奴もいますからねえ。

 

このへんはやはり、世の中がスゴイスピードで進化していくのに高齢者がついてこれないのは当然、という想像力が欠如しているから起こることなんでしょう。

まあ私自身も、冒頭で言ったように、からだの調子がいつもどこかしら悪いとか、あたらしいことが覚えられないとかいう、「老いる」とはこういうことか、というのを若い時は理解できなかったし想像もできなかったから、それは仕方のないことなんだ、と考えるべきなんでしょうが、自身の想像力の欠如そのものを自覚するかしないか、それだけで話は違ってくる。

私はこんなブログをもう長いことやっているけれども、ブログ運営上のテクニカルな問題が起こってネットで解決方法をしらべたとき、専門用語がいっぱい出てくるとなにがなにやらわからなくて挫折することがけっこうあります。昭和ヒトケタ生まれの人に「QRコードがあ~」とか言って説明しようとするのもそれと同じこと・・・というのをわかろうとする気持ちがあれば、件の医院の人も、窓口越しになんだかんだと指示するのではなく、ちゃんと自動精算機の前に出てきてお年寄りに手取り足取り教えて、「すみませんね面倒なことさせて」くらいのことは言えるはずなのです。

 

やはり人間に最も大事なのは「想像力」なのだなあ・・・などということを、「敬老の日」に際して考えました。

敬われるような老人になることはおそらくできない私は、どのようにしてこの世から退場するか。それを考え準備することに、これから時間とお金を少しづつ使っていこうと思ってます。

-認知症・介護, 雑談
-, ,