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もういいかげんに、過剰なコロナ対策に異を唱えよう!

こないだの週末、全国のパチ屋では「全日遊連主催・2022年度 第32回 全国パチンコ・パチスロ ファン感謝デー」が行われていました。

いつもの「抽選で豪華賞品が当たる」かも・・というあれです。このいわゆる「ファン感」についてはこれまでにも何度か触れました。

ファン感謝デーで風呂桶をGET!

ファン感謝デー! たまにはただ楽しむためにパチ屋に行く。

で、その抽選方法。わが地域の大部分のホールは「抽選箱のなかから客にくじを引いてもらう」というフツーの方法をとっていましたが、地域一番店である(といわれている)A店は、なんといまだに「新型コロナウィルス感染防止のため、お客様のかわりに当店がくじを選んでお渡しします」とか言って、客に「ハイ」ってくじを配るという方法をとっていました。

えぇ・・・。いまだにそんなことしてんの。これに関しては以前に →コロナへの警戒心のゆるみに注意したい の記事で、「蔓延防止したいというのはわかるが、それじゃあ客はつまらないよね。もうちょっと考えればいいのに。ちゃんと考えて工夫しているホールもある」という意見を書きましたが、そのころならまあ仕方がなかったでしょう。コロナは得体のしれない未知の感染症で、じっさい重症化する人も死ぬ人も割合としては今よりも多かったわけだから。恐れすぎるほど恐れたほうがいい、っていう状況だったし、私もそう思っていた。だから記事にも「警戒しよう」と書いていたのです。

しかし、今となってはコロナも(感染力は強くなっているとしても)圧倒的に弱毒化、感染しても持病をもつ高齢者以外は超高確率で無症状もしくは「ただの風邪」で済むようになって、政府は「全国旅行支援」とかいうクソみたいなバラマキをやって「旅行行け!外食しろ!」とか言ってるという状況になってるのに、いまだにコロナ初期にやってたことをそのまま継続しているってのは・・・。その思考停止っぷりには唖然とするしかない。

今となってはコロナ対策は矛盾だらけ

このA店が「店員がくじを選んでお客様にお渡しします」って方式をとっているのは、つまり「客が箱に手を入れてくじをさわる」→「ウィルスがくじにつく」→「ほかの客がウィルスのついたくじにさわる」→「感染拡大」ってのを心配してのことなわけですよね。

しかしですね、このホール、遊技台の消毒を客が入れ替わるたびに徹底してやってるわけでもないし(やってほしい客は店員を呼んでください、というスタンス。それで消毒を依頼してる客など見たことないけど)、その理屈ならメダルなんかは台の中に吸い込まれたものも含め誰かが触ったものはすべていちいち消毒しなければならないはずだが、そんなことができるはずもない。トイレで手洗いしない客に「手を洗ってください」って指導したりするわけでもない。

そして、客にくじを配ってた店員さんはべつに手袋もしてなかった。その店員さんが無症状でコロナ持ってる可能性は?店員さんは全員毎日ちゃんと検査してるのか?配る店員さんの手にウィルスついてたら感染爆発になっちゃうじゃないか!客にくじを1枚配るたびにいちいちアルコール消毒しろよ!

・・・っていう矛盾を感じるのは当然なんじゃないのか。

コロナが弱毒化したのは明らかである今はもう、「こんなコロナ対策必要ある?」っていうふうに立ち止まって考える、ってことが必要なんじゃないのか。だいたい、そんなわずかな接触でコロナ感染するんなら、いちいち感染経路を調べてたコロナ初期の時点で、「パチ屋でクラスター」という事態が無数に起きたはずでは? みんな他人が触った台、他人が触ったメダルをべったり触って遊技するんだから。 しかし今となっても「パチ屋でクラスター」なんていう話はきいたことがない。

つまるところ、パチ屋はコロナ感染リスクの低い安全な場所であるってのはもうわかりきってることで、それに加えて感染したとしてもインフルエンザとほとんど変わらない(それどころか今流行ってるオミクロンはインフルエンザよりも怖くないというデータも出てるらしい)危険度なんだとすれば、やるべき対策があるとすれば、「具合が悪い人は来ないでください」「咳が出る人はマスクしてください」っていうことくらいなんじゃないのか。コロナ怖いからくじ引きはできません?あまりにバカバカしい話なのでは。

件のA店のなじみの店員さんに、「くじ引きはもうふつうにやってもいいんじゃないの?」と訊くと、やはり「こんなくじ引きつまらない」というような文句をいっぱい言われていたらしい。店長らもそれは承知しているらしかったけれども、まあ会社がそうやってやれと言えば現場は逆らえないんでしょう。

そしてもし会社の上層部に「コロナ対策なんかもういらねえだろ」と考える人がいたとしても、会社はそうそう簡単にコロナ対策をやめられないでしょう。それはやっぱり「世の中の大半の人間が『コロナ怖い』と思ってる今の段階では、コロナ対策を緩めることができない」ということなんでしょうね。今の段階で店が「マスクは任意です」とか言いだしたら、間違いなく「なに言ってるんだ!コロナは怖い感染症なんだ!」と騒ぐ人間がいっぱい出てくる。それは店としては恐ろしい事態のはず。

政府がつかってる「専門家」の奴らも、メディアも、メディアにしょっちゅう出るヒマな「専門家」や「専門の医師」も、とにかく「油断するな!」「コロナはただの風邪じゃない!」「重症化率も死亡率も低くなったがただの風邪とは違う!」などととにかく危機感を煽ることに(おそらくは自分たちの利益のために)懸命だから、「こんなコロナ対策いらねえだろ」ということを言うのが憚られる状況が変わっていかない。

コロナがただの風邪と言えるかどうかはともかく、もっと怖い感染症は世の中にいくらでもあるし、日々の生活や楽しみをすべて犠牲にしてまで「とにかくコロナに感染しないことが最優先」にするのは、まさに本末転倒なんじゃないのか。健康に幸せに生きるために病気を予防するんでしょ。

人生にとって大事なことを犠牲にしてまで恐れる必要があるとはどうしても思えない

小中学校なんかではいまだに給食のときに全員前向いて「黙食」をさせているらしいですね。大人は居酒屋でマスク外してガハハハ~って大声で笑いながら酒飲んでる奴もいるのに。これも「教育関係者はバカばっかりなの?」としか言いようがない、過剰なコロナ対策の典型じゃないでしょうか。

でも、PTAとかで「いまだに黙食?アホか」とか言おうものなら、まわりの保護者からは「ヤバい人」みたいな感じで見られちゃうんだろうなあ。それがイヤで言いたくても言わないってなっちゃうんだろうなあ。日本人特有の「同調圧力」というやつか。

 

このようにいろんなところで行われている、自由を制限するコロナ対策。私はもういいかげんにすべてやめるべきだと思ってますけど、感染を防ぐために払っている犠牲の大きさと、感染したときの怖さが釣り合ってなさすぎだと感じます。「罹ったらどうなるか見当もつかない」っていう頃には私もブログ記事に「自粛しよう」「恐れよう」「警戒しよう」と書いていたし、とにかく罹らないように気をつけよう、と思ってましたが、今は状況がまったく異なる。

高齢者は死ぬ可能性があるし、じっさい毎日毎日人がいっぱい死んでる・・・って言って「コロナ怖い!」って煽る人たちがいますが、初期のころはともかく現在のオミクロン株では、死の直接の原因がコロナだった、っていう人はほとんど皆無らしい。ほとんどは、もともと持病をもってた高齢者が、コロナ感染で免疫力や体力が低下し、持病が悪化して亡くなっているとのこと。死んだときにコロナに感染していれば、死因がほかの要因であっても「コロナでの死者数」にカウントされるようになっているらしい。

風邪やインフルエンザでもそこから持病悪化で亡くなるってことはふつうに起こりますよね。しかも感染から持病悪化で死に至る確率はオミクロンでは季節性インフルよりも低いくらいっていう話もある。

コロナ怖い!って煽ることで金儲けしてる奴らは「それでも怖いことに変わりないだろ!」とまだ言い張る。しかしそれでも「死んだときにコロナ感染してた人」の数は今となっては↓こんなもんですよ。このうち何人がもともと健康でコロナによって肺炎とかになって亡くなった人なのか。そのへんについては誰も言わないし報道されない。それ言うと「コロナは別に怖くない」ってわかっちゃうから、マスコミや専門家はそれじゃ困るから黙っているんでしょう。

第6波より第7波のほうが「重症者」の数は少なかったのに、死者数は第7波のほうが多いってのも一見不思議ですが、感染者数が第7波のほうが多くて、その結果「死んだときコロナにかかってた」っていう人が増えた、っていうことか。それとおそらく「コロナは軽症のまま。でも持病の悪化で死ぬ」っていうのが多かったっていうことでしょうから、するとやっぱり、コロナによる肺炎での死者が多かった初期のころに比べたら、今のコロナはもう全然怖くなくなった、ってことでしょ。

 

(↑NHK 新型コロナウィルス特設サイト  より引用)

 

ちなみに、常に日本人の死因の上位にある「肺炎」の主な原因である「肺炎球菌」に感染して亡くなる高齢者は毎年万単位。ウィルス等による肺炎で亡くなる人は毎年10万人くらいいて、そのうち3割程度が肺炎球菌によるものだそうなので、肺炎球菌で亡くなる人は毎年3万人くらいいるってことに。この2年半以上のあいだでのコロナでの死者(それも前述のように「死因はコロナではないが死んだときにコロナにかかってた」っていうだけの人が多数含まれてる)は4万8千人くらいだそうなので、肺炎球菌のほうがいっぱい人を殺していることになる。

肺炎球菌は新型コロナ以前から存在していて、私の母もワクチンを定期的に打っていますが、「肺炎球菌で死んだ人がいっぱい!緊急事態だ!行動制限!」なんて話はいままでにきいたことがない。なんでやらないの? 肺炎球菌ってのはおもに子どもの喉にいるもので、子どもから飛沫感染で大人に感染し、免疫力の低い高齢者が発症する、っていうものなので、肺炎球菌でこれだけ人が死んでるのなら「高齢者は小児との接触禁止!子どもは高齢者に近づくの禁止!」っていう行動制限を永遠に課しておくべきでは? コロナよりも怖いのになぜ「専門家」は「怖い!怖い!」って騒がないの?

それはカネにならないからだろ、って話なんですが、肺炎球菌のリスクは受け入れられるのなら、それよりも圧倒的に怖くない今の新型コロナのリスクもふつうに受け入れられるはずなのでは。ていうかもう受け入れるしかないでしょう。

孫などの子どもと遊んだり話をしたりするのは、多くの高齢者にとって無上の幸福であると思うんですが、「子どもは肺炎球菌もってるから孫と会うのは二度とできませんよ。だって肺炎球菌ウィルスは絶対になくならないから。病気にならないのが最優先!ウィルスに感染しないことが最優先です!」って言われたらどうですか。これと同じことが、老人の施設では今フツーに行われている。ひどい話じゃないですか? いままでは肺炎球菌があってもそんなこと言ってなかったのに。それよりも怖くないコロナを恐れて、老人の楽しみを奪っている。

私は子どもをもったことがないけど、自分が子どもに危険なウィルスをうつす危険があるんならともかく、私なら「死ぬリスク?だからどうした。どうせ近いうちに死ぬんだよ。死んでもいいから孫に会わせろ」って言うと思うんですよね。すでに老い先短い身になっていれば、あえて死ぬリスクを冒してもこれをやっておきたい、ってのはみんなあるでしょう。今のコロナ対策はこの自由を高齢者のみならず全国民から奪っている。その結果みんな不幸になっている。ほぼただの風邪のコロナに罹らないためにあらゆる幸せを失わされてる。

エボラ出血熱くらい怖い病気のリスクがあるんなら「孫に会いたい?ちょっと我慢して」っていう話にもなるでしょうが、今の(ほぼただの風邪の)コロナが「孫に会う」とか、「友達とカラオケする」とかいった、まもなくこの世から退場する高齢者に残された数少ない楽しみを奪ってまで怖がらなくちゃならないくらいのものだとはどうしても思えない。

小中学生が楽しく給食を食べたり、運動会で家族と楽しくお弁当食べたりといった一生の思い出をつくることよりもとにかく「(ほぼただの風邪の)コロナにかからないこと」のほうを優先、っていうのは、どう考えても狂ってるとしか思えない。それに比べたらパチ屋での抽選なんかどうでもいいんですけど、高齢者や子どもにかぎらず、日本国民全員がたいして怖くもなくなったコロナを防ぐために自分の自由や財産、人生を犠牲にさせられてる。

コロナは怖いんだ!と言い張ることによってカネを得ているマスコミや政治家や専門家や医者なんかは絶対に「コロナはもう終わりです」とは言いそうにないから、この異常な状況を終わらすためには、やっぱり我々一般国民がそういう奴らに騙されず「コロナが怖い?もうそれは受け入れようよ」っていうふうに認識を変えることが必要なのでは。みんな内心ではそう思ってるから旅行とかに行ってるんでしょ?

ともかく、今となってはもう、専門家が「コロナ怖い!」とか言ったら「わかったから自由にさせろ」というべきじゃないでしょうか。そして、パチ屋やコンビニやドラッグストアが「マスクしてないと入れません」とか言ったりしたら、客から「じゃあ行かない」という声が上がり、そういう思考停止に陥ってる店からどんどん潰れるような社会に早くなってほしい。

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